賀子珍

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賀子珍
1947 Mao'wife He Jijen.jpg
娘・李敏と(1947年)
プロフィール
出生: 1909年9月
死去: 1984年4月19日
出身地: 清の旗 江西省吉安府永新県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 賀子珍
簡体字 贺子珍
拼音 Hè Zǐzhēn
和名表記: が しちん
発音転記: ホー ズーヂェン
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賀 子珍(が しちん、1909年8月 - 1984年4月19日)は中華人民共和国政治家毛沢東の3番目の妻。

1926年中国共産党に入党、1928年に毛沢東と結婚する(毛の2番目の妻の楊開慧の在世中に結婚)。1938年ソ連にわたり東方大学に学ぶが、精神不安定に陥り精神病院に強制入院。1947年の解放後帰国。この間、賀子珍不在のまま、毛沢東は1939年江青と結婚していた。

1959年廬山会議に出席していた毛沢東と再会するが、江青が廬山にやってきたために途中で帰される[1]文化大革命で江青に迫害された。1979年に名誉回復、中国人民政治協商会議委員となった。

毛沢東との間に、李敏をもうける。その他、毛沢東との間には他に5人の子を儲けたとされるが、うち3人は戦争の中で里子に出されるなどし消息不明、1人は早世、最後の子は留学先のモスクワで産むが、その子が夭折したことが精神錯乱の原因になったといわれる。

脚注[編集]

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  1. ^ その前、1949年に妹・賀怡(毛沢東弟・毛沢覃妻)を通じて再会の機会があったが、賀怡の謎の交通事故死により連絡が途絶え、会うことはできなかった。