豊橋ハリストス正教会

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豊橋ハリストス正教会
聖使徒福音記者マトフェイ聖堂の全景

豊橋ハリストス正教会(とよはしハリストスせいきょうかい)は、日本ハリストス正教会に所属し、聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(せいしとふくいんきしゃマトフェイせいどう・愛知県豊橋市八町通に所在)を有する、正教会教会である。聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は国の重要文化財

概要[編集]

豊橋ハリストス正教会
聖使徒福音記者マトフェイ聖堂

豊橋ハリストス正教会は日本正教会の教会であり、西日本主教区に所属する。日本正教会の西日本主教区は愛知県までを管轄しており、豊橋ハリストス正教会は西日本主教区に所属する教会の中では最も東に位置している。現在の管轄司祭はイサイヤ酒井以明神父。イサイヤ酒井以明神父の父も正教会の司祭である(現在、引退している)。1972年から1999年までは、現在の日本正教会の首座主教であるダニイル主代郁夫府主教が(主教叙聖される前に司祭として)、管轄司祭を務めていた。

聖堂は1984年に県指定有形文化財に指定され、2008年には国の重要文化財に指定された(指定名称は「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」)[1]

名称[編集]

「豊橋ハリストス正教会」は教会の名であり、聖堂の正式名は聖使徒福音記者マトフェイ聖堂である[2]。「ハリストス」とはキリストの、中世以降のギリシャ語ロシア語読み。「マトフェイ」は中世ギリシャ語の読みがスラヴ語に転写されたものを片仮名転写したもので、キリストの十二使徒の一人マタイを表す。マタイが漢字に転写された馬太の表記を使用した「聖使徒福音者馬太(まとふぇい)聖堂」との漢字表記もある。名前の通り、福音記者マトフェイを記憶する聖堂である。

聖堂の特徴[編集]

豊橋ハリストス正教会
聖使徒福音記者マトフェイ聖堂
山下りんによる『主の昇天』

現在の聖堂は、初代管轄神父マトフェイ影田(かげだ)神父の叙聖35周年を記念して建築され、1913年に完成したものである。木造下見板張り銅板葺きで、建築様式はビザンティン建築ロシア建築の影響を受けている。

愛知県南知多町出身の建築家であり神品 (正教会の聖職)でもあったモイセイ河村伊蔵輔祭、のち司祭となる)[3]が、京都ハリストス正教会をモデルに西洋風のドーム(クーポラ)を造った。河村は函館ハリストス正教会の設計監督にも当たっているほか、松山大阪釧路の正教会聖堂も設計。その経験を生かした集大成が豊橋の聖堂である。河村の息子(内井進)と孫(内井昭蔵)も建築家であり、特に孫のガウリイル内井昭蔵皇居吹上御苑の新御所や世田谷美術館の設計でも知られている。

この聖堂は保存状態が良好な装飾の少ない簡素な建築物であり、明治大正期に造られた木造形式の代表的なハリストス正教会聖堂である[4]。聖堂の平面は函館ハリストス正教会京都ハリストス正教会などと類似しており、西側に正面玄関と鐘楼を戴いた啓蒙所、東側に至聖所、その間の中央部分に聖所が配置され、聖所は啓蒙所・至聖所よりも広く造られて十字の平面型を構成している。日本のみならず世界各地の正教会に、類似した平面をもつ聖堂が存在する(例:シカゴ至聖三者大聖堂[4]

至聖所と聖所は他の正教会の聖堂と同様にイコノスタシス(聖障)によって区切られており、イコン画家であった山下りんによる壁画『主の昇天』『ハリストス(キリスト)の降誕』がある。この他、日露戦争で捕虜となっていたロシア兵の画家が神使長を描いた『ガウエル』『ミハエル』がある[2]

沿革[編集]

交通アクセス[編集]

豊橋鉄道東田本線市役所前停留場又は豊橋公園前停留場下車、徒歩2分。

脚注[編集]

  1. ^ 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2015年10月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e 豊橋百科事典 p.592 豊橋市文化市民部文化課
  3. ^ 八木谷涼子編『別冊太陽 日本の教会をたずねて 日本のこころ-119』には、「1915年ころ」に河村は輔祭に叙聖されたとあるが、その後1937年司祭に叙聖されている。完成時に輔祭になっていたかどうか定かではないが、本記事では「神品」と記述し、輔祭・司祭でもあった旨を記述した。
  4. ^ a b 現地案内板より
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関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度46分5.04秒 東経137度23分38.70秒 / 北緯34.7680667度 東経137.3940833度 / 34.7680667; 137.3940833