訛魯観

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訛魯観(オルゴン、生年不詳 - 1139年)は、皇族。漢名は宗雋

経歴[編集]

完顔阿骨打と欽憲皇后の間の子として生まれた。天輔7年(1123年)、の秦王耶律定と許王耶律寧を捕らえた。天会14年(1136年)、東京留守となった。天眷元年(1138年)、河南陝西の地を南宋に与えるよう左副元帥の撻懶とともに建議した。まもなく尚書左丞相となり、開府儀同三司の位を加えられ、侍中を兼ね、陳王に封じられた。2年(1139年)1月、太保に任じられ、三省事をつとめ、兗王に進んだ。7月、反乱を計画した罪で、宋王宗磐とともに処刑された。

妻妾[編集]

側室:趙串珠 - 北宋で寧福帝姫。徽宗の息女。

子女[編集]

  • 完顔氏(男子) - 趙串珠との子。冷山に移住した。
  • 完顔師姑児(女子) - 廃帝完顔亮に奪取された。

伝記資料[編集]

  • 金史』巻69 列伝第7 太祖諸子