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西条酒

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御建神社。ここの摂末社として醸造の神大山咋神を祀る松尾神社は1936年(昭和11年)京都松尾大社から分霊し西条酒造協会が建立した。西条の蔵元は酒樽を奉納している[1][2]。
御建神社。ここの摂末社として醸造の神大山咋神を祀る松尾神社は1936年(昭和11年)京都松尾大社から分霊し西条酒造協会が建立した。西条の蔵元は酒樽を奉納している[1][2]
仕込みの朝
仕込みの朝
西条酒の位置(日本内)
西条
西条
灘
伏見
伏見

西条酒(さいじょうしゅ、さいじょうざけ、さいじょうさけ、: SAIJO SAKE)は、広島県東広島市西条町で作られる日本酒地域団体商標「広島の酒」の中の一つ[3]

西条は兵庫県の・京都府の伏見とともに日本三大銘醸地と称される[4]。「酒都」西条と称し西条酒周辺の環境を重要な観光資源として位置づけ酒まつりなどイベントを開催している。

西条酒[編集]

2014年当時酒蔵横丁に展示されていた西条酒。上部の題字は池田勇人揮毫

定義[編集]

2009年平成21年)に西条酒造協会が制定した西条産地呼称清酒認証要綱では西条酒ブランドを以下の通り定義している[5]。認証基準の検討および審査には酒類総合研究所も参加している[6]

  1. 伝統的な広島流の三段仕込みにより製造されたものであること。
  2. 広島県産の酒造好適米100%使用。
  3. 西条酒造協会会員が管理する井戸水を使用したものであること。
  4. 精米歩合は、吟醸酒は50%以下、純米酒は60%以下のものであること。
  5. 別に定める審査に合格したものであること。

銘柄と蔵元[編集]

2017年現在で西条酒造協会に加盟する8つの酒造メーカーとその代表的な銘柄を五十音順で示す[7]。現在は西条町に7つ黒瀬町に1つ酒造メーカーがある。賀茂とはこの地の旧名賀茂郡 (広島県)。これらの内、福美人が甘口の、亀齢が辛口の代表格になる。なお灘の酒が男酒と言われるのに対し広島の酒は女酒と言われ伝統的に甘口が多い[8]

銘柄 蔵元 創業 地区 銘柄 蔵元 創業 地区
賀茂泉
かもいずみ
Gthumb.svg 賀茂泉酒造 1912年
(大正元年)
西条 賀茂鶴
かもつる
Gthumb.svg 賀茂鶴酒造 江戸時代初期 西条
亀齢
きれい
Gthumb.svg 亀齢酒造 1868年
(明治元年)
西條鶴
さいじょうつる
Gthumb.svg 西條鶴醸造 1904年
(明治37年)
桜吹雪
さくらふぶき
Gthumb.svg 金光酒造 1880年
(明治13年)
黒瀬 山陽鶴
さんようつる
Gthumb.svg 山陽鶴酒造 江戸時代後期
白牡丹
はくぼたん
Gthumb.svg 白牡丹酒造 1675年
(延宝3年)
西条 福美人
ふくびじん
Gthumb.svg 福美人酒造 1917年
(大正6年)

背景[編集]

地形[編集]

大崎上島付近から北西方向を撮影。中央が西条盆地、その左の細長いものが黒瀬盆地。手前右側が竹原市中心部、その左が東広島市安芸津町中心部(三津)、その左端が呉市安浦町中心部(三津口・内海)。

この地は“西条盆地”と呼ばれる海抜200mの地を海抜400から600mの山地が囲む盆地である[4][9][10]

盆地となる前は湖であり、現在の土地は約100万年前から2万年前の湖時代に堆積した湖成堆積物の上にある[9][10][11]。これは“西条湖成層”と呼ばれもので、具体的には白亜紀花崗岩を基盤岩としてその上に・砂・シルト・粘土からなる湖成堆積物が約30mから50mの厚さで存在している[12]

気温と米[編集]

広島県南部は温暖な気候が続く瀬戸内海式気候に属すが、この地の気温はそれではなく地形に起因するものが現れる。冬は雪がふるほど冷え込むが基本的に寒暖差が激しく変化しないため寒仕込みに適している[4][13][14][15]

夏は、昼夜の寒暖差が大きいため酒造好適米(酒米)の栽培に適している[9][15]。古くから米作が行われ広島県内屈指の穀倉地帯であり[10]、県の酒造好適米産地のうち県南部では西条盆地とその周辺だけになる[16]。品種は八反あるいは八反錦千本錦、県内産の雄町山田錦を用いている[注 1]

