誠孝皇后

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張皇后
の皇后
诚孝昭皇后张氏(明仁宗).jpg
誠孝皇后張氏
在位 1424年 - 1425年

別称 誠孝恭粛明徳弘仁順天啓聖昭皇后
出生 洪武12年(1379年
死去 正統7年10月18日1442年11月20日
配偶者 洪熙帝
子女 宣徳帝、朱瞻墉、朱瞻墡、嘉興公主
父親 張麒
母親 仝氏
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誠孝皇后(せいこうこうごう、洪武12年(1379年) - 正統7年10月18日1442年11月20日))は、洪熙帝の皇后。姓は張氏

経歴[編集]

河南永城の人。張麒と仝氏の娘。洪武28年(1395年)、燕王朱棣(のちの永楽帝)の世子・朱高熾(のちの洪熙帝)にとつぎ、妃(正室)となった。

永楽2年(1404年)、皇太子妃に立てられた。張氏は舅姑に孝事した。永楽帝は朱高熾を気に入らず、廃太子も検討したが、張氏のことは気に入っていたという。

洪熙帝が即位すると皇后に立てられた。張麒には伯爵(彭城伯)が贈られた。実子の宣徳帝が即位すると、皇太后となった。

宣徳10年(1435年)、10歳で英宗が即位すると、太皇太后となった。慎み深い態度で朝政を聴い、政務に適切な助言を与えた。賢后として名高い。正統7年、崩じた。 誠孝恭粛明徳弘仁順天啓聖昭皇后が贈られた。

子女[編集]

  • 朱瞻基(宣徳帝
  • 朱瞻墉(越靖王)
  • 朱瞻墡(襄憲王)
  • 嘉興公主

伝記資料[編集]

  • 『明仁宗実録』
  • 『明宣宗実録』
  • 『恵安伯永城張昇墓志銘』(張昇は誠孝皇后の同母兄)