見聞諸家紋

(進士氏・丸に頭合わせ三つ五三桐)
『見聞諸家紋』(けんもんしょかもん)は、日本の武家の家紋を集録した家紋集で[1]、家紋を集録した書物としては日本最古のものである[1][2]。散逸した祖本の漢字表記は、『見𥹢諸家文』(「𥹢」は聞の異体字。米部に耳)だったと推測されている。別名『東山殿御紋帳』ともいう[1]。応仁の乱中の応仁末年(1467年)から文明2年(1470年)までに記録されたものを、幕府政所代の蜷川親元が文明7年(1475年)ごろに完成させたものと思われる。現存最古の佐々木秀勝本(岩瀬文庫所蔵)は天文8年(1539年)写で、この系統が祖本の古形を最も良く保存する。佐々木本系統以外には、永正本(立雪斉自筆本)系統があり、その中では神宮本や東大本(彰考館本謄写本)が善本。新井白石本や流布本である群書類従本も永正本系統だが、古形からはかなり離れた図様になっている。
概要
[編集]室町幕府8代将軍足利義政(東山殿)の頃、将軍家を初め守護大名から国人層に至るまで諸家の家紋260ほど[1]を次第不同に集録した古書で、現代には計28冊の写本が伝わっている[2]。そのなかには、新井白石によるものがあり、宮内庁書陵部に所蔵されている[3]。
『見聞諸家紋』の成立時期とその背景は、所載されている諸家の内、官職姓名の明記された人物の没年月日を詳細に調べると、応仁末年(1467年)から文明2年(1470年)までの間に成立したと推定される。さらに官姓名まで記載された武将及び被官人のほとんどが、応仁の乱において、将軍義政を奉じた東軍に属していることが論証される。『見聞諸家紋』は、東軍に加わるために各国から上洛してきた諸家の旗・陣幕などを見聞し、それに幕府の評定衆・奉公衆などを加えて掲載している。[4]
上記のように、小泉宜右の説では編集責任者は蜷川親元・成立が1467年から1470年までとされていたが、秋田四郎はその期間、親元は主の伊勢貞親と共に文正元年(1466年)から失脚して京にいなかったことを指摘している[5]。そのため、おそらく伊勢・蜷川の失脚中に、京に残って仕事をしていた家臣たちが近江で隠居中の両名から助言を受けつつ編集していたのであろう、としている[5]。そして、文明5年(1473年)1月の伊勢貞親死去に伴い、同年8月に蜷川親元が伊勢貞宗の政所代として復帰したため、最終的に親元がそれまでに集められた資料を整理し[5]、文明7年(1475年)頃に完成させたものであろう、としている[6]。
書題
[編集]秋田四郎の推測によると、もし室町幕府が正式に各諸氏に書面で家紋を答申させて作ったものなら『東山殿諸家文』となっていだろうが[注釈 1]、公式文書にするほどまでには成熟していなかったので、あくまで見たり聞いたりしたものであるという言い訳で『見聞諸家文』にしたのではないか、という[6]。
ところが、『見聞諸家文』のままだと書題に重みがなくなるため、あえて難読漢字の「𥹢」を使って『見𥹢諸家文』という一読できない題にしたのではないか、という[6]。なお、この異体字「𥹢」は、他に『孔子廟堂碑々文』程度しか使用例がない[6]。秋田は「さすが、幕府名門の作と言うに相応しい」と評している[6]。
写本の系統
[編集]

全ての諸本の祖本は『見𥹢諸家文』の題で1475年ごろに成立したと思われるが、現存しない[6]。秋田四郎によると、その後の諸本は下記のように分類することができるという[2]。
- 佐々木本 - 現存最古の写本であり、唯一室町時代に写されたもの[7]。題は『見𥹢諸家文』[7]。奥書は「天文八年卯月十九日 佐々木秀勝 判」で、天文8年(1539年)4月19日の写本[7]。画・筆はあまり上手とは言えないものの、古形を最もよく保存し、失われた祖本を忠実に模写したものと思われる[7]。画型は主に「古型画法填墨紋」[7]。岩瀬文庫所蔵[7]。
- 昌平黌本 - 巻末に、佐々木本原本の奥書に加えて「右紋蓋し一巻原本堀口源義君の蔵する所なり佐々木秀勝の自筆にして希世の珍書なり」とあるのが特徴[8]。佐々木本原本のほぼ忠実な模写で、原本の虫食いまで再現されているが、菊紋の弁数が16弁から減っていたりするなどの誤り・簡略化がある[8]。内閣文庫所蔵[8]。#オンラインで閲覧可能な写本。
- この系統の一つと思われる筒井政憲本については、#オンラインで閲覧可能な写本。
- 岡谷本 - 巻末に「七等出仕岡谷繁実 丸印」とある[9]。佐々木本原本の写本だが、一部に抜紋・欠名がある[9]。内閣文庫蔵[9]。#オンラインで閲覧可能な写本。
- 昌平黌本 - 巻末に、佐々木本原本の奥書に加えて「右紋蓋し一巻原本堀口源義君の蔵する所なり佐々木秀勝の自筆にして希世の珍書なり」とあるのが特徴[8]。佐々木本原本のほぼ忠実な模写で、原本の虫食いまで再現されているが、菊紋の弁数が16弁から減っていたりするなどの誤り・簡略化がある[8]。内閣文庫所蔵[8]。#オンラインで閲覧可能な写本。