[編集]

水に映る煙突

瀬戸内海式気候に属し降水量が少ない地である。そのため農業用の溜池が多数存在する[11]。東広島市は水環境保全に積極的に取り組んでおり水の郷百選に選出されている[21]

酒の仕込水は井戸から汲み上げている。この地北側の標高575mの龍王山の伏流水が西条湖成層というフィルターを通して10年から15年かけてこの地の下にある岩盤までたどり着き、鉄分が少なくミネラル分を含んだ中硬水となり、豊富かつ良質の井戸水として湧き出している[9][22][23]。西条の酒造メーカーは西条駅前の旧西国街道現在は酒蔵通りという東西に貫く通りに沿って約800mの範囲内に点在し、各酒造メーカーはそれぞれ個々に井戸を持っているが、狭い範囲に点在しているのにもかかわらず水質成分に違いがある[24][12][23]。これは、酒造メーカーのほとんどの井戸の深さはほぼ10mから30mで帯水層は西条湖成層内にあるが打ち抜き/ボーリングと井戸の掘り方に違いがあること、また西条湖成層の下側にある帯水層からとる100m以上の深井戸も存在しているため、水質成分が異なっている[12]

これに加えて各蔵ごとの仕込みの違いでそれぞれの独創性が生まれてくる[25]

酒蔵通り周辺。丸数字は酒造メーカーを示しその名は上写真参照。西条駅の北(上)側に松尾神社(御建神社)が、少し北東(右上)側に安芸国分寺がある。西端(左端)がサタケ。 東広島市役所から北方向を望む。右端に酒造メーカーの酒蔵と赤い煙突が見える。龍王山は左手奥。中央突きあたりのロータリーが西条駅前でその後ろの赤瓦は教善寺。その後ろの黒瓦が御建神社。
酒蔵通り周辺。丸数字は酒造メーカーを示しその名は上写真参照。西条駅の北(上)側に松尾神社(御建神社)が、少し北東(右上)側に安芸国分寺がある。西端(左端)がサタケ
東広島市役所から北方向を望む。右端に酒造メーカーの酒蔵と赤い煙突が見える。龍王山は左手奥。中央突きあたりのロータリーが西条駅前でその後ろの赤瓦は教善寺。その後ろの黒瓦が御建神社。

沿革[編集]

初期[編集]

御茶屋(広島藩本陣)跡。現在は賀茂鶴酒造の所管で、隣の洋館は賀茂鶴本社[注 2][4]

この地は古代安芸国の中心であった。古代の国府国分寺安芸国府安芸国分寺)双方ともこの地にあったとする説があり[27]条里制が敷かれ国府を中心に東條・西條と呼んだことから、西条の名が付いたという[28]。古代山陽道がこの地を通り、現在の西条町寺家の木綿神社付近が駅家“木綿駅”であったと推定されている[29]。中世ごろ“四日市”と呼ばれるようになり、江戸時代の近世山陽道(西国街道)が整備されたころには宿駅として本陣を中心に旅籠は40軒ほどあったという[15][4][30]

(西条)四日市での酒作りは江戸時代初期から始まったという。西条酒造協会は1650年頃としている[31]白牡丹酒造の創業年度[32]から、延宝年間(1673年-1681年)とも言われている[33]。いずれにしても第4代将軍徳川家綱の時代で、西廻海運開発などによって全国的な商品経済が発達していった時期である。

西条酒の位置(広島県内)
西条四日市
西条四日市
三津
三津
内海
内海
竹原
竹原
呉
西条酒
福山
福山
西条酒
西条酒
三原
三原
西条酒
西条酒
広島
広島
西条酒
西条酒
赤は西国街道の宿場町。

ただしこの時点で(西条)四日市は酒処としてはローカルな存在に過ぎなかった[34]。当時江戸幕府は酒造統制を行い酒株を持つもののみ生産・流通を認め、国境を超えた米および酒の移出入を取り締まったため、蔵元は限られ流通もままならなかった[35][36]。そのため当時の酒造業は、大量の米が流通していた広島(広島藩)や福山(備後福山藩[注 3]といった城下町や、年貢米の積み出しや西廻海運によって他藩米を積んだ廻船が入港していた瀬戸内海沿岸の港町に集中した[35][36][37][38]。この近辺ではまず内海(現呉市安浦町)が盛況し、のちに三津(現東広島市安芸津町)や竹原[注 4]にそれが移ることになる[39]

