責稽王

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責稽王
Baekje-monarchs(4-14).PNG
各種表記
ハングル 책계왕
漢字 責稽王
発音 チェッキェワン
日本語読み: せきけいおう
ローマ字 Chaekgye-wang
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責稽王(せきけいおう、生年未詳 - 298年)は百済の第9代の王(在位:286年 - 298年)であり、先代の古尓王の子。『三国史記』百済本紀・責稽王紀の分注では青稽王、『三国遺事』王暦では責替該(王)の別名も記される。は伝わっていない。286年11月に先王の死去に伴い、王位についた。

治世[編集]

即位するとともに慰礼城を修復した。責稽王は帯方郡の太守の娘の宝菓を夫人としていた関係から、帯方が高句麗に攻められたときに救援要請に応じ、帯方を救った。この後、百済は高句麗との緊張関係に入り、王は阿且城(ソウル特別市城東区)・虵城を修復し、高句麗の侵入に備えた。

298年9月、漢[1]とともに侵攻してきたので、王は城を出てこれらと戦ったが、敵兵に殺された。在位13年。

脚注[編集]

  1. ^ 『三国史記』百済本紀・責稽王紀には漢と記されているが。すでに漢はなく、楽浪郡を指すものと考えられている。

参考文献[編集]