赤間清松

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赤間 清松(あかま きよまつ、1935年3月4日 - )は、日本の騎手新潟競馬場大井競馬場)、調教師(大井競馬場)。宮城県出身。新潟競馬場の調教師赤間松次は弟、金沢競馬場の調教師赤間昭松は兄、金沢競馬場の調教師赤間享は甥。

騎手時代の勝負服の登録服色は「胴緑、白星散らし」。

来歴[編集]

父親が東北地方地方競馬で騎乗する騎手で、親族の多くが地方競馬の競馬関係者という家庭環境に生まれ、自らも騎手を志した。騎手時代は新潟競馬場でデビューし、まもなく大井競馬場小暮嘉久厩舎へ移籍。数多くの名騎手を輩出した小暮門下の一員として鍛えられ、その才能が開花する。

引退までの間に通算2885勝を挙げたほか、1975年にはゴールデンリボーに騎乗し南関東三冠を達成。また南関東の「大レースに滅法強い騎手」の元祖とも言える存在であり、東京ダービー(6勝)、羽田盃(7勝)、東京大賞典(3勝)などでレース史上最多優勝を達成するなど、騎手として一流の実績を築いた。

1984年に体力的な理由から騎手を引退して調教師となった。赤間は騎手時代から中央競馬を強く意識しており、調教師となってからも管理馬を積極的に中央競馬の地方競馬招待レースに出走させ、1991年には管理馬のジョージモナークオールカマーに優勝した。当時は地方競馬所属馬が出走できる中央競馬のレースは極めて限られており、赤間にとって長年の夢が結実した瞬間であった。その後もジャパンカップフェブラリーステークスなどに管理馬を出走させ、地方競馬の代表的な調教師のひとりとして中央競馬のファンに認識された。

2008年1月1日付けで調教師を勇退した。

エピソード[編集]

  • 騎手時代の最晩年は減量に苦しみ、本来は馬の飼い葉に混ぜるニンニク味噌を食事の主菜にしてどうにかしのいでいたという(東京シティ競馬中継でのインタビューの際の本人のコメント)。
  • 調教師としては所属騎手だった内田博幸を南関東トップジョッキーに育て上げたが、内田に対する指導の厳しさはかなりなもので、鉄拳制裁が日常茶飯事だったという。

成績[編集]

騎手時代[編集]

通算2885勝。おもな勝ち鞍は以下のとおり。

調教師時代[編集]

地方競馬4345戦653勝、中央競馬21戦1勝。

外部リンク[編集]