以下、広島藩政時代における賀茂郡西条方面酒造業者つまり内陸部の西条・黒瀬・志和・高屋・八本松で生産されていた銘柄のうち判明しているもの[40]を示す。

酒銘 屋号(氏名) 町村
白牡丹 島屋(島博三) 四日市(現西条町)
千代乃春 (竹尾三郎平) 志和堀村(現志和町)
不明 (竹内某) 吉川村(現八本松町)
  • 白牡丹を製造する島屋・現在の白牡丹酒造は島清興(左近)の子孫が延宝3年(1675年)創業したと伝承に残り、広島の酒の中で現存最古の蔵元である[32]。白牡丹の銘は天保10年(1839年)鷹司家から拝受したという(鷹司牡丹)[32]
  • 千代乃春を製造している竹尾氏、のちの千代乃春酒造寛延2年(1749年)創業の蔵元であったが平成21年(2009年)操業停止している[41]

廃藩置県後、(西条)四日市には賀茂郡の郡役所が置かれる。四日市から西条の名に変わったのは明治中頃である[15]

醸造法の確立[編集]

東広島市安芸津町三津にある榊山八幡神社。ここの摂末社にも三津杜氏の寄進により松尾神社が分祀され、境内には三浦仙三郎の銅像が建立されている。正面の拝殿に安芸津の蔵元が奉納した酒樽が見える。その右手に見えるのは狛犬代わりの石造酒樽[42]

廃藩置県後酒株制が廃止となると、灘・堺などから当時の広島の酒より質の高いものが大量に広島県に流入したため広島の酒は淘汰されつつあった[37][43]。広島の蔵元は彼ら、特に灘酒を目標に努力を重ねた[38]。ただ灘の仕込水である宮水硬度8から9度の硬水であるのに対し西条の仕込水は硬度4から6度の中硬水であり、灘酒と同じ醸造法では酵母が活発化しないため試行錯誤が繰り返された[8][44][37]。これは仕込水に軟水が多かった広島の他の地域の蔵元も同じであった[8]

西条の南にある三津という地は近世から近代にかけて広島酒の先端地であった。酒株制廃止後、いち早く県外へ酒販路を求めたのは三津の蔵元である[36]。そして杜氏三浦仙三郎が誕生、1897年(明治30年)三浦は軟水に適する醸造方法「軟水醸造法」を発明し翌1898年(明治31年)そのやり方を記した「改醸法実践録」を刊行し県内の醸造技術向上に貢献、更に三浦は三津で杜氏の育成にも取り組み「三津杜氏(あるいは安芸津杜氏)」という一大杜氏集団を形成するに至った[25][36][44]。この三浦が作り上げたものを三津杜氏が高めていき全国に普及させたものが現在「吟醸造り」と呼ばれている[15]

西条の酒は明治初期、沿岸部より遅れていた[34]。1882年(明治15年)頃に旧街道に沿って広島へあるいは沿岸部の内海・竹原から県外へと販路を求めたこともあったが競争に負けていた[34]。その立地から旧街道を伝って灘・堺などの質の高い酒が流入し、更に三津など沿岸部の気運に触れ、西条の蔵元は明治20年代に入り更に質を追求するようになる[34][45][44]。そして1894年(明治27年)山陽鉄道(山陽本線西条駅開業により西条は宿場町から単なる通過町となったことで旅館や料理屋などに廃業が相次いだが、逆に鉄道運搬という選択肢が着目されこれらや商家は蔵元へ変貌していった[45][24][43][30]。そうした中で三浦の軟水醸造法は西条にも伝播するがここの水は中硬水であったため、西条の蔵元は軟水醸造法と西条の醸造法をあわせた「西条中硬水醸造法」を完成させた[25][37]。こうして、元々持ち合わせていた良い酒米・水を生み出す環境に、三津杜氏という技術集団の流入と中硬水醸造法の確立が加わり、良い酒が生まれる下地が出来上がった。

進化と旺盛[編集]

1929年(昭和4年)竣工の旧県立醸造試験場西条清酒醸造場[注 2]。現在は賀茂泉酒造が所管するカフェ「酒泉館」[46]

