輸入デフレ論

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輸入デフレ論(ゆにゅうデフレろん)とは、安価な輸入品によってデフレーションが起きるとする考え方[1]輸入デフレ説とも言う。

概要[編集]

日本の平成デフレは、中国を初めとした新興国からの安価な輸入品によって引き起こされたとする説である[2][3]。中国を中心とするアジア諸国の工業化が急速に進んだ結果、これらの国々からの廉価な製品が流入しそれが日本の物価を押し下げる原因であるとしている[4]

あるいは貿易自由化に関する議論などにおいても、輸入が増加するとデフレが進行するという意見が唱えられることがある。

「輸入デフレ論」は、中国企業とのコスト競争に挑むビジネスマンや、身の回りに廉価な輸入品が増えていることを実感している消費者から根強い支持を得てきたが、「輸入デフレ論は経済学の教科書を理解していない人の戯言」と断言して憚らない経済学者もいる[4]

一方でノーベル賞経済学者クルーグマン教授は安倍首相の聴取に対して輸入のGDP引き下げ効果、輸出のGDP引き上げ効果に言及したため、反輸入デフレ論の国内経済学者の信憑性への疑念も発生している。

学者・エコノミストの見解[編集]

元国際金融局長の榊原英資は「日本のデフレは景気後退に伴う物価下落ではなく、構造的要因を持ったものである。原因は、グローバリゼーション、日本の場合は中国を中心とする東アジアとの市場・企業主導の実質的経済競合である。日本以外の先進国でもデフレまではいかないものの、ディスインフレーションは起こっている。日本の場合、デフレといっても耐久消費財の価格下落の寄与率が高く、その他の消費、食料、ガソリン、サービスなどの価格はほぼ安定している。つまり、人々が日常的に購入する財の価格は継続的に下降しているわけではない。耐久消費財については、消費が広範に広がり競争が激しいので、下落するのは当然のことである。サラリーマンの平均年収も物価下落と同様、その原因はグローバリゼーションである。中国の人々と競争しなければならないのだから、当然、平均給与は下がってしまう[5]」「中国やインドの存在を考えると、中国などに投資するほうが収益率が高い。輸出関連産業の立場で、収益構造からみて、日本から投資を減額し、中国やアジアに移すほうが有利ということになる。設備投資を主導してきた日本の輸出関連産業は、日本国内で投資をするインセンティブがなくなっている。国内ではコストが高過ぎるという問題がある。そこに、グローバリゼーションでコストが安い市場が出てきた[6]」と指摘している。

元一橋大学経済学部教授の野口悠紀雄は「日本が1990年代の半ば以降長期にわたる停滞に陥った基本的な原因は、新興国の工業化である。韓国、台湾、そして中国が工業化し、安い労働力を使って安い工業製品を生産できるようになったことが日本の製造業の成長を抑え、経済停滞とデフレをもたらした。反論として『アメリカも他の国も、日本と同様の影響を受けるはずだから、日本だけが停滞したのはおかしい』と言われることがある。日本とアメリカの物価動向は、大きく違う。日本はデフレになったが、アメリカはならなかった。問題は、雇用の受け皿だ。アメリカでは製造業より生産性が高いサービス業が引き受けたのに対して、日本では製造業より生産性が低いサービス業が引き受けたのだ。ここに大きな違いがある[7]」「日米の物価動向の差は、消費構造の違いによる面が大きい[8]」と指摘している。

黒田東彦は「人民元が安くなり過ぎれば、日本の輸出業者は利益が出せず、輸入した商品が極端に安ければ日本国内のデフレが悪化する」と指摘している[9]

エコノミストの伊藤洋一は「海外生産製品が安い人件費でできるとなると、国内で生産される同種の製品は汎用ではなくなる。つまり一部の高い品質のものに拘る消費者は国産に残るかもしれないが、大部分の人はベトナムなど途上国の労働者が作ったものを使うことになる。多くの製品が実は『海外産』であって、そうした国内産からの切り替わりの中で日本の物価下落圧力が生まれている」と述べている[10]

日本政府の見解[編集]

2001年平成13年)度経済財政白書は「中国等からの安い輸入品の流入、ITを中心とした技術革新、流通合理化等の物価を引き下げる構造的な要因が、強まっている。安値輸入品の影響を具体的にみると、繊維製品やテレビ・VTRといった耐久消費財では、1999年以降、輸入品が大幅に増加しており、中でも中国からの輸入比率が上昇している。中国を始めとするアジア諸国の供給力増大による現地生産品の輸入増加が、製品価格を押し下げている。これら電気製品やその他機械類については、中国での現地生産化が一段と進むとみられることから、当面、価格下落圧力が継続する可能性が高い」と論じている[11]

2002年2月の日本銀行の実証研究レポートは「アジア経済からの輸入品は、消費者物価下落の直接的な要因であり、国内輸入競合品の価格を引き下げることによって物価下落の間接的な要因としても作用した」と論じている[12]

