赤い鳥 (フォークグループ)

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赤い鳥
出身地 日本の旗 日本 兵庫県尼崎市
ジャンル フォークソング
活動期間 1969年 - 1974年
レーベル 東芝EMIレコード
日本コロムビア
原盤制作アルファ・ミュージック
共同作業者 ハイ・ファイ・セット
紙ふうせん
ハミング・バード
村井邦彦
旧メンバー 後藤悦治郎(ギター
山本潤子ボーカル、ギター)
平山泰代(ボーカル、ピアノ
山本俊彦(ギター)
大川茂(ベース
渡辺俊幸ドラムスキーボード
松田幸一ハーモニカパーカッション
大村憲司(ギター)
村上“ポンタ”秀一(ドラムス)

赤い鳥(あかいとり)は、日本の音楽グループ。1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散。

経歴[編集]

グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。
デビュー前は松田幸一も参加していた。

1969年4月に赤い屋根の家(兵庫県尼崎市武庫之荘にある公民館:現在、屋根は赤く無い)でコンサートを開催した。
余談だがその当時近所に住んでいた大村崑夫人にギターを教えたのは後藤悦治郎だった。

赤い鳥は最初、後藤悦治郎と平山泰代の二人が日本民謡を独自のやり方で取り上げたデュエットだった[1]。山本俊彦と新居潤子(1973年4月に山本と結婚し、山本潤子)は、谷村新司らと「ヒルビリー・シンガーズ」というコーラス・グループをやっていて[1]、アマチュアコンサートで一緒になったとき、後藤に音楽性を買われ、大川茂を合わせた五人編成で「赤い鳥」が結成された[1]。後期にはウッドストックの影響で、ロック色の強い音作りをしたが[1]、基本的には赤い鳥は民謡とフィフス・ディメンションのようなコーラスものの両方をレパートリーにした[1]

1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。
竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得した。
この時、オフコース(当時は「ジ・オフ?・コース」として)、チューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」として)も出場していた。
財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったという。

1970年4月、ヨーロッパ旅行に出発、イギリス、ロンドンでレコーディング。
6月に日本コロムビアからシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。
9月、東芝EMIレコード/Liberty レーベルに移籍。
10月、合歓ポピュラーフェスティバル'70に出場、「翼をください」で新人奨励賞を受賞。

1971年1月から1972年6月まで、竹田一彦カルテットがバックバンドとして協力。
1971年2月発売の「竹田の子守唄/翼をください」が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。

1972年7月、渡米、レコーディング。

メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ、1974年2月後藤と結婚)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(1973年4月に山本と結婚し、山本潤子)(ボーカル・ギター)、大川茂(ベース、1969年6月加入、1972年8月アメリカ合衆国カントリーチャーチで結婚)の5名。後期には、大村憲司(ギター、1972年2月から1973年4月)、村上秀一(ドラム、1972年6月から1973年4月、村上“ポンタ”秀一)、渡辺俊幸(ドラム・キーボード、1973年4月から)を加える。

各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループであった。各地の子守唄・伝承されている歌などを美しいコーラスワークで聴かせる傍ら、トニー・マコーレイ(en:Tony_Macaulay)などの曲提供によりアルバムを発表するなどいわゆるソフトロック的な音楽性も兼ね備えていた(そのため、関西地区で結成されたグループであるが、関西フォークとは一線を画していた)。路線対立から1974年9月に解散。事実上、下記の通り3分割されることになった。

解散後[編集]

その後、後藤・平山の夫妻は「紙ふうせん」、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」、渡辺は「ハミング・バード」を結成した。

紙ふうせんはフォークのあり方を追求し、ハイ・ファイ・セットは荒井由実ジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げた。ハミング・バードは赤い鳥の後期を継承するような音楽性を展開したが、アルバム1枚とシングル数枚で解散した。また、渡辺俊幸は1976年さだまさしのバックボーンとなってプロデュース・編曲・バックバンドのメンバーなどで活躍した。グレープ解散後さだは渡辺と新ユニットの結成も模索していたといわれる。

1983年には大阪府万博球場で再結成コンサートが行われた。

1991年、後藤・平山夫妻は新グループ(ユニット)「TSU-BA-SA」を結成した。2人のメンバーを新たに加えた4人編成で、90年代中頃まで活動を行っていた。赤い鳥の再結成と見られる事があったが、あくまでも後藤夫妻のプロジェクトである。 大川茂は1995年、横浜市青葉区の食料品店の事務所荒らしで見張りとして(共犯)逮捕。音楽活動には戻っていない。