1907年(明治40年)日本醸造協会主催の第1回全国清酒品評会1911年(明治44年)酒類総合研究所主催の第1回全国新酒鑑評会(現全国新酒鑑評会)で、西条を含めた広島の酒は飛び抜けた成績を収める[25][37][43]。品評会での入賞は続き、品評会での評価が需要へとつながっていった[37][47]。このときから登場した広島の酒が甘口であり嗜好の変化により甘口の需要が年々高まると流通量も増えていった[48]

醸造技術は更に進化する。1922年(大正11年)全国に先駆けて広島県によって県醸造試験場(現県立食品工業技術センター)が設置、その初代部長に就任した橋爪陽が広島酒の発展・後継者の育成に尽力した[37]。精米技術の向上には地元西条の佐竹製作所(現サタケ)が大きく貢献し、1896年(明治29年)日本で最初の動力式精米機を[49]、1930年(昭和5年)日本で最初の竪型(縦型)研削式精米器を開発した[37][24]。更に画期的だったのが大正時代中頃に全国に先駆けて経営改革、旧来の家業の延長であったものを株式会社化したことである[9][24]。当初は3社が誕生し[24][15]、その他の蔵元も続いた。

販路の拡大には鉄道が大きく貢献した[43]。この時代、全国の酒造産地は一大消費地となった東京を目指しており、大正時代初期から西条の蔵元も続いた[43][47]。近隣の呉が旧海軍呉鎮守府・広島が旧陸軍第5師団の拠点となり日清戦争日露戦争を経て消費量が格段に上がっていき、また遠く中国・朝鮮半島・台湾・アメリカと海外にも輸出した[50]。大正時代には需要に対して供給不足の状況にもなり[50]、生産工程の機械化も進み、街道沿いの蔵元は北側の線路側に敷地を伸ばしていき西条駅から引込線を敷き大量運搬していた[51]

以下、1919年(大正8年)つまり第一次世界大戦の大戦景気ピーク時点での賀茂郡西条方面酒造業者が生産していた代表的な銘柄を列挙する[52][52]

酒銘 造石高
氏名 町村 酒銘 造石高
氏名 町村
現・西条町 現・黒瀬町
賀茂鶴 6,362 賀茂鶴酒造(株) 西条町 鬼酔 463 金光市郎右衛門 乃美尾村
福美人 3,251 西条酒造(株) 藝陽富乃壽 317 松尾徳太郎
白牡丹 2,798 島博三 現・高屋町
万壽冠 1,552 南方酒造(株) 鴨正宗 1,518 重満勘蔵 東高屋村
亀齢 1,415 石井峰吉 艶桜 611 白市酒造(株)
賀茂泉 1,408 前垣壽一 現・志和町
西條鶴 750 伊野本市松 千代乃春 1,519 竹尾完吉 志和堀村
賀茂櫻 644 武田信一 桜榮 1,377 平山範一
白不二 584 藤原省三 大和花 1,641 大山正樹 西志和村
山陽鶴 464 本永榮 白不二 600 白不二酒造(株)
藝陽鶴 2,121 藝陽酒造(資) 寺西村
賀茂輝 1,004 財満次平次
新正宗 862 尾越整三
壽乃聲 543 藤津酒造(資)
八刀正宗 656 財満森平 吉土実村
山陽一 1,196 山陽一酒造(株) 郷田村

全国清酒品評会では、第1回大会で白牡丹(当時は島博三名義)が初めて一等を、1909年(明治42年)第2回で賀茂鶴酒造(当時は木村静彦名義)が初めて優等を、1917年(大正6年)第6回で賀茂鶴と亀齢酒造(当時は石井峰吉名義)が初めて名誉賞を受賞している[53]

