谷垣健治

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たにがき けんじ
谷垣 健治
生年月日 (1970-10-13) 1970年10月13日(53歳)
出生地 日本・奈良県
職業 映画監督、アクション監督、アクションコーディネーター、スタントマン
ジャンル アクション
活動期間 1994年 -
主な作品
ドラゴン危機一発97(1997年)
修羅雪姫(2001年)
ブレイド2(2002年)
真・三國無双4(2005年)
SPL/狼よ静かに死ね(2005年)
マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝(2006年)
真・三國無双Online(2006年)
導火線 FLASH POINT(2007年)
捜査官X(2011年)
るろうに剣心(2012年)
宮本武蔵 (2014年)
るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編(2014年)
燃えよデブゴン TOKYO MISSION(2020年)
 
受賞
第1回ジャパンアクションアワード ベストアクションコーディネーター賞受賞
第55回金馬奨 最佳動作設計
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谷垣 健治(たにがき けんじ、1970年10月13日 - )は、日本の映画監督アクション監督スタント・コーディネーターである。「香港動作特技演員公會 Hong Kong Stuntman Association」に所属する唯一の日本人日俳連アクション部会委員長。DGA(全米監督協会)会員。

来歴[編集]

1970年10月13日、奈良県に生まれる。小学生の時にジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー 蛇拳』をテレビで観て衝撃を受け、それ以降ジャッキー・チェンに憧れて近所の児童センターで前宙やバック宙の練習をするようになる。高校時代は少林寺拳法部に所属、県大会で優勝し全国大会にも出場した [1]。 高校3年生の春休みに初めての海外旅行で訪れた香港で、ジャッキー・チェンの『奇蹟/ミラクル』のスタジオ撮影を徹夜で見学、将来あの集団(撮影チーム)の中に入りたいと決意する [2]。 1989年大学入学と同時に、70年代からのアクション俳優倉田保昭主宰の倉田アクションクラブ大阪養成所に加入、4年間のほとんどをアクションクラブで過ごし、ショーや、映画・テレビドラマにスタントマンとして出演することもあった[3]

1993年の大学卒業後は就職せずに、何のつてもないまま22歳で単身香港に渡り、広東語を学びながらイエローページで捜した200社近くもの映画関連会社をまわる日々を送った。が、言葉もよくわからない日本人に仕事を与える会社はなく、ある日マクドナルドで声をかけて来たエキストラ派遣会社の人間から初仕事をもらうことになるが、映画撮影だと思ったそれは警察での強盗容疑者の面通しのダミーであったりした [4]。 しかしそれが縁でテレビや映画のエキストラの仕事につくようになり、1年後には、香港のアクション監督であるトン・ワイからの推薦を受け「香港動作特技演員公會(香港スタントマン協会)」の所属メンバーとなり [4]、数多くの映画に携わった。

1995年のATVのテレビドラマ『精武門』では香港のアクション俳優でアクション監督でもあるドニー・イェンの現場にスタントマンとして参加。その後の映画撮影を通じてドニー・イェンに信頼された彼は、香港、中国、ドイツ、チェコ、日本と様々な国でドニー・イェンがアクション監督を務めるドラマや映画の多くに日本人スタントマンを率いて補佐するようになる [5]

初アクション監督作品は、2001年キャロル・ライ監督の香港映画『金魚のしずく』。これ以降は日本でも、共同監督やスタントコーディネーター、ゲームのオープニングムービーのアクション監督などを担当、2006年に恩師倉田保昭と日本のアクションスター千葉真一の共演を実現させた劇場映画『マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝』を監督した。

2012年には『るろうに剣心』にてアクション監督をつとめた。この作品の監督大友啓史のインタビューによると、ドニー・イェン監督主演作『ドラゴン危機一発'97』を「随分ヤンチャしてるな」と観た監督が、彼と仕事をしている谷垣健治に白羽の矢を立てたという [6]。 日本の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』を目指そう、を合言葉に制作されたこの映画は [7] 日本で興行収入37億円を超えるヒット作となり [8] 第1回ジャパンアクションアワードにおいて、ベストスタント賞(神谷道場襲撃・剣心VS刃衛ラストシーン)、ベストアクション男優(佐藤健)、ベストアクション作品賞、そして谷垣個人がベストアクションコーディネーター賞を受賞している [9]

その後も2014年のテレビ朝日開局55周年記念番組『宮本武蔵』や、るろうに剣心シリーズの続編『るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編』で引き続きアクション監督を任されており、この映画で四乃森蒼紫に扮した伊勢谷友介はアクションチームの仕事ぶりに「スキルの高さとあきらめない姿勢がすごい。これだけのアクションシーンが撮れたのは、僕ら役者の根性というよりは、彼らのクオリティの高さです」と語り [10] 、志々雄真実を演じた藤原竜也はインタビューで「谷垣さんの手法が、今後の映画界を席巻していくんじゃないかなと思います。谷垣さんのアクション部なくして、『るろうに剣心』は語れません」と述べている [11]