2003年4月の内閣府の報告書は「中国デフレ輸出論について、そうした影響は否定できないが、日本のデフレに対する影響は小さいと判断できる」と論じている[13]

分析[編集]

理論的には輸入品価格の下落は相対価格(個別価格)の変化に過ぎず一般物価の下落であるデフレとは、短期的な調整期間を除き直接結びつかないことや[14]、非輸入競合財価格の下落あるいは国内生産物付加価値の価格を表すGDPデフレーターの下落を説明できないこと、また、日本以外の先進国新興国からの輸入を行っていたにも関わらずデフレ傾向が表れたわけではないことなどから、デフレが安価な輸入品によって引き起こされたとする説には否定的に見られている[15][16][17][2][18]

また、輸入品による価格の低下は、安価な商品が購入可能になることから消費者の購買力を増加させ、また、原材料費が低下することから企業の利潤も増加させるため、賃金・購買力や利潤を逼迫して不況を生み出すような一般物価の下落であるデフレとは異なることに注意が必要である。特に、交易条件の改善を伴う形での安価な輸入の拡大は経済に好影響を与える。これは、逆の場合を考えるとわかりやすい。たとえば原油価格が上昇した場合、一時的には物価全体が上昇してインフレ傾向となりえるが[14]、原油価格上昇により交易条件が悪化していると景気は下押しされる。

東京大学大学院経済学研究科教授の渡辺努は、日本、アメリカ、イギリス、韓国、香港、台湾の6ヵ国について、供給ショック(オイルショックのように特定の品目の価格がその他の商品に比べて変化する現象)が物価に及ぼす影響について実証的な検討を行い、デフレがグローバルな供給ショックによって生じている可能性があると指摘している[4]

学者の反論[編集]

エコノミストの片岡剛士は「中国から安い製品を輸入している国はいくらでもあるため、日本だけが長期的なデフレになっていることを説明したことにはならない[19]」「日本と同等かそれ以上の輸入比率であってかつ中国からの輸入を進めている国ではデフレが生じることになる。ただし現実はそうはなっていない。10年超もデフレが続くのは日本のみである。個別財の価格低下という現象と、個別財の動きを総合した一般物価の低下という現象は違うのだという視点が重要である[1]」と指摘している。根津利三郎は、「グローバリゼーションが進行して中国やアジアの国々から安い輸入品が入ってくる事は、日本だけに起こっていることではない。米国でも欧州でも中国やアジアからの安物は溢れかえっている。これらの国における中国からの輸入品はGDP比で概ね2%で、日本と大差ない。従って日本のデフレはグローバリゼーションの影響と結論付けすることは出来ない」と指摘している[20]

経済学者の高橋洋一は「OECD諸国で中国からの輸入の対GDP比率が日本より大きい韓国ニュージーランドチェコハンガリーはデフレでない」と指摘している[17][21]

経済学者の岩田規久男は「日本では最近(2005年)、中国からの輸入品に限らず、国内の非輸入競争財[22]の価格も下がっている」と指摘している[23]

経済学者の田中秀臣は「日本経済に数%しかウェイトを占めていない中国からの輸入がデフレをもたらすわけはないし、中国はそもそもインフレである。原因とする国がデフレでないのに、なぜ日本はデフレなのか。それは、日本のデフレが構造的なものでなく、総需要の不足によるものである[24]」「中国を含む諸外国からの輸入財の価格下落が一般物価水準に影響を与えたとしても、野口悠紀雄自身が試算したデータを採用したところで、年間0.25%である。マイナス1%のデフレがあるとしても、残りの物価下落の七割以上は、なぜ生じたのかという点を考察する方がより重要である[25]」と指摘している。田中は「安くなった貿易財を買えることは、日本国民の購買力を増やすことになるためデフレにはつながらない。所得が一定であればより安いモノを多く買えるか、他の財・サービスを購入する余地が増えるだけである」と指摘している[26]。また田中は「1930年代の昭和恐慌時にも、中国資本がデフレの原因だと言った人が多く存在した。自国の政策ミスを他国のせいにしたがっているだけである」と指摘している[27]

経済学者の若田部昌澄は「変動相場制の場合はありえないが、固定相場制の場合はありえないわけではないという程度の話である。しかし、中国と固定相場制になっているアメリカはデフレになっていない。日本の経済論壇は輸入デフレ説から完全に決別すべきである」と述べている[28]

貿易自由化[編集]

経済学者の伊藤元重は「市場開放は代表的なサプライサイドからの成長戦略であるが、海外から低価格の商品が大量に入ってくれば物価を下げる力となる」と指摘している[29]

中野剛志は貿易自由化は国内外の競争の激化、あるいは安価な製品の輸入により、製品が安くなり、消費者が恩恵を蒙るが、デフレを悪化させるとしている。そのメカニズムを次のように説明している。デフレとは需要不足が続くことであるため、これを止めるためには需要を追加するか、供給を削減する必要がある。しかし、貿易が自由化され国産品が輸入品に代替されることによって、需要側では国産品関連の雇用が奪われ、内需が縮小する。他方、供給側では貿易自由化による競争の激化で生産性が上昇し供給が増加する。こうして貿易自由化は需要不足と供給過剰を深刻化し、デフレを悪化させることになるとしている[30]

