足手荒神

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絵馬の代わりに手型や足型を奉納して治癒を祈願する。(嘉島町の甲斐神社

足手荒神(あしてこうじん)は、手足のである。民間信仰を起源とし、手足の病気や怪我に悩む者がその快癒を祈願するもので[1][2]信仰の特徴として手型や足型を奉納することが見られる[3]。中にはギプス松葉杖などを奉納するものもある[4]。他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もある[5]

信仰される地域は、秋田県福岡県熊本県大分県などで、四国に及んでいるとの報告もある。熊本県嘉島町甲斐神社(中郡甲斐神社)、熊本県大津町の西鶴甲斐神社[6]や、熊本県八代市医王寺[7]は、「足手荒神」と通称されている。熊本の玉名市、大分の大分市別府市などでは「手足荒神」と言う。

信仰の対象[編集]

熊本県八代市の医王寺や、熊本県阿蘇市西巌殿寺には、足手荒神として青面金剛が祀られているという[8][9]。青面金剛は、庚申信仰本尊であり、病魔退散の力を有するとされているものである[10]

一方で、西巌殿寺の足手荒神はお鏡石という丸い霊石が信仰の対象で、大分県竹田市飛田川や熊本県小国町の足手荒神などはこの分霊で、信仰圏は大野郡、直入郡、さらに宇和海を渡り四国にまで及ぶとの報告もある[11]

熊本市中央区にある本覚寺境内の足手荒神では、22世住職が掘り出したという五輪塔の丸石を祀り[12]、玉名市岱明町の手足荒神では、五輪塔の石を寄せ集めた六輪塔をご神体とする[13]

熊本県山鹿市の宗泉寺では、「足手三宝大荒神」を祀り[14]、八代市の医王寺についても、三宝荒神の文字と梵字が刻まれ、荒神の祭りが庚申祭りであるとの民俗学者による記録があり[15]、三宝荒神信仰との結びつきも見られる。

手足を負傷して死んだという武将甲斐親英(宗立)を祀る熊本県嘉島町の甲斐神社は足手荒神の総本社と称し、熊本県和水町菊池市下古閑集落の足手荒神、熊本県大津町の西鶴甲斐神社、荒尾市の府本甲斐神社、熊本県美里町の砥用甲斐神社(現在廃社)などは、この分霊を勧請したものという。

もっとも、同じ熊本の中でも、旧飽託郡の足手荒神について、手足の疾病のため敵に追いつかれて落命した託麻某という武士の後身であるとする、甲斐宗立とは別の伝来も報告されている[16][17]

また、別府市南立石の「手足荒神」は、やはり手足の疾病平癒を祈願し、手型足型を奉納するという信仰であるが、これにも手足を痛めていて不覚をとった武士についての由緒があり、概略は次のようなものである[18]慶長5年(1600年)、九州関ヶ原と言われる石垣原の戦い黒田如水大友義統)の前日の夜半、斥候中に崖から落ち、手足を骨折した黒田方の侍[注釈 1]が大友の兵に捕らえられた。侍は、『手を挫かずば、お前共の手に掛かる者ではない。切って手柄にせよ。死して百年の後まで、魂はこの世にとどまり、手足を挫いた者を救うであろう』と言い残し斬首された。哀れんだ大友の将・吉弘統幸が侍を手厚く埋葬したとの伝説、この合戦で傷を負った兵がこの地で傷を癒したとの伝説があり、手足を挫いた者がここを参詣すると不思議に治ることから、祠を建て「手足荒神」として信仰されるようになったのだという。元は個人の屋敷神であったらしいが[11][20]、その信仰圏は大分方面や速見郡などに広がっているとされる[11]

大分県九重町の二日市足手荒神社は、少彦名神などを祭神とし、薬師如来が刻まれた室町時代のものと推定される石造宝塔をご神体とする[21]。少彦名神も薬師如来も、医薬の神仏とされるものである[22]

信仰される地域[編集]

信仰される地域は、秋田県男鹿市[23][24][25]福岡県久留米市田主丸町[26]、福岡県三井郡大刀洗町[27]熊本県大分県大分市[28]、大分県竹田市[29][11]大分県豊後大野市[1][11]、大分県玖珠郡九重町[30]、大分県日田市[31]などである[32]。大分県からを越えて四国にも及んでいるとの報告もある[11]。また、大分県別府市には、「手足荒神」という同様の信仰があり[11][33][34]、大分方面、速見郡に広がりを見せているという[11]。「手足荒神」は大分市や熊本県玉名市岱明町にも確認されている[35]

