賀子珍
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| 賀子珍 | |
|---|---|
![]() 娘・李敏と(1947年) | |
| プロフィール | |
| 出生: |
1910年9月20日 (宣統2年8月17日) |
| 死去: | 1984年4月19日 |
| 出身地: |
|
| 職業: | 政治家 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 賀子珍 |
| 簡体字: | 贺子珍 |
| 拼音: | Hè Zǐzhēn |
| 和名表記: | が しちん |
| 発音転記: | ホー ズーヂェン |
賀 子珍(が しちん、1910年9月20日 - 1984年4月19日)は中華人民共和国の政治家。毛沢東の3番目の妻。
1926年に中国共産党に入党、1928年に毛沢東と結婚する(毛の2番目の妻の楊開慧の在世中に結婚)。1938年にソ連にわたり東方大学に学ぶが、精神不安定に陥り精神病院に強制入院。1947年の解放後帰国。この間、賀子珍不在のまま、毛沢東は1939年に江青と結婚していた。
1959年に廬山会議に出席していた毛沢東と再会するが、江青が廬山にやってきたために途中で帰される[1]。文化大革命で江青に迫害された。1979年に名誉回復、中国人民政治協商会議委員となった。
毛沢東との間に、李敏をもうける。その他、毛沢東との間には他に5人の子を儲けたとされるが、うち3人は戦争の中で里子に出されるなどし消息不明、1人は早世、最後の子は留学先のモスクワで産むが、その子が夭折したことが精神錯乱の原因になったといわれる。
