辺丁一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
辺 丁一
基本情報
本名 辺 丁一
階級 バンタム級
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
誕生日 (1968-11-16) 1968年11月16日(48歳)
出身地 ソウル特別市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 12
勝ち 10
KO勝ち 4
敗け 2
テンプレートを表示

辺 丁一(ピョン・ジョンイル、英語: Jung-Il Byun1968年11月16日 - )は、大韓民国(韓国)の元男子プロボクサー。身長168cm。元世界ボクシング評議会 (WBC)世界バンタム級王者。

来歴[編集]

1988年、韓国代表としてソウルオリンピックボクシングバンタム級に出場。2回戦でアレクサンダー・フリストフ(ブルガリア)と対戦し、1-4の判定負け。その判定を不服とし、セコンド陣が乱闘騒ぎを起こし、本人も1時間以上リング上に座り込んだ[1]。会場に混乱が起き、当日予定されていたその後の試合が中止となった。

1990年2月18日、プロデビュー。

1993年3月28日、無敗のまま9戦目で世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者ビクトル・ラバナレスメキシコ)に挑み、12回判定勝ち。王座獲得に成功した。5月28日には初防衛に成功したものの、その初防衛戦で左拳を骨折。これにより、7月22日に予定されていた元王者辰吉丈一郎との対戦は中止となった(辰吉は同日、同級暫定王座決定戦としてラバナレスと対戦。12回判定勝ちで王座獲得)。11月25日に統一戦として改めて辰吉戦が組まれたが、今度は辰吉が左眼網膜剥離に罹ってしまい王座を返上。

1993年12月23日、2度目の防衛戦。辰吉の代役という形で対戦相手に名乗りを挙げた薬師寺保栄と対戦。フルラウンドの死闘の末、判定負けで王座陥落。同時にプロ初敗戦を喫する。なお、これが自身プロ初の国外(敵地)試合であった。

1994年7月31日、雪辱・王座返り咲きを懸け薬師寺と再戦するが、5度のダウンを奪われた末の11回TKO負け。この試合を最後に引退した。

戦績と獲得タイトル[編集]

アマチュア(オリンピック)[編集]

  • 戦績:1勝1敗
日付 結果 時間 内容 対戦相手 開催地 備考 出典
1988年
9月 勝利 3R 判定 5-0 フランスの旗ジャン・マーク・アウグスティン ソウル・オリンピック
9月 敗北 3R 判定 1-4 ブルガリアの旗アレクサンダー・フリストフ ソウル・オリンピック

プロ[編集]

  • 戦績:10勝(4KO)2敗
  • WBC世界バンタム級王座(防衛1)
日付 結果 時間 内容 対戦相手 開催地 備考 出典
1990年
2月18日 勝利 8R 判定 フィリピンの旗ノエル・コルネリオ プロデビュー戦
11月16日 勝利 9R KO フィリピンの旗エディー・トーレス
1991年
3月10日 勝利 3R KO フィリピンの旗レイ・パレーノ
7月14日 勝利 10R 判定 ベネズエラの旗デビット・マーチャント
11月2日 勝利 10R 判定 プエルトリコの旗ウィリアム・ラモス
1992年
2月4日 勝利 9R KO インドネシアの旗タルマン・ガルジム
8月16日 勝利 10R 判定 フィリピンの旗レイ・パショネス
1993年
1月10日 勝利 4R KO タイ王国の旗スクサワット・トーブンラート
3月28日 勝利 12R 判定 3-0 メキシコの旗ビクトル・ラバナレス WBC世界バンタム級タイトルマッチ / 獲得
5月28日 敗北 11R TKO メキシコの旗ホセフィノ・スアレス WBC世界バンタム級タイトルマッチ / 防衛1
12月23日 敗北 12R 判定 1-2 日本の旗薬師寺保栄 WBC世界バンタム級タイトルマッチ / 陥落
1994年
7月31日 敗北 11R TKO 日本の旗薬師寺保栄 WBC世界バンタム級タイトルマッチ / 再獲得失敗

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ A Brief History of Olympic Sore Losers” ((英語)). タイムズ (2012年3月9日). 2013年12月16日閲覧。

外部リンク[編集]

WBC世界バンタム級王者
在位期間
ビクトル・ラバナレス 1993年3月28日 - 1993年12月23日 薬師寺保栄