辺丁一

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辺 丁一
基本情報
本名 辺 丁一
階級 バンタム級
身長 168cm
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
誕生日 (1968-11-16) 1968年11月16日(55歳)
出身地 ソウル特別市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 12
勝ち 10
KO勝ち 4
敗け 2
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辺 丁一(ピョン・ジョンイル、英語: Jung-Il Byun1968年11月16日 - )は、大韓民国(韓国)の元プロボクサー。元WBC世界バンタム級王者。

来歴[編集]

1988年、韓国代表としてソウルオリンピックボクシングバンタム級に出場。2回戦でアレクサンダー・フリストフ(ブルガリア)と対戦し、1-4の判定負け。その判定を不服とし、セコンド陣が乱闘騒ぎを起こし、本人も1時間以上リング上に座り込んだ[1]。会場に混乱が起き、当日予定されていたその後の試合が中止となった。

1990年2月18日、プロデビュー。

1993年3月28日、無敗のまま9戦目で世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者ビクトル・ラバナレスメキシコ)に挑み、12回判定勝ち。王座獲得に成功した。5月28日には初防衛に成功したものの、その初防衛戦で左拳を骨折。これにより、7月22日に予定されていた元王者辰吉丈一郎との対戦は中止となった(辰吉は同日、同級暫定王座決定戦としてラバナレスと対戦。12回判定勝ちで王座獲得)。11月25日に統一戦として改めて辰吉戦が組まれたが、今度は辰吉が左眼網膜剥離に罹ってしまい王座を返上。

1993年12月23日、2度目の防衛戦。辰吉の代役という形で対戦相手に名乗りを挙げた薬師寺保栄と対戦。フルラウンドの死闘の末、判定負けで王座陥落。同時にプロ初敗戦を喫する。なお、これが自身プロ初の国外(敵地)試合であった。

1994年7月31日、雪辱・王座返り咲きを懸け薬師寺と再戦するが、5度のダウンを奪われた末の11回TKO負け。この試合を最後に引退した。

戦績と獲得タイトル[編集]

アマチュア(オリンピック)[編集]

  • 戦績:1勝1敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1988年9月 勝利 3R 判定5-0 ジャン・マーク・アウグスティン フランスの旗 フランス ソウル・オリンピック
2 1988年9 敗北 3R 判定1-4 アレクサンダー・フリストフ  ブルガリア ソウル・オリンピック
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プロ[編集]

  • プロボクシング:12戦10勝(4KO)2敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1990年2月18日 勝利 8R 判定 ノエル・コルネリオ フィリピンの旗 フィリピン プロデビュー戦
2 1990年11月18日 勝利 9R KO エディー・トーレス フィリピンの旗 フィリピン
3 1991年3月10日 勝利 3R KO レイ・パレーノ フィリピンの旗 フィリピン
4 1991年7月14日 勝利 10R 判定 デビット・マーチャント ベネズエラの旗 ベネズエラ
5 1991年11月2日 勝利 10R 判定 ウィリアム・ラモス プエルトリコの旗 プエルトリコ
6 1992年2月4日 勝利 9R KO タルマン・ガルジム インドネシアの旗 インドネシア
7 1992年8月16日 勝利 10R 判定 レイ・パショネス フィリピンの旗 フィリピン
8 1993年1月10日 勝利 4R KO スクサワット・トーブンラート タイ王国の旗 タイ
9 1993年3月28日 勝利 12R 判定3-0 ビクトル・ラバナレス メキシコの旗 メキシコ WBC世界バンタム級王座獲得
10 1993年5月28日 勝利 12R 判定3-0 ホセフィノ・スアレス メキシコの旗 メキシコ WBC防衛1
11 1993年12月23日 敗北 12R 判定1-2 薬師寺保栄 日本の旗 日本 WBC陥落
12 1994年7月31日 敗北 11R TKO 薬師寺保栄 日本の旗 日本 WBC世界バンタム級タイトルマッチ
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獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ A Brief History of Olympic Sore Losers” ((英語)). タイムズ (2012年3月9日). 2013年12月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ビクトル・ラバナレス
WBC世界バンタム級王者

1993年3月28日 - 1993年12月23日

次王者
薬師寺保栄