代表曲[編集]

1971年「竹田の子守唄」のB面曲として発売。合唱曲として有名となり、既に1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。1991年川村かおり(川村カオリ)がカバーしてヒット。山本潤子は赤い鳥解散後、ハイ・ファイ・セット時代、ソロ前期と、この唄に限らず赤い鳥時代の歌を封印していた。しかし、この歌が合唱曲となり、我が子までもが知っていたことがきっかけでまた歌うようになった。1998年サッカーワールドカップの際には、サッカー日本代表チームの応援歌として、山本潤子が歌いヒットした。曲をモチーフにしたドラマも放映された。「翼を下さい」と表記される事もあるが、厳密には『翼を下さい』と表記した場合は、後年制作され、『赤い鳥』としてもシングル発売した英語バージョンを指す。
実在の伝承曲を原曲にうたごえ運動とともに広まった楽曲のカバー。1969年「お父帰れや」のB面曲としてURCから会員に発売。1971年メジャー発売されて大ヒットした。一般的にはどこかの民謡としか捉えられておらず、政治的要素よりも美しさでヒットした。ところがその後、被差別部落地区に伝わる子守唄を元にしているという理由で自粛され、長い間テレビ・ラジオから姿を消すことになり幻の曲となっていた。結局赤い鳥の被差別部落由来の曲はこの曲だけであった。1995年発売の『これぞ決定盤! フォーク・ソング伝説』で初CD化。その他CDでは1998年発売の『URCシングルズ2』、1999年発売の『赤い鳥シングルズ』、2003年発売の12枚組ボックス・セット『赤い鳥 コンプリート・コレクション 1969-1974』および藤田正の著書『竹田の子守唄―名曲に隠された真実』(2003年2月、解放出版社ISBN 4759200231)の付録CDに収録。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  1. 『FLY WITH THE RED BIRDS』(YS-10085 JA=1970年6月10日、再発CD-7148=1975年9月25日)
    アンブレラ/ア・フール・オン・ザ・ヒル/マイ・マイ・マイ AS THE TIME FLIES BY(MY MY MY)/黒い雨/ザ・ラスト・トレース・オブ・ラヴィング・ハズ・ゴーン/キャンドル・イン・ザ・ウィンド/ブールヴァード・セイント・ミカエル/シティ・オブ・ザ・エンジェルス/人生/最後の汽車 SOUTHERN SPECIAL/恋はフィーリング THAT SAME OLD FEELING/何かがやってくる LOVING YOU
  2. 『RED BIRDS』(LPC-8030、1970年10月5日)
    誰のために/コンドルは飛んで行く/ビートでジャンプ/恋よさようなら/YOU'VE MADE ME SO VERY HAPPYWIGHT IS WIGHT明日に架ける橋/希望/サン・ホセ[要曖昧さ回避]への道/青春の光と影/悲しみのジェット・プレイン/LET IT BE/小さな歴史
  3. 『WHAT A BEUTIFUL WORLD』 (LTP-9017、1971年3月5日)
    ビューティフル・ワールド/ラヴ・ヒム/アイム・ゴナ・メイク・イット・ハプン/メイビー・イット・クッド・ビー・ミー/美しい朝/トラベリン・イージー/マリポサ/スウィート・モーニング・レイン/サニー・スマイル・オヴ・ラヴ/レイニー・デイ/ウィール・オブ・ラヴ/フライ
  4. 『竹田の子守唄』(LTP-9034、1971年7月25日)
    プロローグ、撃墜王リヒトホーフェンフォッカー Dr.I 三葉戦闘機/河/言葉にならない言葉/旅/上村の子守唄/美しくも哀しい人生/翼をください/忘れていた朝/田舎ぐらし/赤い花白い花/朝陽の中を/太陽/竹田の子守唄
  5. 『スタジオ・ライヴ』(LTP-9049、1971年12月20日)
    君の友だち YOU'VE GOT A FRIEND/レクイエム REQUIEM/エーメン AMEN/カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー COME AND GO WITH ME/窓に明りがともる時/ビューティフル・ワールド WHAT A BEUTIFUL WORLD (we're living in now)/翼をください/もうっこ/ちっちゃな子守唄 A NEW LULLABY/竹田の子守唄/河/フィンランディア~レクイエム・エーメンより SONGS OF FINLAND
  6. 『パーティー』 (LTP-9063=1972年7月26日、ALCA-417=CD廃盤)
    特急列車/サザン・スペシャル/二人/白い墓/茶色のはっぱ/私はペンキ屋になるだろう/パーティーへおいでよ/小鳩たちの家/こわれた世界/鬼憂 ONEW/鳥のように/紙風船
  7. 『美しい星』 (LTP-9068=1973年1月6日、ALCA-418=CD廃盤)
    翼をください I WOULD GIVE YOU ANYTHING美しい星/まつり/月曜日はブルーな日 IT MIGHT AS WELL STAY MONDAY (FROM NOW ON)/花吹雪/指きりげんまん/赤い屋根の家/みちくさ/せみしぐれ/走馬燈/どこに帰ろう/窓に明りがともる時
  8. 『祈り』 (LTP-9077=1973年6月20日、ALCA-9163=CD廃盤)
    無の世界~誕生/めざめ/砂絵/尺取虫/マリブー/大地の怒り/らくだちゃん/雨/虹を歌おう/誰が鳥を/星/石/記憶/祈り
  9. 『ミリオン・ピープル~赤い鳥コンサート実況録音盤』 (LTP-8277-78、1973年12月25日)
    アーメン・コーラス AMEN CHORUS~from HENDELS MESSIAH/河/雨/竹田の子守唄/誰が鳥を/朝陽の中を/もうっこ/窓に明りがともる時/言葉にならない言葉/美しくも哀しい人生/花吹雪/忘れていた朝/美しい星/二人/小さな子守唄/紙風船/放浪者の子守唄/気ままな旅/もう一度帰ろう/翼をください/僕の歌
  10. 『書簡集~ラスト・アルバム』 (LTP-85010、1974年7月5日)
    卒業/夕陽おちる国のうた/ラヴレター/くさひばり/雪のふる夜は/いかつり唄/さりげなく/雨の日暮れ/流れ星/ほたる/君を探して/帰り道