各地の足手荒神[編集]

秋田県男鹿市福川の足手荒神
大宮神社境内の足手荒神(熊本県山鹿市)
西鶴甲斐神社(熊本県菊池郡大津町)
瀬川の足手荒神(熊本県水俣市)
医王寺境内の足手荒神(熊本県八代市)
本町の手足荒神(大分県大分市大字野津原)
手足荒神(大分県別府市南立石)
足手荒神社(大分県竹田市飛田川字天神)

※ 地名は現在のもの

秋田県[編集]

  • 足手荒神(秋田県男鹿市船川港本山門前)[23]
  • 足手荒神(秋田県男鹿市福川)[24][36] - 秋田県道304号払戸琴川線沿いにある石祠で、地元民からは「青竜さま」と呼ばれている。昭和50年代の前半までは、県道向い側の、現在はなくなった林に置かれていたとされる[37]。石祠には「福川村 肝煎 仁兵衛 長百姓 金四郎 佐治兵ヱ 仁三郎 外」との銘文がある[38]。『日本民俗図録』の写真を見た漫画家水木しげるがここを訪れ、数度にわたり「手足の神」として紹介した[39]ことで有名である[40]

福岡県[編集]

  • 草野の足手荒神(福岡県久留米市草野町)[41]

熊本県[編集]

  • 本覚寺境内の足手荒神〔上市守霊神〕(熊本県熊本市中央区横手1-14-20)[12]
  • 足手大荒神(熊本県熊本市西区河内町野出)[42]
  • 医王寺境内の足手荒神(熊本県八代市袋町5-34) - 足手荒神として信仰されている青面金剛堂は、松井氏八代城主時代における建造と伝えられ、八代市による有形民俗文化財の指定を受けている[43]。内部リンク先も参照。
  • 足手荒神(熊本県八代市日奈久東町)[44][45]
  • 足手荒神石塔、甲斐神社(熊本県荒尾市府本下区(敵見坂))[46]
  • 足手荒神(熊本県荒尾市樺(中平))[47]
  • 瀬川の足手荒神(熊本県水俣市幸町)[48] - 建立の時期や由来は不明。ご神体は波形模様のついた自然石[49]
  • 袋の足手荒神(熊本県水俣市袋) - ご神体は当初は自然石、現在は石造りの仏像[50]
  • 手足荒神(熊本県玉名市岱明町)[13]
  • 宗泉寺境内の足手三宝大荒神[14](熊本県山鹿市藤井999)
  • 大宮神社境内の甲斐神社〔足手荒神〕(熊本県山鹿市山鹿196)[51]
  • 足手荒神(熊本県山鹿市菊鹿町松尾(大林))[52]
  • 下古閑の足手荒神(熊本県菊池市小木) - 石造立像の荒神を祀る[53]
  • 黒竹の足手荒神(熊本県菊池市原)[53]
  • 金峯の足手荒神(熊本県菊池市重味)[53]
  • 焼野の足手荒神(熊本県菊池市班蛇口治部古閑)[53][54]
  • 足手荒神(熊本県上天草市大矢野町登立(成合津)) [55]
  • 足手荒神(熊本県上天草市松島町教良木)[56]
  • 西巌殿寺境内の足手荒神[57](熊本県阿蘇市黒川1114)
  • 西湯浦八幡宮境内の足手荒神[58](熊本県阿蘇市西湯浦)
  • 足手荒神(熊本県玉名郡玉東町木葉)[59]
  • 足手荒神(熊本県玉名郡玉東町上木葉(土生野))[59]
  • 立山の足手荒神[60]〔手足の神様〕(熊本県玉名郡和水町板楠)[61][62]
  • 足手荒神(熊本県玉名郡和水町日平(北迫)) - 「足手荒神さんのサカキ」と呼ばれる榊の大木がある[63]
  • 西鶴甲斐神社(熊本県菊池郡大津町大字室1030)[64][65] - 祭神として甲斐宗運を祀る[66]。3月15日に行われる「初市」は、この神社の市が始まりであった[67]
  • 足手荒神(熊本県阿蘇郡小国町大字宮原)[68] - 御用石工の下城徳松が、藩主の召に応じて熊本に向かう途中、足痛により歩くことができなくなったが、日頃信心する足手荒神に一心に祈ったところ軽快したという。また、その後、徳松が藩主の命による工事中、断崖から大石と共に落下し、腕をくじいた上、人事不省となり命が危ぶまれたが、足手荒神に祈念してほどなく全快したという。このことがあって、徳松が自ら堂宇を建立し、足手荒神の分霊を勧請したのが当地の足手荒神だという[69]。7月15日に足手荒神祭[70]
  • 足手荒神(熊本県阿蘇郡産山村田尻上田尻(上和田))[71]
  • 足手荒神社(熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字河陰5306-7)[72][73] - 甲斐宗運に殺された、宗運の三男・仙千代宣成を祀る[74]慶応2年(1866年)編纂の『南郷事蹟考』に「此墓ヲ十ヶ年計リ以前ヨリ足手荒神ト名ケテ尊敬スル者多シ」とある[75]。また足手荒神碑の前の石造りの花立に「天保拾弐年」(1841年)とあり、そのころからの信仰だと推定されている[76]
  • 甲斐神社〔中郡甲斐神社〕(熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2242)- 甲斐宗運の長男である甲斐宗立を足手荒神として祀る。
  • 福王寺境内の足手荒神(熊本県上益城郡山都町城平701)[77]
  • 大瀬田の足手荒神(熊本県八代郡氷川町高塚土穴瀬)[78]