中野は著書『TPP亡国論』で日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に入るとアメリカからの安価な輸入が増え、デフレがひどくなると主張しているが、経済学者の小林慶一郎は「貿易自由化でデフレが進むというのは単純化しすぎた議論である」と述べている[31]。小林は「日本よりも貿易依存度が高い国がデフレではないのに、日本だけがデフレの状態なのだから、貿易自由化がデフレの主要な原因ではないことははっきりしている。したがって、『TPPに参加するだけで日本のデフレがひどくなる』とはいえない」と述べている[31]

若田部昌澄は「輸入品の価格が下がると物価もそれに応じて下がるという関係が見られないわけではないが、それは短期的にしか起きない」と指摘している[32]

片岡剛士は「TPPがデフレを促進させるという議論がしばしばなされるが、TPP等の貿易自由化によって、ある財の関税(もしくは非関税障壁)が低下することは輸入財の価格を下げ、国内財との相対価格の変化を生じさせるが、これは相対価格の変化を通じた話であるから、各財の価格を統合した一般物価の持続的な上昇(インフレ)、下落(デフレ)とは異なるメカニズムにより生じる動きと整理した方がよい」と指摘している[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c TPPを考える 片岡剛士SYNODOS -シノドス- 2011年11月9日
  2. ^ a b 野口旭の「ケイザイを斬る! 」 第2回 「構造」なる思考の罠HotWired Japan ALT BIZ(2005年12月2日時点のアーカイブ
  3. ^ 浜田宏一教授が圧勝した野口悠紀夫氏との議論!アベノミクス実現で「1ドル=120円、日経平均1万6000円」も見えてくる現代ビジネス 2013年1月21日
  4. ^ a b c グローバルデフレが教えてくれること富士通総研 2003年7月
  5. ^ 【論風】青山学院大学教授・榊原英資 アベノミクスは成功するか (1/3ページ)SankeiBiz(サンケイビズ) 2013年2月14日
  6. ^ 【vol.19】 榊原英資 論文『構造デフレ下での経済政策とは何か 第1回』言論NPO 2003年3月11日
  7. ^ (第35回)なぜ日本だけがデフレになるのか東洋経済オンライン 2010年10月18日
  8. ^ アメリカがデフレに落ち込まないのはなぜか?ダイヤモンド・オンライン 2012年4月26日
  9. ^ 上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、41頁。
  10. ^ 10台で学ぶ金融そもそも講座 第44回「グローバルマーケットの中で」man@bouwまなぼう 2011年6月29日
  11. ^ 第2節 デフレの進行と金融政策内閣府 経済財政白書/経済白書
  12. ^ 上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、59頁。
  13. ^ 上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、64頁。
  14. ^ a b 渡辺努他「供給ショックと短期の物価変動」、『RIETIディスカッション・ペーパー』、経済産業研究所、2003年
  15. ^ 平成13年度 年次経済財政報告内閣府
  16. ^ デフレの罠をうち破れ、新保生二 著、中央公論新社(2003)
  17. ^ a b 第7回:インフレ目標政策への批判に答えるRIETI 2003年3月7日
  18. ^ 伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本、浜田宏一他 著、東洋経済新報社(2010)
  19. ^ 【片岡剛士氏インタビュー】円高・デフレは自然現象ではない! 無謬性の罠にはまらないための経済知識 『円のゆくえを問いなおす』著者 片岡剛士氏インタビューソフトバンク ビジネス+IT 2012年7月4日
  20. ^ 米国は日本のようなデフレにはならない富士通総研 2010年8月13日
  21. ^ 一挙公開!「インフレ目標」批判へのFAQ 【その1】インフレ目標「弊害論」を検証するダイヤモンド・オンライン 2013年12月27日
  22. ^ 輸入財と競争関係にない財。
  23. ^ 岩田規久男 『日本経済にいま何が起きているのか』 東洋経済新報社、2005年、158頁。
  24. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、31頁。
  25. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、139頁。
  26. ^ 田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、190頁。
  27. ^ 田中秀臣・野口旭・若田部昌澄編 『エコノミスト・ミシュラン』 太田出版、2003年、44頁。
  28. ^ 人民元切り上げの是非PHPビジネスオンライン 衆知 2010年5月10日
  29. ^ 伊藤元重の新・日本経済「創造的破壊」論 「賃金上昇」→「デフレ脱却」という好循環を実現できる成長戦略とは?ダイヤモンド・オンライン 2013年11月11日
  30. ^ 中野剛志 『TPP亡国論』125-127頁。
  31. ^ a b 第十八回 TPPと日本経済②キヤノングローバル戦略研究所(CIGS) 2011年5月31日
  32. ^ 若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、167頁。

参考文献[編集]

  • 浜矩子『ユニクロ型デフレと国家破産』2010年、文藝春秋

関連項目[編集]

外部リンク[編集]