言語過程説

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言語過程説(げんごかていせつ)とは、日本国語学者時枝誠記が唱えた「言語=(主体による聯合の)継起的過程」という言語観である。

概要[編集]

スイス言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが「概念と聴覚映像が循行過程において聯合したものが、あらかじめ存在しているものが考えている」[1]。とするのに対し、時枝誠記は「言語は主観的な聯合作用に拠るしかないものだ」[2]とし、これを「言語過程観」と呼んだ。これが「言語過程説」と呼ばれるようになるのは後のことである。ソシュールが「原子的な世界観の中で言語論を展開している」のに対し、時枝は「主体主義的な世界観」に立っている。

成立[編集]

時枝は1925年東京帝国大学を卒業する際、卒業論文の中で次のように記している[3]

私は、言語は絵画・音楽・舞踊と等しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云われるものは、表現活動として如何なる特質を持つものであるかを考えて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出來るであろうという予想を立てたのである。

これが言語過程説を成立させる基本的な態度であった。以後、時枝は八年間において、国語研究の態度意識方法について探索することを研究の出発点とし、その部分的な発展として六つの論文[4]を発表した。その全体的な発展を『国語学史』[5]としてまとめた後、時枝は「国語学の体系についての卑見」という論文で次のように表明している[6]

言語を観察するに当たって、我々が公理として認めてよい只一のものは、それが表現理解の一形態であると云うこと以外には私には考え得られないと思います。言語を音声と意義とに分析して考えることは、宛も「波」を水と風とに分析して考える様なもので、遂にそれは「波」の本質的考察を逸脱するのではないかと云う不安が私には付き纏うのであります。
総てが懐疑的に終わって、とりとめが無くなりましたが、繰り返して私の考を纏めて見ますならば、国語研究の私の方法は、国語に現れた諸現象を大小となく拾い集めて、それを表現理解の働と云う言語の本質観を枢軸に置いて考えて見ようというのが、私の今持ち合わせてゐる国語研究のプランであります。もし「もの」としての言語を想定せねば総てが解釈し得られないという行きつまりに到達した場合に、始めて私のプランの展開が予想せられるのであって、それまでは私は忠実に私の言語の本質観が保持せられねばならないのだと確信するのであります。

以後、時枝はこの言語本質観に基づき、西洋の言語学を批判しつつ、具体的な国語現象に対する実証的な研究を続け、「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』五の三、1937年)という論文に成立の基本的な意見[7]を述べる。そして、「心的過程としての言語本質観」(『文学』五の六・七、1937年)という、言語過程説を正面に打ち出した最初の論文を発表した[8]。ソシュール学説におけるラングの考え方が、「言語構成観」と名付けられて登場するのはここである。時枝はこれ以後、この言語本質観に基づき、国語学の各分野にわたり、次々と新しい照明を当てていった。

要点[編集]

言語過程説については『国語学原論』、『国語学原論 続篇』などで知ることができ、要点をまとめると以下のようになる[9]

  1. 言語は、思想の表現であり、また理解である。すなわち言語は、「表現行為」(「発音行為」あるいは「記載行為」)を媒介する「表現過程」であり、「理解行為」(「聴取行為」あるいは「読字行為」)を媒介する「理解過程」そのものである。したがって言語は、人間行為活動生活の一つである。
  2. 言語の成立条件は、「主体(「『書き手』をも含む『話し手』」と「『読み手』をも含む『聞き手』」)」と「場面(表現行為が打ち出され、理解行為が中心となる環境と状況)」と「素材(表現内容・理解内容)」の三つである。
  3. 言語は、「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「読むこと」の四つの形態のどちらにおいても成立する。よって、言語習得のためには、それぞれの分野において、「話し方」「聞き方」「書き方」「読み方」という、表現および理解のための言語技術が要求される。
  4. 言語を行為し実践する立場を「主体的立場」といい、言語を観察し研究する立場を「観察的立場」という。言語を研究するということは、「主体的立場」を観察することに他はない。

図式[編集]

上記を総括すると、次のようになる[10]

        ┌─「音声」を媒介となる材料とするもの──「話す」こと───────┐
  ┌─表現行為┤                                 |
  │     └─「文字」を媒介となる材料とするもの──「書く」こと─┐     │
言語┤                                 ├文字言語 ├音声言語
  │     ┌─「文字」を媒介となる材料とするもの──「読む」こと─┘     │
  └─理解行為┤                                 |
        └─「音声」を媒介となる材料とするもの──「聞く」こと───────┘
             ┌─表現
             |
             ├─理解
        ┌─主体的┤
        |    ├─鑑賞
        |    |
        |    └─価値判断
言語に対する立場┤
        |    ┌─検見
        |    |
        └─観察的┼─分析
             |
             └─記述