- 立雪斉自筆本 - この系統は「永正本」とも呼ばれる[10]。最も流布された系統だが、永正7年(1510年)に書かれたと思われる立雪斉自筆本が現存しない[10]。
- 神宮本 - 「永正本」系統では立雪斉自筆本に最も近い現存写本とされる[11]。古形を良く保持している[10]。寛政癸丑(1739年)写[11]。題は『見聞諸家文』、神宮文庫所蔵[11]。
- 彰考館本
- 東大本 - 彰考館本(焼失済)の謄写本のため、彰考館本系統では最も古く、題も『見聞諸家文』で「文」となっている[12]。永正本系統の中では、この写本までが古形を良く保持している[10]。東京大学史料編纂所蔵[12]。
- 静嘉堂本 - 書題が『見聞諸家紋』になった写本としては現存最古[13]。
- 蜷川本 - この系統以降、書題が全て『見聞諸家紋』となる[14]。また、静嘉堂本やそれ以前の写本に比べて画法や紋型が大きく様変わりする[14]。
- 版木本
- 書了本
- 群書類従本 - 最も流布された版本。#オンラインで閲覧可能な写本。
- 白石本 - 源君美(新井白石)による写、宮内庁書陵部、元禄11年(1698年)ごろ[15]。
- 東山殿本 - 光教写、文化6年(1809年)[16]。国立国会図書館蔵[16]。#オンラインで閲覧可能な写本。
- 書了本
- イ本(下書本系) - 後書が「立雪斉下書」となっている系統
- 版木本
- その他
- 内閣𥹢本 - 佐々木本にも立雪斉自筆本にも属さない孤本[18]。内題は「見𥹢諸家文」と古いが、佐々木本と違って冒頭様式の解釈を間違えている[18]。鷹羽紋の画型から、原本は江戸時代初期頃の写本か[18]。内閣文庫所蔵 No. 和16391-1-1570236[18]。#オンラインで閲覧可能な写本。
オンラインで閲覧可能な写本
[編集]- 昌平黌本:
- 『諸家紋尽 見𥹢諸家文 昌平坂学問所蔵書印』n.d.。
国立公文書館デジタルアーカイブ - 佐々木秀勝自筆本の忠実な模写で、佐々木本に次ぐ、全写本で2番目の善本とされるもの。
- 『諸家紋尽 見𥹢諸家文 昌平坂学問所蔵書印』n.d.。
- 岡谷本: 岡谷繁実、『見𥹢諸家文』 国立公文書館デジタルアーカイブ
- 筒井政憲本(文化6年(1809年)):
- 筒井政憲 編『見𥹢諸家文』1809年。doi:10.20730/100352133。
国文学研究資料館国書データベース提供、原本は筑波大学付属図書館蔵 - 後書に「右紋蓋し一巻原本堀口源義君の蔵する所なり佐々木秀勝の自筆にして希世の珍書なり(下略)」とあるため、「昌平黌本」系統と思われる。
- 筒井政憲 編『見𥹢諸家文』1809年。doi:10.20730/100352133。
- 東山殿本(文化6年(1809年)):『東山殿紋帳』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 山人本(文政8年(1825年)):『見聞諸家紋』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 群書類従本:
- 塙保己一 編『巻第四百廿四(武家部廿五):見聞諸家紋』〈群書類従〉1819年。
国立公文書館デジタルアーカイブ
- 塙保己一 編『巻第四百廿四(武家部廿五):見聞諸家紋』〈群書類従〉1819年。
- 内閣𥹢本(孤本系統):
- 『室町家諸家紋 見𥹢諸家文 浅草文庫蔵書印』n.d.。
国立公文書館デジタルアーカイブ
- 『室町家諸家紋 見𥹢諸家文 浅草文庫蔵書印』n.d.。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 “けんもんしょかもん【見聞諸家紋】”. 日立ソリューションズ 世界大百科事典 第2版. 2013年1月25日閲覧。
- 1 2 3 秋田 1995.
- ↑ 歴史資料調査会編『見聞諸家紋』百年社、新人物往来社、1976年
- ↑ 新人物往来社編『日本紋章総覧』(歴史読本19巻15号 臨時増刊 歴史百科シリーズ)、新人物往来社、1974年
- 1 2 3 秋田 1995, p. 15.
- 1 2 3 4 5 6 秋田 1995, p. 17.
- 1 2 3 4 5 6 秋田 1995, pp. 16–20.
- 1 2 3 秋田 1995, p. 20.
- 1 2 3 秋田 1995, p. 21.
- 1 2 3 4 秋田 1995, pp. 16–17.
- 1 2 3 秋田 1995, pp. 22–24.
- 1 2 秋田 1995, pp. 24–25.
- ↑ 秋田 1995, pp. 25–26.
- 1 2 秋田 1995, pp. 26–28.
- ↑ 秋田 1995, pp. 28–29.
- 1 2 秋田 1995, p. 30.
- 1 2 3 秋田 1995, pp. 34–35.
- 1 2 3 4 秋田 1995, pp. 21–22.
参考文献
[編集]- 秋田四郎「「見聞緒家紋」群の系譜」『弘前大学國史研究』第99号、弘前大学國史研究会、1995年、12–35頁。
