足利三代木像梟首事件

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足利三代木像梟首事件(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)は、幕末文久3年2月22日1863年4月9日)に、京都等持院にあった室町幕府初代将軍足利尊氏、2代・義詮、3代・義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件である。

概要[編集]

犯人は伊藤嘉融・梅村真一郎(島原藩)、石川一(鳥取東館新田藩)、岡元太郎・野呂久左衛門(岡山藩)、中島錫胤(徳島藩)、北村義貞(姫路藩)、角田忠行岩村田藩)、三輪田元綱、師岡正胤、青柳高鞆、長尾郁三郎、西川吉輔、高松平十郎(北辰一刀流虎韜館師範代)、宮和田勇太郎、小室利喜蔵ら、平田国学の門人とされ、会津藩士の大庭恭平・長沢真事も関与し、足利将軍3代を逆賊とする罪状が掲げられた。それまでの天誅は、開国派や公武合体派であった個人を狙ってのものが大半であったが、この事件では足利将軍の木像を梟首することで暗に倒幕の意味を持つものとして重視された。

事件は江戸で公募された浪士組の上洛直前にあたり、挑発的行為とも考えられている。京都守護職松平容保は、この事件に激怒。犯人捕縛を命じ、浪士の一斉蜂起も懸念されたが、4月には犯人は逮捕され、6月には処罰される。事件後は浪士取締りが強化する。

事件の影響[編集]

容保は、それまで倒幕派の者とも話し合っていく「言路洞開」と呼ばれる宥和政策を取っていたが、一転して壬生浪士(後の新選組)などを使う事となる。

関連項目[編集]