大分県[編集]

  • 本町の手足荒神(大分県大分市大字野津原)[79][28]
  • 手足荒神(大分県別府市南立石一区5組-1)[80][11][33][81]
  • 足手荒神(大分県日田市前津江町赤石本村)[82]
  • 丸山公園内の足手荒神(大分県竹田市直入町大字長湯)[83]
  • 藤目の足手荒神(大分県竹田市直入町大字下田北藤目)[84]
  • 足手荒神(大分県竹田市久住町添ケ津留(米賀))[85][29][86]
  • 足手荒神社〔足手皇神〕(大分県竹田市飛田川字天神)[87][11][88]
  • 足手荒神(大分県竹田市飛田川字坂折)[89]
  • 足手荒神(大分県竹田市拝田原)[11]
  • 足手荒神(大分県竹田市次倉宮戸)[89]
  • 足手荒神(大分県竹田市次倉妙見)[89]
  • 足手荒神(大分県竹田市小野)[89]
  • 足手荒神(大分県竹田市刈小野)[89]
  • 二日市足手荒神社(大分県玖珠郡九重町大字松木)[30] - 当初は、玖珠川の支流・松木川にかかる松木橋のたもとにあったが、御守役の転居で荒れていたことから、明治34、5年ころに遷座、さらに昭和48年、参拝者の増加を受けて現在地に移したとされる[90]。崇敬者1万人と号し、4月10日と9月10日の大祭には大分県内のほか、福岡県方面、豊前地方からも集まった大勢の参拝者で賑わうという[91][92]

同種の習俗[編集]

足手荒神のみならず、手足の疾病・傷害の平癒を祈願した上、手型や足型を奉納する習俗は、日本各地で広く行われてきた[93]。その例としては、 岩手県北上市立花の千手観音堂[94]栃木県足利市五十部町の大手神社[95]新潟県村上市葡萄の河内神社[96]福井県三方上中郡若狭町三方石観世音[97]静岡県浜松市天竜区水窪町の足神神社[98]岡山県新見市大佐上刑部の足王様[99]福岡県福岡市東区蒲田の曾我神社[100]、 福岡県福岡市博多区吉塚の飛来神社[101]、 福岡県太宰府市太郎左近の太郎左近社[102]、 福岡県糸島市志摩稲留の瑠璃光寺[103]、 福岡県宗像市吉留の現人神社[104]、 福岡県篠栗町城戸の城戸千手観音堂(足手観音堂)[105]などがある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 坂石要は、松井康之(黒田如水と合流し、大友勢と戦った)の家臣とする[19]

出典[編集]

