謝長廷

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中華民国の旗 中華民国台湾)の政治家
謝 長廷
Siā Tiông-têng
Frank Hsieh.jpg
生年月日 1946年5月18日(70歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国台湾台北市延平区打鐵街(現・台北市大同区赤峰街
出身校 台湾大学京都大学大学院
所属政党 民主進歩党
配偶者 游芳枝

在任期間 2005年2月1日 - 2006年1月25日
総統 陳水扁

中華民国の旗 中華民国
民選直轄第2-3代 高雄市長
当選回数 2回
在任期間 1998年12月25日 - 2005年1月31日

Green Taiwan in White Cross.svg 第9代 民主進歩党主席
在任期間 2000年4月20日 - 2002年7月21日
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Siā Tiông-têng
職業: 弁護士政治家
各種表記
繁体字 謝長廷
簡体字 谢长廷
拼音 Xiè Chángtíng
和名表記: しゃ ちょうてい
発音転記: シエ・チャンティン(北京語)
チャー・ティオンティン(台湾語)
ラテン字 Hsieh Chang-ting
英語名 Frank Hsieh
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謝 長廷(しゃ ちょうてい、Hsieh Chang-ting、1946年5月18日 - )は、中華民国政治家民主進歩党)。台北駐日経済文化代表処駐日代表。元行政院長(首相)。

経歴[編集]

中華民国台北市延平区(現:大同区)に、漢方医の5人兄弟の次男として生まれる。中学時代から器械体操に打ち込み、高校時代には台湾省運動会(国体に相当)に出場、吊り輪競技で優勝した。台湾大学法律系(法律学科)在学中に司法試験に合格し、1972年には文部省(当時)奨学生として京都大学大学院法学研究科に留学した(法哲学専攻)。父親が体調を崩したため、博士課程を単位取得退学した(最終学歴は法学修士)。 台湾大学法律系(法律学科)卒業、京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。法学修士(京都大学)。

1976年11月に帰国後、弁護士となり、美麗島事件の裁判で姚嘉文の弁護を担当。これが政界入りのきっかけとなり、1981年に台北市議選に当選し、国民党独裁政権により野党の結成が禁止されていた中で、「党外編輯作家聯誼會」(編聯会)、「党外公共政策研究会」(公政会)といった「党外」団体の創立にかかわる。1986年9月28日、党外2団体が集まって民主進歩党が結成された際には、党名の提案者となり、綱領草案作成にも中心的メンバーとなる。1986年に中華民国立法院選挙に初めて立候補、1989年の選挙で初当選し、立法委員を2期務めた。

初の直接選挙で行われた1996年中華民国総統選挙では、彭明敏総統候補とペアで、副総統候補として出馬するも落選。しかし、1998年12月の高雄市長選挙で当選し、2000年には民進党主席にも就任。市長との兼任を批判されたため2002年に党主席を退任し、同年の高雄市長選で再選。任期中は、下水道整備による河川や水道の水質改善や、交通インフラや文化建設・史跡保存といった実績を挙げ、市民の支持率は82.6%(2004年12月、高雄市実施)、満足度74%・不満度16%(聯合報の調査)に達した。

2005年1月、高雄市長を任期途中で辞任し、陳水扁政権のもとで4人目となる行政院長(首相)に就任。「和解共生」の理念を主張し、野党国民党や中国に対話を呼びかけたものの、功を奏せず、2005年12月の統一地方選挙(県・市長選挙)で民進党が惨敗した責任をとり、わずか1年足らずで行政院長を辞任した。2006年12月の台北市長選挙に出馬したが、国民党公認候補の郝龍斌に敗北。これで政治生命は窮地に追い込まれたかにみえたが、2007年3月から始まった次期総統選の党内予備選挙において、蘇貞昌呂秀蓮游錫堃と激しい争いとなったが、党員投票トップで公認候補者に指名された。

陳水扁政権の汚職スキャンダルによる逆風の中、2008年中華民国総統選挙で民進党公認の総統候補となり、蘇貞昌を副総統候補に指名した。明治維新に重ねて「台湾維新」をスローガンに掲げ、落選したら政界引退をすると背水の陣で選挙戦に臨んだが、国民党の馬英九候補に220万票余りの大差をつけられ落選した。