  • 賀茂鶴は1900年(明治33年)パリ万国大博覧会名誉大賞受賞、明治末期から旧海軍御用酒(いわゆる軍用酒)特に海軍士官用の酒に採用され、月桂冠と同様に早くから瓶詰め清酒を販売したこと、全国に先駆けて株式会社化(1918年(大正7年))したこと、など近代化する日本の酒造業の中でトップグループに加わった蔵元の一つである[47][54]
  • 亀齢は商標を1903年(明治36年)に登録しており、これは西条のみならず広島の酒の中で最初の登録である[注 5][55]。。
  • 鬼酔を製造している金光氏が現在の金光酒造にあたる[56]
  • 西条酒造、現在の福美人酒造は1918年創業と西条の蔵元の中では遅い創業ではあるが、元々は賀茂鶴の木村が三浦の軟水醸造法を広めるために杜氏養成機関”西条酒造学校”として設立した経緯があり、全国で初めての(西日本各地の複数の蔵元による)共同出資により設立された法人である[57][58]
  • 万壽冠を製造している南方酒造も賀茂鶴の木村が設立に関わった会社で[26]、現在の世界一統とは別会社である。ただ世界一統は昭和初期に西条に工場を持っていたこともあった[59]
  • 山陽一を製造する山陽一酒造は1990年(平成2年)に廃業している。そこから小売に特化して、 広島地酒振興のポータル&ネットショッピングサイト広島お酒スタイルを運営している[60][61]
1947年米軍が撮影した西条駅周辺。上地図と位置関係を参照。建物が通りに対して縦長なのは、江戸時代に間口に対して税金が科せられていたため多くの建物が間口を狭く奥行きを広く建てられたためで、現在でもこの周辺の建物はその名残を残している。

現在、硬水醸造法と広島杜氏のルーツである三津杜氏育成に尽力した三浦仙三郎、県の醸造技師として品質向上に貢献した橋爪陽、近代西条酒の事実上生みの親にして酒造業の近代化に尽力した木村静彦を「酒三代恩人」、これにサタケ創業者にして精米技術向上に貢献した佐竹利市を加えて「広島の酒の恩人」としている[62]

重工業が発展途上にあった近代の日本において、酒造業は広島県の基幹産業として県経済を支えた[43][63]。当時造石高は兵庫・福岡・京都とで4強を占め、県外で出回っていた広島の酒は賀茂郡・呉市[注 6]三原市[注 7]でほぼ作られ、その生産の中心が西条であった[65][63]。灘・伏見とともに西条が「日本三大銘醸地」と言われるようになるのはこれら明治末期以降のことになる[4][37]。昭和初期に西条を訪れた河東碧梧桐は「酒の新都」と表現し、そこから「酒都」を称するようになる[66]

太平洋戦争下での戦時統制を経て、戦後1958年(昭和33年)国内の酒造業は最盛期を迎えた[67]。この後も西条における酒造りへの新たな開拓は続き、例えば賀茂泉酒造は昭和40年代に純米酒の製造に着手し普及に尽力[68]西條鶴醸造は1969年(昭和44年)防腐剤無添加酒を発売している[69]。西条地区内が手狭となったため地区外へ酒蔵を増設するところもでて、施設の増設も1990年代初頭つまりバブル景気まで続いた[51][70]

現状[編集]

1995年東広島市鏡山に移転した酒類総合研究所。現在では酒都西条の象徴的存在と位置づけられている[6]

広島県で見ると、1924年(大正13年)当時の造石高で全国3位に位置していたが[63]、2015年(平成27年)時点の製成数量(20度)は兵庫・京都・新潟・埼玉・秋田・愛知・福島・東京に次ぐ9位になり[71]、現在では兵庫(灘)・京都(伏見)に大きく差を付けられている。

たた西条だけではなく日本全体の酒造業は消費者の趣向の多様化・少子高齢化の影響で年々消費減少が続いており厳しい状況に置かれている[67][51][72]。1980年代を境に西条の酒造メーカーは効率化を進めていった[51]。全国的に酒造メーカー再編、特に中小酒造メーカーの淘汰が続いており[67]、西条においても2000年代以降も廃業するメーカーが出てきている。

一方1974年西条含めた町村合併から市制施行した東広島市は、広島大学および私学数校による“賀茂学園都市構想”、ハイテク産業を中心とした“広島中央地域テクノポリス構想”、山陽新幹線東広島駅開業や山陽自動車道開通など広域交通網整備により、産業構造は変化し人口は増え環境は大きく変化した[6]。東京にあった酒類総合研究所が東広島市に移転してきたのは成熟した醸造地・広域交通網・産学の研究機関が揃っていたことが決め手となった[6]。その反面1980年代に入り郊外型店舗の出店が相次ぎ西条駅前の店舗は減少していった[73]

龍王山展望台から南方向の市街地を望む。中央下端やや左側が西条駅で、その左に酒造メーカーの赤い煙突が数本見える。上の1947年空中写真と比べ発達していることがわかる。
白牡丹米満醸造場前
白牡丹米満醸造場前
酒まつりの夜
酒まつりの夜