  1. ^ a b 『日本の神仏の辞典』21頁
  2. ^ 伊藤『宴と日本文化』130-131頁、(伊藤幹治 1994, p. 180-181)は、「民衆生活のなかから生まれた小さな神がみ」として、疣石さま、耳神、腰神とともに足手荒神を挙げる。
  3. ^ 『日本の神仏の辞典』21頁をはじめ、後掲する各所の足手荒神についての文献。
  4. ^ 例えば、今村『日本の民間医療』79頁は別府市南立石の手足荒神の奉納品として松葉杖を挙げ、『九州の民間信仰』245頁に掲載の「竹田市拝田原の足手荒神」の写真には奉納された複数の松葉杖が写り、『竹田市史 下巻』346-347頁は豊岡地区天神にある足手荒神の奉納品としてギプス・松葉杖を挙げる。
  5. ^ 『九州の民間信仰』186頁〔牛島盛光執筆〕、牛島『図説日本民俗誌』91頁
  6. ^ 『熊本県神社誌』163頁、『大津町史』1131頁
  7. ^ 『全国寺院名鑑』203頁、『熊本県の地名』728頁、『角川日本地名大辞典 熊本』121頁、『日本名刹大事典』24頁、『神社・寺院名よみかた辞典』432頁
  8. ^ 医王寺の青面金剛が足手荒神として祀られていることについては、医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市公式ホームページ白雲山 医王寺 - 九州八十八ヶ所百八霊場会。『角川日本地名大辞典 熊本』121頁には、青面金剛堂は足手荒神として参拝者が多いとある。なお、医王寺再興後の住職は玄竜という修験者であった。内部リンク先参照。
  9. ^ 窪『庚申信仰の研究』452頁は、西巌殿寺で足手荒神として祀られている石像は青面金剛で、「豪照」「豪海」という修験者らしき名が彫ってあるとする。
  10. ^ 大辞泉【青面金剛】
  11. ^ a b c d e f g h i j k 『九州の民間信仰』244頁〔松岡実執筆〕
  12. ^ a b 境内 - 六角堂観音本覚寺
  13. ^ a b 『岱明町史』1377頁
  14. ^ a b 高野山 宗泉寺について
  15. ^ 丸山『熊本県民俗事典』271頁
  16. ^ 赤峯「同情悲願の御利益」
  17. ^ 旧飽託郡内の足手荒神としては、熊本県熊本市西区河内町野出にある「足手大荒神」が地図上に確認できるが、託麻某の伝来をもつ足手荒神との関連は不明。
  18. ^ 矢島嗣久 2007, p. 74.
  19. ^ 坂石要 2003, p. 46.
  20. ^ 今村『日本の民間医療』79頁や『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕によれば、元は大木の根方に祀られていたという。
  21. ^ 大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』108頁、『九重町誌 下巻』816頁
  22. ^ 大辞泉【少彦名神】大辞泉【薬師如来】
  23. ^ a b 柳田『村のすがた』100-102頁の小稿「足手荒神」は、「秋田縣男鹿本山」「男鹿の本山の門前」(現・男鹿市船川港本山門前)の足手荒神を紹介。
  24. ^ a b 『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁は「足手荒神 秋田縣南秋田郡」の写真を載せる。『日本民俗図録』図版163頁も同じ写真を載せ、解説144-145頁には「秋田縣南秋田郡拂戸村」とあり、『雪国の民俗』213頁の同じ写真には「南秋田・拂戸」とある(払戸村は現在の男鹿市)。『雪国の民俗』を参考文献として挙げる『秋田民俗語彙事典』27頁の「足手荒神」の項には、男鹿半島若美町・払戸長根集落にある旨の記述があり、『秋田民俗事典』男鹿市10頁の「足手荒神」の項にも、払戸の長根集落にある旨の記載がある。
  25. ^ ほかに秋田県の足手荒神に触れたものとして、『日本妖怪大百科』34頁。同種の習俗がある福井県の三方石観音、岡山県の足王様とともに挙げる。
  26. ^ 『ムラの生活 下』379頁に、浮羽郡田主丸町大字野田字石王における個人祈願として、「草野の足手コウジン」での手足の病気平癒祈願が挙げられている。
  27. ^ 『ムラの生活 下』431頁に、三井郡大刀洗町大字守部における個人祈願として、足手荒神への手足の病気平癒祈願が挙げられている。
  28. ^ a b 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁
  29. ^ a b 『直入郡志』216頁、『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁、柳田『分類祭祀習俗語彙』454頁、『日本の神仏の辞典』21頁、染矢『日本の民俗 大分』140頁、民俗語彙データベース - 国立歴史民俗博物館サイト内(「アシテコウジン」で検索)
