西片

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西片
—  町丁  —
新坂
西片の位置(東京23区内)
西片
西片
西片の位置
座標: 北緯35度42分56.67秒 東経139度45分22.51秒 / 北緯35.7157417度 東経139.7562528度 / 35.7157417; 139.7562528
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Bunkyo, Tokyo.svg 文京区
地域 本郷地域
面積[1]
 - 計 0.279km2 (0.1mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
 - 計 5,404人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 113-0024[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 練馬

西片(にしかた)は、東京都文京区町名[5]。現行行政地名は西片一丁目及び西片二丁目。郵便番号は113-0024[3]

地理[編集]

東京大学が近隣にあり、多数の学者や文化人が住んだため、学者町として知られた[6]関東大震災第二次世界大戦の被害を免れたため、今日なお明治時代の雰囲気を残している。文京区立誠之小学校がある。

地価[編集]

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、西片1-11-5の地点で95万8000円/m2となっている。

歴史[編集]

1964年8月1日、駒込西片町の全部に周辺の駒込東片町、田町、丸山福山町、森川町、柳町の各一部が合併され成立。台地上のほとんどは江戸期中~後期は備後福山藩阿部家中屋敷であった。

1872年(明治5年)に尾根道の中山道本郷通り)を挟んで両側が町になり、その際、街道の東側を東片町、西側を西片町と名づけた。谷下は庶民の居住地であった。備後福山藩主阿部家の中屋敷を、明治から昭和初期にかけて、阿部家自らが高級住宅地として開発した。結果、一面が「西片町10番地」となり、その枝番も錯綜してしまったため、正式な住所ではないものの、いろは順による一種の住居表示が行われていた[7]

樋口一葉1894年明治27年)5月に転居し、「たけくらべ」を始めとする代表作を執筆し、亡くなるまで居住した(旧、丸山福山町4番地)。同地には後に森田草平も居住した。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
西片一丁目 1,220世帯 2,436人
西片二丁目 1,515世帯 2,968人
2,735世帯 5,404人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8][9]

丁目 番地 小学校 中学校
西片一丁目 19番 文京区立柳町小学校 文京区立第三中学校
その他 文京区立誠之小学校 文京区立第六中学校
西片二丁目 全域

施設[編集]

著名な住民[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 文京の統計 - 第49回文京の統計(平成28年)”. 文京区 (2017年1月1日). 2018年1月5日閲覧。
  2. ^ a b 文京区人口統計資料 - 町丁別世帯・人口(住民基本台帳)(毎月1日現在)”. 文京区 (2017年12月7日). 2018年1月5日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月5日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月5日閲覧。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P991
  6. ^ 今尾恵介「住所と地名の大研究」(新潮選書)、2004年、ISBN 4-10-603535-9、p. 54。
  7. ^ 三四郎の広田先生が「西片町十番地への3号」に住んでいるという設定だった(今尾恵介「住所と地名の大研究」(新潮選書)、2004年、ISBN 4-10-603535-9、pp. 54-55)。
  8. ^ 小学校 通学区域”. 文京区 (2014年11月5日). 2018年1月5日閲覧。
  9. ^ 中学校 通学区域”. 文京区 (2013年11月18日). 2018年1月5日閲覧。

外部リンク[編集]