辻守静

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辻 守静(つじ もりきよ、生年不詳 - 明治6年(1873年9月2日[1])は、幕末江戸幕府旗本、歌人。本名は三枝六郎左衛門[1]。通称は半五郎、茂右衛門。号は野廼屋、東園、葎園、六牙庵、耽花などがある[2]

父は三枝氏。養父は不明だが、先々代あたりの当主は辻守孟である。

甲府勤番大草高聴支配だったが、嘉永3年(1849年浦賀奉行支配組頭となり、嘉永6年(1853年ペリー来航時に奔走し、国書の受け取りにも同席した。安政元年(1854年林奉行となる。

歌人として大石千引海野遊翁に師事した[2]。他にも書を中村仏庵に、仏学を荻野梅塢に学んだ[2]

明治6年(1873年9月2日、死去。享年70すぎであった[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 東京掃苔録」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d 好古類纂 第九集」国立国会図書館デジタルコレクション