越中哲也

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越中 哲也(えっちゅう てつや、1921年12月13日[1] - )は、長崎市出身の郷土史家。長崎歴史文化協会では理事長を務めていた[2]

略歴[編集]

長崎の民話「飴屋の幽霊」(毎年8月16日が御開帳日となる「産女の幽霊像」も光源寺で保管[3])の話の舞台になった光源寺の息子として生まれる。長崎県立長崎中学校龍谷大学文学部仏教学科卒業後、徴兵され戦地へ。復員後は長崎市立博物館に学芸員として勤務、1974年(昭和49年)館長に就任。

定年退職の翌年にあたる1982年(昭和57年)[2]、長崎歴史文化協会を設立し理事となり現在に至る。1983年(昭和58年)、当時の純心女子短期大学英米文化科教授に就任し1996年(平成8年)3月まで務めた。1998年(平成10年)、長崎純心大学長崎学研究所の研究員となる。2001年(平成13年)、母校龍谷大学から第12回龍谷賞を受賞[4]

エピソード[編集]

長崎ぶらぶら節』にも登場する長崎学の第一人者、古賀十二郎の孫弟子にあたる。長崎では長崎くんち精霊流しの季節になると、解説者としてテレビ(主に長崎放送)に出演していた[5]

毎年精霊流し中継で解説の際、「来年は、私が精霊流しの船に乗ります」という趣旨の言葉で番組を締めるのが恒例となっていた[5]。2019年8月の放送でテレビ解説からの引退を表明するまで、約40年間に渡り出演していた[6][7]

ローカル放送のコマーシャル出演実績[8]もあるほか、長崎歴史文化観光検定のテキスト本の総監修も務めている[9]2011年からはNHK長崎放送局でんでらフライデー』のご意見番としても出演した。

著書[編集]

  • 若宮稲荷神社史』若宮迅社奉讃会 1975年
  • 『長崎の西洋料理―洋食のあけぼの』第一法規出版 1982年
  • 『長崎のべっ甲』長崎鼈甲商工協同組合 1983年

編著共著[編集]

校注[編集]

  • 『長崎文献叢書 第2集 第1巻 長崎古今集覧名勝図絵』石崎融思 [著] 註解 長崎文献社 1975
  • 『長崎文献叢書 第2集 第5巻 寛宝日記と犯科帳』森永種夫共校著 長崎文献社 1977

脚注[編集]

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ a b 長崎歴史文化協会 事業概要 - (株)長崎経済研究所(2011年7月11日閲覧)
  3. ^ ヤフーニュース2014年8月17日
  4. ^ [1] 龍谷大学・龍谷賞歴代受賞者
  5. ^ a b 長崎学と越中先生”. 長崎経済研究所. 2018年11月20日閲覧。
  6. ^ 15seconds_man [@林田 繁和]. "解説は今年で退きたいという突然のお申し出。何とか来年もとお願いしましたが、御意志は固く。本当に残念です。
    約40年間もの長きにわたりお世話になりました。とても寂しいお盆になりました。"
    (ツイート). Retrieved 2019年8月17日 – via Twitter.
  7. ^ applenbc [@NBCあっぷる]. "きのう深夜の精霊流しの番組で、
    越中哲也先生が番組解説勇退を発表しました。そこで、…"
    (ツイート). Retrieved 2019年8月17日 – via Twitter.
  8. ^ 2012年(平成24年)11月現在、地元長崎市の企業、岩崎本舗が製造する長崎角煮まんじゅうのテレビコマーシャルに出演している。
  9. ^ 『長崎歴史文化観光検定公式テキストブック』 長崎文献社 2009年11月 ISBN 9784888510394
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外部リンク[編集]