西条酒造協会および観光協会・東広島市が「酒都」を観光資源として活用していったのはこうした背景からである。

全国的にも珍しい酒をテーマとした「酒まつり」は、1974年東広島市市制施行した時から市が主催していた“みんなの祭り”と、西条酒造協会が主催していた酒造祈願祭“西条酒まつり”とを合併させ、酒に特化した祭りとして1990年から毎年開催している[6][74]。現在では観光協会が主催し、酒造協会・自治体・商工会・青年会・JA・酒類総合研究所・ほか市内団体が協力するなど市を挙げて行われ、開催2日で20万人以上の動員が見込める重要な地域活性化イベントとして発展している[6][72]

1989年には「酒蔵のある町並み」として建設省(現国土交通省)手づくり郷土賞を受賞している[75]。酒造メーカーは土日祝日には酒蔵を一般開放している。使わなくなった余剰施設の転用を始めたのもこの頃であり、きっかけは1997年賀茂輝酒造が空いた酒蔵を陶芸家の展示場に転用したもので、他の酒造メーカーもこれに続いた[51]。旧県西条清酒醸造支場施設群は1976年に賀茂泉が買い取り空き家のままであったが、2000年国民文化祭ひろしまに合わせ賀茂泉が酒泉館・藍泉館として公開したものである[70]。2002年-03年ごろから各酒造メーカーは仕込み水用井戸の一般公開を始めた[51]

その他にも、2001年から西条酒造協会の10酒造メーカーは西条酒が生まれる里山環境を保全するため「西条・山と水の環境機構」を設立、現在は地元の産官民学が絡んだ体制になり一体となって保全活動を行っている[9]

SAIJO SAKE[編集]

酒蔵 70917eff-6edf-4831-86bd-aded7918bea8.jpg

現在国内の日本酒は消費縮小が続いているが、高級清酒に限れば需要は拡大しており、さらに日本食ブームを背景とした海外への輸出によって縮小に歯止めがかかりつつある。日本政府としてはクールジャパン政策あるいは日本再興戦略の中で日本酒の振興に向けて様々な取り組みを行っている[72]

その中の一つに中小企業庁“JAPANブランド育成支援事業”、地方のメーカーあるいは商工会などが輸出事業に取り組むには限界があるため国がサポートする制度がある[72]。これに2008年、西条酒が清酒業界としては初の事業に採択された[72]。具体的には2008年から3年間、東広島商工会議所が主体となって“SAIJO SAKE Taste Japan”としてブランド化し外国人を意識した商品の開発や海外輸出に向けたプロモーション活動を展開した[6][72]

また2013年から始まった観光庁“酒蔵ツーリズム”、外国人向けの日本酒をテーマとした観光展開では初期からモデルケースの一つとして紹介されている[76]

文化[編集]

文化財[編集]

金光(黒瀬町)
金光(黒瀬町)
賀茂泉
賀茂泉
賀茂鶴
賀茂鶴
亀齢
亀齢
西條鶴
西條鶴
山陽鶴
山陽鶴
白牡丹
白牡丹
福美人
福美人

以下、2016年現在で国の登録有形文化財[77]、2009年近代化産業遺産「瀬戸内海沿岸の気候風土に育まれた製塩業・醸造業の近代化の歩みを物語る近代化産業遺産群」に登録されている文化財[37]を列挙する。

国登録 近代化遺産 備考
金光酒造 -
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
  • 庭園
ここのみ黒瀬町
賀茂泉酒造
  • 店舗兼主屋
  • 新座敷
  • 土蔵
  • 門及び塀
  • 前蔵
  • 通路棟
  • 造火蔵
  • 中蔵及び東蔵
  • 煙突
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
(旧県西条清酒醸造支場)
  • 本館
  • 精米所
  • 醸造蔵
  • 煙突
  • 門柱
  • 酒泉館
  • 藍泉館
賀茂泉所管
賀茂鶴酒造 -
  • 洋館
  • 第4号蔵
  • 第4号蔵赤煉瓦積煙突
亀齢酒造
  • 洋館
  • 一号蔵
  • 一号蔵煙突
  • 門柱
  • 五号蔵
  • 七号蔵煙突
  • 事務所
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
西條鶴醸造
  • 店舗兼主屋
  • 角屋
  • 酒宝蔵醸造蔵
  • 宝蔵仕込蔵
  • 酒宝蔵煙突
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
山陽鶴酒造
  • 黒松一号蔵
  • 黒松二号蔵
  • 黒松三号蔵
  • 醸造蔵
白牡丹酒造 -
  • 天保庫
  • 仕込庫
  • 延宝庫赤煉瓦積煙突
  • 天保庫赤煉瓦積煙突
福美人酒造
  • 事務所
  • 一号蔵
  • 二号蔵
  • 三号蔵
  • 三号蔵煙突
  • 四号蔵北棟
  • 四号蔵南棟
  • 背戸蔵
  • 昭和蔵
  • 瓶詰場
  • 福神寮
  • 従業員寮
  • 恵比寿蔵煙突
  • 門柱
  • 事務所
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
サタケ -
  • 資料館の所蔵物
精米機関連遺産
(旧千代乃春酒造) -
  • 壱号蔵
  • 弐号蔵
  • 赤煉瓦積煙突
ここのみ志和町
2009年廃業
2016年現在建物現存
(旧賀茂輝酒造) -
  • 醸造蔵
  • 赤煉瓦積煙突
2014年廃業
2015年解体