それをきっかけに香港・中国作品でもアクション監督としてオファーが相次ぎ、『捉妖記2(原題・2018年)』『スーパーティーチャー 熱血格闘』をはじめ、ドニー・イェン主演作『燃えよデブゴン TOKYO MISSION(原題:肥龍過江)』(2020年、日本公開は2021年)では監督を務めた。

また2018年には、台湾の第55回金馬奨において『邪不圧正(原題・2018年)』で、日本人として初めて最優秀アクション監督賞を受賞している。

谷垣健治と4人の香港映画人[編集]

谷垣健治はかつてこう語った。映画を僕に教えてくれたのは香港、僕の国籍は日本だけど、“映画国籍”は香港だと思っている。自分の中の香港映画のDNAは変えようがないので香港的な部分と日本人的な部分も含め個性として自分のスタイルが残せ、撮りたいものが撮れて、それがヒットしたらいちばんいい [4]

ジャッキー・チェン[編集]

谷垣健治が映画の世界に飛びこむことになった原点は、たまたまテレビで観たジャッキー・チェンの映画である。その後香港でジャッキーの撮影現場を見学しあの場に参加したいと帰国後「倉田アクションクラブ」の門を叩いた。再び香港を訪れた際には出待ちをし勢いでジャッキーに「香港でスタントマンになりたい」と技を見せる機会を得た。30分もの間話をしてもらい「香港での映画の仕事より日本で他の仕事をした方がいい」とアドバイスを受ける [12]。 その2年後エキストラとしてついた『酔拳2』の現場で彼を覚えていたジャッキーから「香港に住んでいるのか?」と声をかけられ、谷垣の心にはモヤモヤしたものが残ったという [13]

1995年の『デッドヒート』や2003年『ツインズ・エフェクト』などでも裏方として働いたが、深く関わる事になったのは2009年の『新宿インシデント』の時。日本ロケがほとんどのこの作品で、アクション・コーディネーターをつとめたチン・ガーロッのアシスタントを途中から担当し、次第に現場やジャッキーからの信頼を得てゆく過程が著書『アクション映画バカ一代』に記されている。打ち上げの部屋ではジャッキーから、ケンジ、お前は香港に来たばっかりのころはバカだったな、でも今は良くやってる、とねぎらいの言葉をもらい長年のつかえが取れた気がしたと結んだ [14]

トン・ワイ[編集]

香港に来たばかりの頃、あてもなく映画制作会社をまわっていたときに谷垣は有名なアクション監督であるトン・ワイの事務所を訪ねた。彼は話を聞いてくれた数少ない一人であり「何か困ったことがあったら連絡してくれ」と電話番号を教えてくれ、くじけそうになる中でとても励みになったという [15]

その後エキストラ派遣会社から仕事をもらうようになり様々な現場に出入りするようになったある日、トン・ワイの現場についたところその事を覚えていた彼から「香港動作特技演員公會(香港スタントマン協会)」には加入してるのかと訊かれた。本来その申請には武術指導(スタントコーディネーター)3人の推薦がなくてはならない。当時の谷垣には頼める相手などいなかったが、「任せておけ」と協会の副会長をしていたトン・ワイが推薦してくれたことで唯一の日本人会員が誕生した [16]

リドリー・チョイ[編集]

スタントマン協会に加入後、谷垣がついたアクション監督。12歳でスタントマンとなり自ら数々のハードなスタントを実演してきたリドリー・チョイだけに[17]その要求は厳しく、気に入って使ってくれているのかと思っていたが実は危険すぎて誰もやりたがらなかっただけかもと谷垣はのちに述懐している [18]

そんな彼のアシスタント兼スタントマンとして、たとえば海外ロケを含め10日で撮り終えるような低予算映画で、12~13メートルのクレーンから木を突き抜け、飛び降り地点からは見えない段ボールの上に落ちるといった多くのスタントをこなした [19]

ドニー・イェン[編集]

ドニー・イェンのもとで仕事をした主な作品としては『ドラゴン危機一発'97』、『ドニー・イェン COOL』、『THE PUMA ザ・ピューマ』、『ブレイド2』、『SPL/狼よ静かに死ね』、『導火線 FLASH POINT』、『孫文の義士団』、『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』、『捜査官X』などがある。

谷垣は、アクションの構築の仕方をはじめ多くをドニー・イェンに付いて現場で学んだ。いわば映画製作についての一番の師匠であり、彼の現場の進め方が自分の進め方になっているという。谷垣自身の言葉によれば、人使いの荒いドニーにロケハンから編集までさせられ、またモニターを見て修正点を彼から聞いてすぐに役者に伝えるという作業はとても鍛えられたし役に立った、とインタビューで述べている [4]。それ以外でも『捜査官X』において牛小屋から牛が滝を落ちる重要なカットのカメラマンを務めるなど[20] 香港スタイルの多岐にわたった役割を担っていて、このような経験は自身がアクション監督を担当した『るろうに剣心 京都大火編』にも活かされた。カメラマンである石坂拓郎の談話によると、剣心が屋根を走るシーンをクレーンからワイヤーで吊るされ高速移動しながらカメラで捉えたのはアクション部の人間である[21]

