軒付け

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軒付け(のきづけ)は上方落語の演目。

あらすじ[編集]

根っからの浄瑠璃好きな男が、浚いの会で「忠臣蔵」の四段目を語ったが大失敗。知り合いから「そんなら軒付けをしたらええがな。」と言われる。軒付けとは浄瑠璃愛好家が家の軒で一段語ることで、もちろん本を見ることは許されないし、下手なら「お通り」と追い返される。でもいい修行になるし、好きな家に気に入られたら、下をもおかぬもてなしを受け、この前も全員得意な浄瑠璃を一段ずつ語らしてもらい、お礼にと、鰻の茶漬けまで馳走になったという。「うわあ。わて鰻好物ですねん。さっそく行きますわ。」「これ!そんなん目当てで行くんやないで。」

紹介状を書いてもらって男は早速集合場所に行く。すると肝心の三味線の伴奏者が来ていない。「えらいこっちゃな。」「いや。代役に勤めてもらうそうで。」代役は紙屑屋の天さん。これがまたたいへんな素人で、「テンツテンテン」「トテチントテチン」「チリトテチン」の3つの音しか弾けない。「誰や。こんな三味線雇たんは・・・」「まあしゃあおまへん。」みんな口々に不平を言いながら出かける。

何軒か回るが、ある時は「うち病人いてまんねん。」と断られたり、別の家では「だだけもん(乱暴者)がきたとおもたわい。」と暴言を吐かれ、「ナニイ!オイ!何抜かしとんねん。お前日本人やろが。聞いてわからんのかい。こら、浄瑠璃じゃ。」「へえ。それ浄瑠璃か。」「おお。浄瑠璃じゃ。暗い外でな、語っとんのんじゃ。語れるもんなら語ってみい。」とやりこめると、「へ!聞けりゃ。聞いてみイ。」とあべこべにやりこめられ「・・・それもそうでんなあ。」「感心したらあかんがな。」テンツテンテンテン「弾かいでもええ!」「鰻で御茶漬け」「出えへん!」とドタバタが続く。しまいにはやっと静かに聞いていると思ったら「貸家」の札が・・・・

「もう今日はあかん。軒付けは止めや。長屋の糊屋の婆さんの家に行って練習しよう。あこの婆さん耳遠いから気にせんと浄瑠璃語れるで。」と皆で行くと、ちょうど、婆さん味噌をオカズに晩飯の途中であった。早速語り出すが、天さんの三味線がヘタすぎてどうにもならず無茶苦茶になる。「あかんわ。こんな三味線ではやってられん。」とこぼしていると、婆さんは「あはは。あんさん方、浄瑠璃がお上手じゃな。」「オバン。嬲ったらあかんで!耳遠いくせに浄瑠璃上手いか下手か、分かるんかいな。」「何じゃ知らんが、最前から食べてる味噌の味がちっ~とも変わらん。」

概略[編集]

サゲは「下手な浄瑠璃で味噌が腐る。」という昔の悪口から来ている。今は通用しないので、冒頭で浄瑠璃好きの男が家族からそんな悪口を言われたというセリフを導入する演出をとっている。

江戸や上方では浄瑠璃を「音曲の司」と呼んで素人が熱心に稽古をしていた。その有様は「寝床」「浄瑠璃息子」「二八浄瑠璃」「稽古屋」「豊竹屋」「くしゃみ義太夫」などの古典落語に残されている。

橘ノ圓都が得意としていたのを、戦後、三代目桂米朝に伝わり、さらに二代目桂枝雀桂文珍などによって演じられるようになった。現在ではあまり顧みられない浄瑠璃を主題としているが、筋の面白さや、面々の掛け合い漫才のような軽妙なやりとりなどが人気を集め現在でも通用するネタとなっている。

演題の「軒付け」は、桂米朝の説明では「大道芸人の門づけとはまたちがって、浄瑠璃の軒づけをやって修行する」(『米朝落語全集・第四巻』より)とあり、アマチュアが技芸の鍛錬のために行うもので、1890年代まで京阪地方で行われていたとされている。噺の冒頭部でも軒付けに行けと勧められた男が「・・・そんな、乞食みたいなことできまっかいな。」と答えて、「そら、何言うねん。乞食とちゃうで、金とらんと浄瑠璃聴かすんやで。」と窘められる件がある。だが、実際にはそれを口実に金銭を乞う行為も行われており、1842(天保13)年6月27日の大坂町奉行からの触書には「けた軒附杯と唱、物貰ニハ無之、素人ニて夜分町家軒先等へ行、唄、三味線、或ハ浄瑠璃杯をかたり候者右之由、風儀不宣候間、自今堅可相止候」とあり、翌年の触書にも「寒声寒弾」(「寒げいこ」の意)の名目で女性まで加わるのは風紀上好ましくないとあり、官憲の再三の取り締まりにもかかわらず大阪市民が盛んに行っていたことが窺われる。

参考文献[編集]

「藝能懇話 第12号」大阪藝能懇話会編 2000年