景観[編集]

酒蔵通り 0c56b58c-c988-48f1-bd8e-e0b2cf4fe2dc.jpg
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西条の酒造メーカーは西条駅前の酒蔵通りに集中する。この通りは2003年に整備された駅前からのメインストリート”ブールバール”によって東西に二分されている[73]。東側に酒造メーカーが集中し観光地区として町並み整備が先行している一方で、西側は東側に比べて整備が遅れている[78]。かつて賀茂輝酒造があったのもこの西側で2017年現在山陽鶴酒造のみになる。

西条の酒蔵は一般に開放蔵と呼ばれるもので、2階建の高層に温度調節のため格子戸の高窓が特に北側に多く設けられ、湿度調整にもなる厚い土壁になまこ壁など漆喰で処理されていることなど、盗難・火災防止に加え酒にとって良い環境となるよう様々な工夫が採られているところに特徴がある[79]。江戸時代の酒蔵は白牡丹酒造のみ所有し[44]、1675年(延宝3年)開業当時のものから部分的に改築された延宝蔵(創業蔵)[80]、天保年間(1830年から1844年)に建てられた天保蔵[81]がある。その他の酒造メーカーの蔵は明治時代以降に建てられたものである[44][82]。そしてこの地は大きな地震が極端に少ないため近代に建てられた大きな赤レンガの煙突が残る[4]。ただし赤レンガ煙突を現役で利用しているのは西條鶴醸造だけになる[83]。これに石州瓦のこの地方特有の赤瓦[84]と黒瓦の建物が調和するという酒都西条独特の風景を作り出している[4][24][73][85]。こうした景観の保全は行政指導ではなく酒造メーカーの企業努力によるものが大きく[86]、逆に民家建物は建て替えや駐車場化が進み景観の連続性が失われつつあるのも事実である[73]

黒瀬に唯一ある金光酒造は西条の酒造メーカーと趣は同じである。一方志和の現在は操業停止している旧千代乃春酒造は2016年現在建物自体は残っており、こちらは他と違い典型的な農村部の造り酒屋といった趣がある[87][88]

音楽文化[編集]

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酒造り唄

酒造りの際に歌われてきたいわゆる労働唄[89]。一般に南部流・越後流・丹波流の3つに分類されるが[90]、ここでの唄はそれらとは別に三津西条流として分類されている[89]

「酒の神様 松尾の神 造りまします 五万石」の『西条酒造り唄』は、現在は西条酒造り唄保存会が酒まつりなどのイベントで披露している。めでたい歌詞や名所などが入った櫂入れ唄である[89]。その他にも、「酒屋酒屋 と好んで来たが 勤めかねます この冬は」と望郷と仕事の辛さを歌った桶洗い唄、「ヤレー今朝も暫く米とぎましょか いつも変らぬ米とぎを 勇み勇んで今磨ぐ米は 酒に醸して江戸へ出す」という米洗い唄などがある[89]

オペラ『白壁の街』

1981年(昭和56年)東広島市立西条小学校の教員が創作したオペラ。蔵人の仕込みと、その終わった後の祭りを表現したもの。毎年6年生が参加し酒まつりや教育系の研究会などで演じられている[91]

組曲『西條』

2001年(平成13年)東広島市立西条中学校で創作された組曲。西条酒造り唄・酒造りや盆踊りなどを表現し、太鼓・合唱・男踊り・女踊り・広報・舞台演出の6パートからなる。毎年中学3年生が参加し、これも酒まつりなどで発表されている[92]

