辻辰三郎
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正三位勲一等 辻辰三郎 | |
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検事総長 | |
任期 1979年4月17日 – 1981年7月22日 | |
任命者 | 第1次大平内閣 |
前任者 | 神谷尚男 |
後任者 | 安原美穂 |
個人情報 | |
生誕 | 1916年7月23日 京都府 |
死没 | 2004年8月28日(88歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
専業 | 弁護士 |
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。
来歴
[編集]1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。
1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[1]。死後、正三位に叙された。
略歴
[編集]- 京都一中、第三高等学校を経て、
- 東京帝国大学法学部卒業
- 1940年(昭和15年)9月10日 海軍経理学校入校(海軍主計科短期現役第5期)
- 1941年(昭和16年)1月8日 同校卒
- 1947年(昭和22年)12月22日 大阪地方検察庁検事
- 1951年(昭和26年)10月17日 法務府検務局公安課長補佐
- 1952年(昭和27年)8月1日 法務省刑事局付
- 1955年(昭和30年)12月22日 法務省刑事局参事官
- 1956年(昭和31年)9月1日 法務研修所教官併任
- 1958年(昭和33年)12月1日 東京地方検察庁検事
- 1959年(昭和34年)11月1日 宇都宮地方検察庁次席検事
- 1961年(昭和36年)7月15日 法務省刑事局総務課長
- 1964年(昭和39年)3月25日 法務大臣官房人事課長
- 1967年(昭和42年)1月13日 法務大臣官房経理部長
- 1968年(昭和43年)6月15日 法務大臣官房長
- 1970年(昭和45年)2月10日 法務省刑事局長
- 1973年(昭和48年)1月23日 最高検察庁検事
- 1973年(昭和48年)2月2日 最高検察庁刑事部長
- 1975年(昭和50年)12月10日 福岡高等検察庁検事長
- 1976年(昭和51年)11月2日 次長検事
- 1978年(昭和53年)5月25日 東京高等検察庁検事長
- 1979年(昭和54年)4月17日 検事総長
- 前任の神谷尚男に代わりダグラス・グラマン事件に関わる。
- 1981年(昭和56年)7月22日 定年退官
- 1981年(昭和56年)9月3日 弁護士登録(第一東京弁護士会)
- 1983年(昭和58年)4月16日 法制審議会委員
- 1985年(昭和60年)4月16日 同再任
- 1988年(昭和63年)11月3日 叙勲一等授瑞宝章
- 2004年(平成16年)8月28日 死去。叙正三位
脚注
[編集]- ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