論語集注

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南宋の朱熹の著。 朱熹は五経への階梯として、孔子に始まり、孟子へと続く道が伝えられているとする。「四書」を重視した。北宋の程顥程頤の兄弟と、自己の解釈を加えて新たな注釈を作成した。そのため、新注と称されており、元において朱子学が国教化されて以降、明、清のみならず、朝鮮半島や日本にも影響を及ぼした。現在でも『論語』を理解する上で最も優れた注釈書である。 また、朱熹の弟子の解釈は趙順孫『論語纂疏』に、元の解釈は、それを流用した胡広『論語大全』に見える。

鄭註論語[編集]

論語は、の二国に伝わる「魯論」、「斉論」の2つがあり、さらに漢初に孔子の旧宅から発掘された古文のいわゆる「古論」があった。前漢末に張候により魯論と斉論の整理が行われ、ついで後漢末の大儒鄭玄がこの三論を総合して「鄭註論語」を作った。

論語集解[編集]

に至って何晏は「鄭註論語」をもととし、これまでの注を集成して「論語集解」十巻を作った。何晏の撰と言われているがれ実はが孫邕・鄭冲・曹羲・旬顗の四人との共撰である。弘安国・馬融・包威・周氏・鄭玄・陳群・王粛・周生烈の八家の説を集め、また自己の意を下して注釈している。しかしどこまでが何晏の解釈か難しい。 古義を知るにはまずこの書により、次に皇侃の義疏と邢昺の注疏(正義)を見るのが良いとされる。完本として伝わる最古の『論語』の注釈書。古注と称される。 特徴としては、玄学の要素は『論語義疏』に比べて限定的である。

論語義疏[編集]

=== 三国魏の何晏等『論語集解』について南朝梁の皇侃が撰した解釈書。十巻。東晋の江煕『集注』引くところを始め、魏晋以来の諸家の説を広く蒐めて分析整理した集大成の作。六朝の「論語」に関わる議論を見るに、この本をおいて他は及ばない。しかし、儒者であり、また仏教者でもあった皇侃の注釈は、老荘思想をも交えた付会や他の諸因によって、中国では南宋には亡佚した。しかし、江戸時代に荻生徂徠門下の一人が発見し、校刻したので清でも流通した。 「義疏」とは経書の注釈に対する注釈を意味する。 当時の学術の風潮のため、玄学または仏教的な解釈の引用も多い。

=論語正義[編集]

清の鄭宝楠による『論語』の注釈書。二十四巻

論語『には既に、魏の何晏の注とその再注釈書の宋の邢昺の疏があったが

宝楠は、この注と疏には老荘思想が混入して儒家本来の教えが乱されているためし新たな疏を作る必要が

と考えたる清朝の考証学者たちの膨大な研究成果を利用して

漢代学者が保存していた孔門伝授の『論語』の本義を明らかにしようとした

論語古義[編集]

我が国伊藤仁斎の著。 十巻『論仁斎は』を「最上至極宇宙第一の書」と尊び、朱子の注にあきたらなくて、(後に反しゅしがくとなる)本書を撰した。古義というのは『論語』の古い原義を明らかにする意で、朱子の注の思弁的で厳格主義な態度を激しく批判している。また、二十篇中の前半十篇を上論として正論とし、後半十篇を下論として続篇と考えるなど新しい見解を示している。 また、伊藤仁斎の著である『論孟字義』『童子門』にも『論語』の解釈は示されている。