  30. ^ a b 北緯33度15分51.5秒 東経131度10分45秒 / 北緯33.264306度 東経131.17917度 / 33.264306; 131.17917
  31. ^ 前津江村(現・日田市前津江町)の足手荒神につき『民俗行事と伝説 前津江の文化財』53頁。また中津江村(現・日田市中津江村)にあった足手荒神を、道路拡幅工事に伴い、玖珠郡九重町の老健施設敷地内に移設したとの記事がある(西日本新聞 平成8年4月25日 朝刊 20頁)。
  32. ^ 柳田『村のすがた』102頁は、佐賀県神埼郡三瀬村(現・佐賀市)の脚気地蔵尊(脚気が治るとの霊験があるといい、木槌を奉納する。) や、東京都杉並区久我山の久我山稲荷神社にある庚申(病気平癒の霊験があるといい、を奉納する。)に木槌や砧を奉納するのは、手型、足型の奉納が変化した姿ではないかと推測する。
  33. ^ a b 今村『日本の民間医療』79頁
  34. ^ 染矢『日本の民俗 大分』140頁、『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕も「手足荒神」とする。一方、(坂石要 2003, p. 46)には、「足手荒社」とある。
  35. ^ 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁。『岱明町史』1377頁。後者は、呼び名が、一般的な「足手荒神」ではない理由は不詳とする。
  36. ^ 現在の住所表示としては、男鹿市福川になる(男鹿市ジオパーク学習センター特設コーナーができました! - 男鹿半島・大潟ジオパーク
  37. ^ 秋田魁新報平成27年12月1日「北斗星」、同月27日「ふるさと小紀行」、
  38. ^ 『若美町の石造遺物(第二集)』
  39. ^ 水木「手足の神」、水木『水木しげるの妖怪事典』、水木『妖怪画談』。「手足の神」には「秋田県南秋田郡若美町払戸」、『水木しげるの妖怪事典』には「秋田県若美町払戸にある」、『妖怪画談』には「民俗学図録を見ていたら」「秋田県若美町払戸というところ」とある。
  40. ^ 久保田『「日本の神さま」おもしろ小事典』76頁
  41. ^ 『ムラの生活 下』379頁、『久留米市史 第5巻』409頁、427頁
  42. ^ 北緯32度50分14.5秒 東経130度37分15.1秒 / 北緯32.837361度 東経130.620861度 / 32.837361; 130.620861
  43. ^ 医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市
  44. ^ 北緯32度26分1.5秒 東経130度34分39.5秒 / 北緯32.433750度 東経130.577639度 / 32.433750; 130.577639
  45. ^ 「八代の民俗」389-391頁、『角川日本地名大辞典 熊本』1267頁
  46. ^ 足手荒神石塔:遺跡ウォーカー、『荒尾市史』552頁
  47. ^ 『荒尾市史』552頁
  48. ^ 北緯32度12分47.6秒 東経130度24分19.4秒 / 北緯32.213222度 東経130.405389度 / 32.213222; 130.405389
  49. ^ 『新水俣市史』327頁
  50. ^ 『新水俣市史』404-405頁
  51. ^ 同社発行「大宮神社御由緒」の境内図
  52. ^ 『菊鹿町史 本編』1112頁
  53. ^ a b c d 『菊池市史 下巻』522頁
  54. ^ 焼野の足手荒神:遺跡ウォーカー、『九州・沖縄の民間療法』196頁〔林幹彦執筆〕
  55. ^ 足手荒神 - なごみ紀行 くまもと、浜名『天草伝説集』24-25頁
  56. ^ 北緯32度28分8.4秒 東経130度23分23.5秒 / 北緯32.469000度 東経130.389861度 / 32.469000; 130.389861
  57. ^ 窪『庚申信仰の研究』452頁、『九州の民間信仰』244頁〔松岡実執筆〕、『九州・沖縄の民間療法』148-149頁〔小玉洋美執筆〕
  58. ^ 熊本日日新聞 平成4年11月17日 朝刊 27頁
  59. ^ a b 『玉東町史 通史編』1202頁
  60. ^ 熊本県のメールマガジン「気になる!くまもと」 第184号関連情報サイト、『三加和町史 下巻』98頁
  61. ^ 和水町観光マップ・観光イベント - 観光情報。手足の神様の他、同町には胃の神様、命の神様、いぼの神様、性の神様、歯の神様、耳の神様、目の神様があり、「八つの神様めぐり」とされている。
  62. ^ ここを紹介した書籍に、勝瀬『九州の東の端から西の果てまで里山遠足』72-79頁