そんな谷垣に対してドニー・イェンも自らがアクション監督を務めた『修羅雪姫』特別プレミアム版DVD[22] の特典映像インタビューにおいて、長年にわたり自分を信じバックアップしてくれた「Kenji Tanigaki-san」に感謝を捧げ、「僕の知識を彼に受け継いで欲しい。彼なら将来日本で屈指のアクション監督になれるはず、世界的な活躍も期待できる」と言葉を残しており、また2014年9月19日にWOWOWで放映されたドキュメンタリー『日本のアクションを変える男 谷垣健治 〜香港の現場から映画「るろうに剣心」へ〜』[23] でのコメントで「Kenjiはとても勤勉で一生懸命努力していた。こうして活躍しているのは嬉しいよ、彼は僕の誇り」と語っていて、自ら主演する『スーパーティーチャー 熱血格闘』でアクション監督を、そして『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』(2020年)では監督を任せている。

ドニー・イェンは『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』の監督を谷垣に任せた理由として、1980年代の香港旧正月映画や、アクションコメディ大作のスタイルを再現したかったこと、それに加えて、日本人である谷垣が持つ「日本の文化や特徴」を映画に取り入れたかったため、と説明している[24]

おもな参加作品[編集]

アクション監督[編集]

スタントコーディネーター[編集]

監督[編集]

ゲーム[編集]

その他[編集]

主な受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『香港電影 燃えよ!!スタントマン』(1998年 小学館 ISBN 9784093851039
  • 『ドニー・イェン アクションブック』(2005年 ドニー・イェン著/谷垣健治監修 キネマ旬報社 ISBN 9784873762593
  • 『アクション映画バカ一代』(2013年 洋泉社 ISBN 9784800301024

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 谷垣健治 (1998). 燃えよ!!スタントマン. 小学館. pp. 18-19. ISBN 9784093851039 
  2. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. p. 16. ISBN 9784800301024 
  3. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 17-18. ISBN 9784800301024 
  4. ^ a b c d 谷垣健治のできるまで:国籍日本、でも“映画国籍”は香港”. レコード・チャイナ. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年9月1日閲覧。
  5. ^ 甄子丹甄家班揭秘:拍《武俠》武師險喪命”. 北美新浪網. 2014年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月12日閲覧。
  6. ^ 大友 啓史 (映画監督)映画「るろうに剣心」について”. intro.ne.jp. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月1日閲覧。
  7. ^ 佐藤健、『るろうに剣心』で見せつけた覚悟!アクション監督が明かす驚愕の身体能力!”. cinematoday. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月30日閲覧。
  8. ^ Japan Yearly Box Office 2012”. Box Office Mojo. 2014年8月13日閲覧。
  9. ^ 2013.4.19 JAPAN ACTION AWARDS”. worsal.com. 2013年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月19日閲覧。
  10. ^ 『るろ剣』四乃森蒼紫役の伊勢谷友介「僕らはもう少し大人になるべき」”. livedoor.com. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月31日閲覧。
  11. ^ 藤原竜也、志々雄真実の"仮面の力"と人には言えない"孤独と不安"「ネットで叩かれていることもわかっている」”. merumo.ne.jp. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月1日閲覧。
  12. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 22-24. ISBN 9784800301024 
  13. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 30-33. ISBN 9784800301024 
  14. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 121-122. ISBN 9784800301024 
  15. ^ 谷垣健治 (1998). 燃えよ!!スタントマン. 小学館. pp. 8-9. ISBN 9784093851039 
  16. ^ 谷垣健治 (1998). 燃えよ!!スタントマン. 小学館. pp. 29-32. ISBN 9784093851039 
  17. ^ 著書『アクション映画バカ一代』においては、危険なスタントが主流だった80年代の香港3大スタントマンに彼を算えている。現場では「スタントマンは死ぬ気でやれ…てか、死ね!!」と鬼畜に豹変したという
  18. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 126-127. ISBN 9784800301024 
  19. ^ 谷垣健治 (1998). 燃えよ!!スタントマン. 小学館. pp. 162-175. ISBN 9784093851039 
  20. ^ 谷垣健治 (2013). アクション映画バカ一代. 洋泉社. pp. 146-148. ISBN 9784800301024 
  21. ^ 『キネマ旬報増刊 キネマ旬報 NEXT Vol.7「るろうに剣心 京都大火編」大特集 No.1668』(2014年7月28日)、キネマ旬報社
  22. ^ 釈由美子,佐藤信介(監督) (2001). 修羅雪姫 (Movie). 日本: ジェネオン エンタテインメント株式会社(旧パイオニアLDC).
  23. ^ ノンフィクションW 日本のアクションを変える男 谷垣健治 ~香港の現場から映画「るろうに剣心」へ~”. WOWOW. 2014年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月19日閲覧。
  24. ^ 『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』公式パンフレット、P.10

外部リンク[編集]