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西村 賢太(にしむら けんた、1967年7月12日 - )は、日本の小説家。私小説の書き手として知られる。
- 幼少期
- 東京都江戸川区春江町出身[1]。祖父の代から続く運送業者の家庭に生まれる。実家は下請け仕事が中心で、トラック3台、従業員は最盛期でも4人の零細企業だった[1]。父は外車マニアで、数年ごとにジャガーやカマロやクーガーなどを買い換えていたが[1][2]、1978年秋に強盗強姦事件を起こして逮捕され、刑務所に収監される。このため両親が離婚し、3歳上の姉と共に母子家庭で育つ。
- 読書好きな姉の影響で、幼児期から『赤毛のアン』『キュリー夫人』などを読み、活字に親しんでいた[3]。江戸川区立二之江第二小学校5年の2学期に千葉県船橋市原木中山へ転居し、さらに小学校6年に進級する春休み中に東京都町田市のコーポに転居[1]。
- 少年時代
- それまでは父が単なる強盗事件を起こしたと聞かされていたが、町田市立中学校3年の時、父が起こした事件が性犯罪だったことを知り、その衝撃で2学期頃から不登校となる[1]。国語を除くと成績は「1」ばかりでローマ字も書けず、高校は全寮制の東京都立秋川高等学校しか行くところがないと教師に宣告されたが、寮に入るのを嫌って進学せず[4]、家を出て東京鶯谷の家賃8000円のアパートに下宿。
- やがて、家賃を4か月滞納したまま1年半で鶯谷のアパートから強制退去処分を受け、飯田橋、横浜市戸部町、豊島区要町、板橋などでトイレや風呂のない一間のアパートに住み、家賃滞納と強制退去を繰り返す[1]。この間、港湾荷役や酒屋の小僧、警備員などの肉体労働で生計を立てていた。1990年頃には品川の屠場で働いたこともあるが、「あまりのきつさに音を上げて一日でやめてしまった」という[5]。
- 傍ら、16歳頃から神田神保町の古本屋に通い、戦後の探偵小説の初版本などを集めていたが[1]、土屋隆夫の『泥の文学碑』を通じ田中英光の生涯を知ってから私小説に傾倒。1994年より1996年まで私家版『田中英光私研究』全8冊を刊行、この研究書の第7輯に私小説「室戸岬へ」を発表。第8輯にも私小説「野狐忌」を発表している。田中英光研究から離れた理由については「田中英光は、結局、一種のエリートなんですよ。そこでもう、なんか、そこでこう、もの足りないものを感じた」[6]と語っている。
- 青年時代
- 23歳で初めて藤澤清造の作品と出会った時は「ピンと来なかった」というが、29歳の時、酒に酔って人を殴り、留置場に入った経験から清造に共鳴するようになり[1]、以来、清造の没後弟子を自称し、自費で朝日書林より刊行予定の藤澤清造全集(全5巻、別巻2)の個人編集を手掛けている。朝日書林の主人からは相当額の金銭的援助を受け、神田神保町のビルの一室を契約したとき費用を借りた他、「これまでにトータルで5、600万は借りてる」[1]という。
- 清造の墓標を貰い受けて自宅に保存している他、1997年頃から[1]清造の月命日の毎月29日には清造の菩提寺の浄土宗西光寺(石川県七尾市)に墓参を欠かさない。2001年からは自ら西光寺に申し入れて「清造忌」を復活させた他、清造の墓の隣に自身の生前墓を建ててもいる。このエピソードがいくつかの作品において主人公の行動に擬して描かれているように、西村の作風は強烈な私小説である。また「瘡瘢旅行」で、敬愛する藤澤清造は「小説家」ではなく「私小説家」だと呼んでいる。
- 小説家としての活動
- 2003年夏、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始める。2004年、『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される。同年に『煉瓦』を退会。
- 2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。2009年、「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。
- 2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。芥川賞受賞後の2011年7月には、「この受賞の流れを逃したら次はない」[7]という自身の提案で新潮社から清造の代表作『根津権現裏』を新潮文庫より復刊させた。2012年には同文庫より、自ら編集した「藤澤清造短篇集」を刊行。芥川賞受賞会見における「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」との発言が話題を呼び[8]、同賞受賞以後はワタナベエンターテインメントに所属している[9]。
- 2012年10月2日からTOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』にレギュラー出演していたが、2013年6月4日の放送で終了直後に突然降板する。「週刊アサヒ芸能」6月27日号および7月4日号の西村の連載コラム「したてに居丈高」で、かねてより番組スタッフとMCの段取りの悪さに不満を募らせ続けており、それがこの日の我慢のならぬ段取りと進行が重なったことによって爆発した、との動機が明かされている。[10][11]
