足立仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

足立 仁(あだち まさし、1897年明治30年〉11月13日 - 1978年昭和53年〉1月25日)は、日本の農学者微生物学者。妻は終戦時の首相・鈴木貫太郎の次女・みつ子。

略歴[編集]

東京都出身(北海道札幌市生まれ)。父は札幌農学校2期生で、横浜生糸検査所所長を務めた足立元太郎。姉は鈴木貫太郎の後妻・タカ(前述の妻・みつ子は鈴木の先妻の子)。1921年大正10年)に北海道帝国大学農学部農芸化学科卒業後、同大学助教授、台湾総督府高等農林学校教授などを経て、1929年(昭和4年)より台北帝国大学教授を務める。戦後、大阪府立大学玉川大学などの教授を歴任した。ちなみに、台北市昭和町に住んだ住居は現在も同地に保存され、レストラン「青田七六」として営業している[1]

1965年 北海道大学より 農学博士。論文の題は「Mikrobiologisch und Mikrobiochemische Untersuchungen uber die Rhizosphare der Kultur-pflanzen zur Verbesserung der Bodenfruchtbarkeit in den Tropen-und Subtropen-Bodenあ(熱帯及び亜熱帯における栽培作物の土地改良による根圏の微生物学的及び微生物化学的研究) 」[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 片倉佳史の台湾便り
  2. ^ 博士論文書誌データベース

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社『第十三版 大衆人事録 外地、満・支・海外篇』1940年

関連項目[編集]