  63. ^ 『菊水町史』97頁
  64. ^ 北緯32度52分43.7秒 東経130度51分39.2秒 / 北緯32.878806度 東経130.860889度 / 32.878806; 130.860889
  65. ^ 大津町 室町、『角川日本地名大辞典 熊本』1428頁
  66. ^ 『大津町史』1131頁、『熊本県神社誌』163頁
  67. ^ 大津町 その他のイベント
  68. ^ 北緯33度7分20.8秒 東経131度4分2.5秒 / 北緯33.122444度 東経131.067361度 / 33.122444; 131.067361
  69. ^ 『小国郷土誌』153頁、『小国郷史』615頁、森田『熊本県の歴史』付録51頁
  70. ^ 『日本祭礼地図 2』300頁
  71. ^ 『産山村誌』1247頁、1254-1255頁
  72. ^ 足手荒神社 - 南阿蘇村ホームページ
  73. ^ ここについての文献に、牛島『図説日本民俗誌』91頁、今村「芥神(あくたがみ)と足手荒神」31頁、『角川日本地名大辞典 熊本』1306頁
  74. ^ 『肥後国誌 下 復刻版』584頁、今村「芥神(あくたがみ)と足手荒神」30-31頁
  75. ^ 『肥後国誌 下 復刻版』584頁
  76. ^ 『久木野村誌 第1巻』142頁
  77. ^ 熊本県文化財調査報告第21集 濱の館103頁、広報やまと平成25年2月号(第108号)12頁
  78. ^ 高塚五輪塔群:遺跡ウォーカー、『竜北村史』207-208頁、熊本県文化財調査報告第34集 五ッ穴横穴群117頁、120頁
  79. ^ 北緯33度9分40.4秒 東経131度31分34.7秒 / 北緯33.161222度 東経131.526306度 / 33.161222; 131.526306
  80. ^ 北緯33度17分5.1秒 東経131度28分35.8秒 / 北緯33.284750度 東経131.476611度 / 33.284750; 131.476611
  81. ^ 染矢『日本の民俗 大分』140頁、『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕、『別府市誌』589頁
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  86. ^ 『農村舞台探訪』216頁、『久住町誌』534-535頁
  87. ^ 北緯32度57分57.4秒 東経131度23分1.6秒 / 北緯32.965944度 東経131.383778度 / 32.965944; 131.383778
  88. ^ 『角川日本地名大辞典 大分』339-340頁、953頁、『竹田市史 下巻』346-347頁、373頁、『竹田奇聞 中編』100-101頁、大分合同新聞 昭和58年2月24日 夕刊3頁
  89. ^ a b c d e 『竹田市史 下巻』346-347頁
  90. ^ 帆足サカヱ「二日市足手荒神」『九重寿大学研究資料集 4集』6頁、大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、「広報ここのえ」588号18頁
  91. ^ 大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』109頁
  92. ^ 二日市足手荒神に関するその他の文献として「研究ノート 大分県の民具(二)」36頁、大分合同新聞 平成3年7月10日 朝刊13頁、『九重町誌 下巻』816-817頁
  93. ^ 柳田『分類祭祀習俗語彙』454頁、立川『病気を癒す小さな神々』298頁
  94. ^ 『願い・奉納物』148-149頁
  95. ^ 『願い・奉納物』134頁
  96. ^ 『江戸時代の民間信仰』今様願掛重宝記2頁
  97. ^ 今村『日本の民間医療』79-80頁、『日本宗教民俗図典』80-81頁、『願い・奉納物』138-139頁、岩井『暮しの中の神さん仏さん』213頁
  98. ^ 『願い・奉納物』63-63頁、立川『病気を癒す小さな神々』298頁
  99. ^ 『綜合日本民俗語彙 第1巻』25頁、民俗語彙データベース - 国立歴史民俗博物館サイト内(「アシオウサマ」で検索)
  100. ^ 立川『病気を癒す小さな神々』308頁
  101. ^ 『九州・沖縄の民間療法』196頁〔佐々木哲哉執筆〕、立川『病気を癒す小さな神々』308頁
  102. ^ 立川『病気を癒す小さな神々』297-298頁
  103. ^ 『願い・奉納物』168-169頁
  104. ^ 『九州・沖縄の民間療法』196頁〔佐々木哲哉執筆〕、岩井『暮しの中の神さん仏さん』214頁
  105. ^ 篠栗四国八十八箇所霊場第七十一番札所

参考文献[編集]