旦願寺の狸和尚とのん太[編集]

のん太のイルミネーション

垣内稔『日本の民話 22 安芸・備後の民話 第一集』未來社,新版2015年、や『まんが日本昔ばなし』1989年10月21日放送No.1142に「旦願寺の狸和尚」[93]という昔話が載っている。

むかしむかし、旦願寺[注 8]に古タヌキが棲みついていた。この古タヌキ、”やいと”がうまく酒好きで、夜な夜な旦願寺の和尚に化けてやいとをして回ってはお礼のお金で酒を買っていた。旦願寺のタヌキ和尚のやいとは万病に効くと四日市(西条)で評判であった。四日市(西条)は酒のうまい所で、タヌキ和尚はやいとのお礼にと貰ったお金ですぐ酒を買うとほろ酔いで帰っていた。
ある日、古タヌキは和尚に化け遠く御薗宇[注 9]にまでやいとに出向いてほろ酔いで帰っていた。そこへ大雨が降り帰り道途中の川が増水し渡れなくなった。和尚は困っていると、一人の若者が川を渡ろうとしていた。和尚は「わしは旦願寺の和尚じゃが川を渡れんで困っとる。お礼はするけえわしを肩にかついで渡してくれんかの。」と若者にお願いした。若者は「旦過寺の和尚いうたら、タヌキと聞いとる。お礼をはずむいうても、後であけてみたら木の葉になっとったらつまらんけー。」と嫌がった。それに和尚は「そんなら、わしのやいとがよう効くのは聞いとろうがー、そのやいとのすえ方を教えるのと交換ではどうじゃ。」と答え、若者はそれではと引き受けて和尚を担いで川を渡りやいとの仕方を教えてもらった。
これを境に、御薗宇の若者のやいとはよく効くと評判になって大金持ちとなり、逆に古タヌキ和尚のやいとは全く効かなくなった。焦った古タヌキは仲間のタヌキを集めて相談すると、御薗宇の若者のやいとを一度すえてもらえという話になり、古タヌキはおばあさんに化けて御薗宇まで行った。おばあさんは若者のやいとを据えられると、最初は我慢していたがあまりの熱さに耐えられずやいとを背中に載せたまま逃げ帰ってしまった。
後に旦過寺の松の木の下で、頭の禿げた(やけどした)タヌキを見たというものがいたが、あれが古タヌキ和尚であったかはわからないという。

東広島観光協会はこの話のタヌキを元にゆるキャラ「のん太」を作成、1991年の酒まつりで初披露した[94]。2015年には東広島市公認のキャラクターとなった[94]

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 八反錦は八反という広島県の酒米を品種改良したもの、千本錦は山田錦を広島県の気候条件にあうもの[17]に品種改良したもの。明治時代に虫害によって収穫量が減ったため備前雄町が導入され、大正時代は雄町が中心でほか都・神力が用いられていた[18][19]
  2. ^ a b 賀茂鶴本社の洋館や旧県立醸造試験場・現在の酒泉館は豊田勉之が設計したもの[26]。豊田は呉を中心に活動していた建築家で、豊田の叔父が賀茂鶴初代社長木村静彦[26]。他にも西条町役場や呉銀行西条支店を設計したと言われている[26]
  3. ^ 代表的なものが保命酒になる。
  4. ^ 代表的なものが竹鶴の竹鶴酒造
  5. ^ 岡崎酒造は字体の違う同名の酒を1911年(明治44年)に登録しており[55]、これが現在の「信州亀齢」。
  6. ^ 代表的なものが千福の三宅本店
  7. ^ 天保2年(1645年)松江重頼『毛吹草』で三原酒が名酒と書かれているように、広島県内でも古くからの酒処である。現在代表的なものが醉心の醉心山根本店[64]
  8. ^ 御建公園野球場の南西の墓地内の観音堂が旦願寺の跡と言われている。禅宗が宿を求めたところとして有名で、天正15年(1587年)3月15日九州平定に向かう豊臣秀吉が宿泊したところとも言われている[93]慶長年間に廃寺となる[93]。呼称には揺れが見られ、「旦過寺」とも呼ばれる。
  9. ^ 西条駅から南へ約3km。
出典
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  8. ^ a b c 軟水醸造法:三浦仙三郎:女酒”. 広島SAKE倶楽部. 2017年4月4日閲覧。
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参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]