総統選落選後は、自身が設立した団体である台湾維新基金会董事長を務めている[1]

2012年10月に中華人民共和国を訪問、「兄弟の家にきたようだ」と述べ[2]王毅国務院台湾事務弁公室主任や戴秉国国務委員と相次いで会談し、九二共識に代わる「憲法各表」を提案した。訪中は、1994年以来2度目である[3]

2016年、台北駐日経済文化代表処駐日代表への就任が明らかになり、4月27日、声明で正式に認める[4]。 6月3日、総統府より、任命の総統府令が公布され[5]、6月9日、着任[6]

日本との関連[編集]

2000年に「民進党台日友好協会」を結成し、初代団長に就任。「日本統治時代にインフラ建設が進み、日本の教育を受けて日本に親近感を持つ父親の影響を受けた」と述べるなど「親日派」であることを明言している。

2007年12月、総統候補として訪日し、母校の京都大学で「日台関係強化の道」と題して講演。日本版「台湾関係法」の必要性を主張した[7][8]

尖閣諸島問題については「釣魚台(尖閣諸島)は台湾の一部である」との認識を示す一方、「主権と漁業権の問題は分けなければならない」として「主権についての協議を暫定的に棚上げする」ことを主張している[9]

台北経済文化代表処の駐日代表起用の際は、日本経済新聞毎日新聞から「知日派の重鎮」と評された[10][11]

脚注[編集]

  1. ^ 台湾の野党・民進党の大物で元行政院長の謝氏、4日から中国本土を訪問―仏メディア
  2. ^ 谢长廷登陆祭祖:就像回到兄弟家 - 大公网
  3. ^ “台湾民進党幹部が訪中 民間人の肩書で”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2012年10月5日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/327546 2012年10月19日閲覧。 
  4. ^ 台湾の駐日代表に民進党重鎮の謝長廷氏就任へ
  5. ^ 総統府:謝長廷・元行政院長を駐日代表に任命
  6. ^ 新駐日代表が東京入り 「台日新時代の到来」に期待示す
  7. ^ “謝長廷・元行政院長が来日、京都大学で「日台関係強化の道」をテーマに講演”. 台湾週報 (台北駐日経済文化代表処). (2007年12月18日). http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=47666&ctNode=3591&mp=202 2012年8月26日閲覧。 
  8. ^ “台湾:新駐日代表の謝長廷氏、日台関係強化に意気込み”. 毎日新聞. (2016年6月3日(最終更新 2016年6月4日)). http://mainichi.jp/articles/20160604/k00/00m/030/090000c 2016年6月11日閲覧。 
  9. ^ “民進党の謝長廷・総統候補、離日に先立ち記者会見を開催”. 台湾週報 (台北駐日経済文化代表処). (2007年12月20日). http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=47869&ctNode=3591&mp=202 2015年10月25日閲覧。 
  10. ^ “台湾の駐日代表に謝長廷・元行政院長 知日派の重鎮”. 日本経済新聞. (2016年3月21日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM20H3R_Q6A320C1FF8000/ 2016年6月11日閲覧。 
  11. ^ “台湾:駐日代表の謝氏着任 行政院長経験者で初”. 毎日新聞. (2016年6月9日). http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/030/048000c 2016年6月11日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 郭瓊俐『打鐵街少年:謝長廷的故事』布克文化、2005年、ISBN 9868113970
  • 郭瓊俐『逆中求勝 謝長廷的生命美學』天下文化、2007年12月、ISBN 9789862160312
  • 謝長廷『幸福台灣.幸福經濟-謝長廷承諾』 播種者、2008年2月、ISBN 9789576966361
 中華民国の旗中華民国
先代:
呉敦義
高雄市長
1998年 - 2005年
次代:
陳其邁(代理)
先代:
游錫堃
中華民国の旗 行政院長
2005年 - 2006年
次代:
蘇貞昌
先代:
沈斯淳
中華民国(台湾)駐日代表
2016年 -
次代:
現職
民主進歩党
先代:
林義雄
党主席
2000年 - 2002年
次代:
陳水扁