各分野における言語過程説[編集]

文法論が有名であるが、時枝は言語過程説に基づき言語学諸分野を再考している。ここでは文法論以外について触れる。

音声学・音韻論[編集]

[m], [n], [ŋ]といった実現形が、主体の過程構造において単一の撥音と認識されること、また、リズムを言語成立の三条件の一つである「場面」として音声は、あたかも鋳型に鉄が流し込まれるように、単音がリズムに押し込まれるとして長音などの特殊モーラも説明する。なお、アクセントは単音の属性ではなくリズムにかぶさるものとし、また音節主音としての「母」音とそれを修飾するものとしての「子」音という名称を、悉曇学の「能生音」「所生音」というとらえ方に合致することを主体的把握から再解釈する。

意味論・敬語論[編集]

譬喩忌み言葉などを「字義通り」の語義を臨時に拡張するという考えに対して、主体の把握の仕方を反映したものと説明し、敬語はこの様な修辞のひとつに位置付けられ、詞辞論により体系化する。

言語過程説への反応[編集]

言語過程説は多くの反応を喚起した。時枝のソシュール理解の問題については服部四郎の批判がある。詞辞論は金田一春彦等の「不連続説」の立場から強い批判を受けたが、のちのモダリティ論仁田義雄益岡隆志等)への一契機となっている。「国語」のとらえ方については、社会言語学的観点から川村湊イ・ヨンスク安田敏朗等の批判がある。

現代言語学の視点から言うと、言語過程説は「内在主義」(Chomsky等)の特徴を持つ一方、心身二元論を無批判に採用している問題が指摘できる。また、言語を認知の反映とする点で認知意味論(Lakoff等)との親近性があると言ってよい。

参考文献[編集]

  • 金田一春彦(1953年)不変化助動詞の本質―主観的表現と客観的表現の別について―、『国語国文』第22巻2-3号
  • 芳賀綏(1954年)“陳述”とは何もの?『国語国文』23巻4号
  • 服部四郎(1957年)「言語過程説について」「ソスュールのlangueと言語過程説」(『言語学の方法』に再収)
  • 国語学会(1980年)国語学大辞典
  • 仁田義雄・益岡隆志(1989年)『日本語のモダリティ』
  • 川村湊(1994年)『海を渡った日本語』
  • イ・ヨンスク(1996年)『「国語」という思想』
  • 安田敏朗(1997年)『植民地の中の国語学』
  • Chomsky,N(2000年)New Horizons in the Study of Language.

脚注[編集]

  1. ^ 一般言語学講義』Cours de linguistique générale フェルディナン・ド・ソシュール著、小林英夫訳、岩波書店1972年
  2. ^ 「言語構成観より言語過程観へ」(『国語学原論』時枝誠記著、岩波書店、1941年)による。
  3. ^ 『時枝誠記博士著作選〈1〉 日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)』時枝誠記著、明治書院1976年
  4. ^ 「時枝誠記博士著述目録並びに研究歴」鈴木一彦(『国語学』第72集、1968年)によると、「鈴木朖の国語学史上に於ける位置」(『国語と国文学』四の一、1927年)、「本居宣長及び富士谷成章てにをは研究に就いて」(『国語と国文学』五の二、1928年)、「伊藤慎吾君著近世国語学史を評す」(『国語と国文学』六の三、1929年)、「古典注釈に現れた語学的方法――特に万葉仙覚抄に於ける――」(京城帝大法文学会論纂「日本文化叢考」、1931年)、「万葉用字法の体系的組織に就いて」(『国語と国文学』九の五、1932年)、「契沖文献学の発展と仮名遣説の成長及びその交渉について」(佐佐木信綱博士還暦記念論文集「日本文学論纂」、1932年)が、後の『国語学史』(岩波書店1940年)に関係しているという
  5. ^ 単行本ではなく、岩波講座「日本文学」に収められたものであり、執筆態度が異なっている。
  6. ^ 『コトバ』1933年9月。85頁
  7. ^ 大まかに述べると、「言語が人間の精神活動である」「解釈に基づく言語の考察ということが、言語研究において実践的かつ重要な立場である」「文意の理解と文法体系との間に、必然的な繋がりがあるべきであろう」の三つである。
  8. ^ この論文の全文は、『国語学原論』に収録されているが、少しばかり部分的な修正が加えられている。
  9. ^ 「日本文法概要――三大文法対照――」鈴木一彦(『角川国語中辞典』時枝誠記、吉田精一編著、角川書店1973年)参照
  10. ^ 「言語に対する主体的な立場と観察的立場」(『国語学原論』時枝誠記著、岩波書店、1941年)、「言語過程説の基本的な考え方」(『国語学原論 続篇』時枝誠記著、岩波書店、1955年)より

関連項目[編集]