シングル[編集]

  1. 「お父帰れや/竹田の子守唄」(1969年10月1日)
    • メジャーデビュー前のURCからのリリース
  2. 「人生/赤い花白い花」 (Z-6-JA、1970年6月25日)
  3. 「誰のために/小さな歴史」 (LP-1212、1970年9月25日)
  4. 「竹田の子守唄/翼をください」 (LP-1220、1971年2月5日)
  5. 「美しい朝/SWEET MORNING RAIN (LTP-2338、1971年3月5日)
  6. 「忘れていた朝/言葉にならない言葉 (LTP-2489、1971年7月25日)
  7. 「河/旅 (LTP-2539、1971年12月1日)
  8. 「赤い屋根の家/どこに帰ろう (LTP-2424、1972年3月5日)
  9. 「二人/鳥のように (LTP-2711、1972年7月25日)
  10. 「翼を下さい(英語版)/月曜はブルーな日 (LTP-2746、1972年11月20日)
  11. 「まつり/美しい星 (LTP-2796、1973年2月5日)
  12. 「みちくさ/窓に明りがともる時 (LTP-2717、1973年4月5日)
  13. 「紙風船/赤い花白い花 (LTP-2854、1973年5月20日)オリコン週間9位
  14. 「風は旅人/白い花」(LTP-2908、1973年9月20日)
  15. 「僕のうた/もう一度帰ろう」 (LTP-2978、1974年2月5日)

NHKみんなのうた[編集]

テレビドラマ主題歌[編集]

CMソング[編集]

  • ラブリー・チェリー 日産CMソング
  • 旭化成の唄 CMソング
  • THE REAL LIFE コカ・コーラ 1971年CMソング
  • グリーン&キユーピー CMソング
  • おめざめいかが 資生堂 1973年ウインターCMソング
  • 全日空SKY & SKY CMソング
  • グリコプリッツ」 CMソング(本人たちも出演)
  • ブラザー「ペースセッター」 CMソング
  • ヤマカツパール CMソング
  • さっぽろの心をあなたに <五番館全館オープン記念>
    • 1972年10月、札幌五番館デパート(後の札幌西武 現在閉店)が新館オープンを記念し製作されたソノシート。企画・製作:DENTSU 作詞:林春生 作曲:淡の圭一。キャッチフレーズは、「カラフルワイド五番館」。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 村田久夫・小島智編 「山本潤子インタビュー」『日本のポピュラー史を語る―時代を映した51人の証言』 シンコーミュージック1999年10月14日、204-207頁。ISBN 4-401-613-40-6