近藤たま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

近藤たまこんどう たま文久2年2月15日1862年3月15日) - 明治19年(1886年6月28日)は、明治時代の一般女性。新選組局長近藤勇の娘。母は松井つね。名は主にと表記。

文久3年(1863年)、2歳の頃、父・勇が浪士組として京都へ出立し、後に新選組を結成。勇は池田屋事件などで名を轟かせたが、戊辰戦争が勃発したため新政府軍により斬首に処せられた。たまは当時6歳。許嫁の宮川勇五郎(後、近藤勇五郎)、母・つねと共に本郷村成願寺に隠れ住んでいた[1]

維新後は、伯父(勇の兄)・宮川音五郎に引き取られ、明治9年(1876年)に許嫁の宮川勇五郎(音五郎の次男)と結婚。勇五郎は近藤姓を継ぎ近藤勇五郎となる。

明治16年(1883年)にたまにとっての唯一の実子、長男・久太郎を出産。その3年後、母に先立って他界。享年25。

死後[編集]

その後、勇五郎は再婚する。明治38年(1905年)に久太郎が日露戦争で死亡したため、近藤勇の嫡流子孫は途絶えてしまった(ただし、近藤勇は妾との間にも子をもうけている)。

脚注[編集]

  1. ^ 赤間倭子. “物語・成願寺と新選組”. 多宝山成願寺. 2016年6月1日閲覧。