事件・問題[編集]
- 暴行による罰金刑
- 25歳頃にアルバイト先の同僚と揉め、止めに入った警官を誤って殴り逮捕され、略式起訴を経て10万円の罰金刑を受ける[12]。また、29歳の時には飲食店で酔って他の客に絡んで暴力をふるい、再び逮捕され、10日間留置され[13]、東京簡易裁判所で罰金20万円[14]の有罪判決を受けた[12]。
- Twitterなりすまし事件
- 2013年11月頃から、ツイッター上に西村のなりすましが現われる。即時ワタナベエンターテインメントのサイト上で、本人によるものではない旨のアナウンスが発表される。西村の連載コラム「したてに居丈高」(『週刊アサヒ芸能』2013年12月19日号)はこの件について、「私は現在も過去にも未来にも、そうしたものは一切行っていないし、行うつもりも全くない。何が楽しくて、金に換わらぬ無料サービスの文章を書く必要があろうか」と突き放している。[15]
- 作品に度々登場する同棲相手の「秋恵」には実在のモデルがいるが、モデルとなった女性の性格・出身地・年齢・外見などはことごとく変えてあるという[4]。モデル問題で提訴されることを恐れているため、とのこと[4]。
- ミュージシャン稲垣潤一の大ファンで、ライブによく足を運んでおり稲垣のファンの間でも有名な存在である。[16]
作品一覧[編集]
単行本[編集]
単行本未収録作品[編集]
- 「室戸岬へ」(田中英光私研究第7輯、1995年)
- 「野狐忌」(田中英光私研究第8輯、1996年)
- 「一隅の夜」二之江第二小学校六年一組創作集(NHK「ようこそ先輩」で作成した非売品文庫、2011年8月)
- 「微笑崩壊」(『小説新潮』2015年3月号)
- 随筆集 一私小説書きの弁(講談社、2010年1月、2011年 新潮文庫)
- 随筆集 一日(文藝春秋、2012年5月)
- 一私小説書きの日乗(文藝春秋、2013年2月、2014年 角川文庫)
- 一私小説書きの日乗 憤怒の章(角川書店、2013年12月)
- 随筆集 一私小説書きの独語(角川書店、2014年7月)
- 下手に居丈高(徳間書店、2014年9月)
- 一私小説書きの日乗 野性の章(角川書店、2014年11月)
- 東京者がたり(徳間書店、2015年10月)
- 一私小説書きの日乗 淫道の章(角川書店、2016年1月)
- 一私小説書きの日乗 不屈の章(角川書店、2017年5月)
対談集[編集]
参加アンソロジー[編集]
選集再録作品[編集]
海外で翻訳された作品[編集]
- 苦役列車(韓国語訳)(2011年10月 dasan books)
- 苦役列車(台湾語訳)(2012年12月 新雨出版社)
談話収録[編集]
- 友川カズキ歌詞集1974-2010 ユメは日々元気に死んでゆく(ミリオン出版、2010年12月)
- 3・11後 ニッポンの論点(朝日新聞出版社、2011年9月)
映画化作品[編集]
外部リンク[編集]
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第29回野間文芸新人賞 |
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野間文芸新人賞 |
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第144回芥川龍之介賞 |
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1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回) |
| 1930年代 |
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| 1940年代 |
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| 1950年代 |
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1960年代 - 1970年代(第43回 - 第82回) |
| 1960年代 |
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| 1970年代 |
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1980年代 - 1990年代(第83回 - 第122回) |
| 1980年代 |
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| 1990年代 |
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2000年代 - 2010年代(第123回 - 現在) |
| 2000年代 |
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| 2010年代 |
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