西村正行

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にしむら まさゆき
西村 正行
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 山口県岩国市
生年月日 (1972-06-01) 1972年6月1日(51歳)
血液型 A型
最終学歴 大阪芸術大学芸術学部卒業
職歴 岩手朝日テレビアナウンサー
長崎国際テレビアナウンサー
ガンホー・オンライン・エンターテイメント企業広報
ジャパネットたかたラジオMC[1]
活動期間 1996年10月 -
ジャンル 報道番組スポーツ番組
公式サイト 公式プロフィール
担当番組・活動
出演経歴IATスーパーJチャンネル
ニュースプラス1ながさき
AbemaPrime

西村 正行(にしむら まさゆき、1972年6月1日[2] - )は、日本フリーアナウンサー、映像プロデューサー講師ジャパネットたかた社員[1]

来歴[編集]

山口県岩国市出身。小学生の頃からアナウンサーを志し[3]、1991年4月に大阪芸術大学芸術学部放送学科アナウンスコースに入学する[4][5]。1994年10月からは、それとは別にアナウンス専門学校にも通っていた[4]

大学を卒業後、1996年10月の開局を控えていた岩手朝日テレビ (IAT) に入社。報道制作局に所属し、同局のアナウンサー兼報道記者の1期生となる[3]。同期に元同局アナウンサーの伊波伴准山田美保土岐聡子、高橋香有がいる。

岩手朝日テレビには2001年3月まで在籍したが[6]、自身がアナウンサーを目指すきっかけとなった原爆関連の報道に携わりたいとの思いがあり[7][8]、同年4月に長崎国際テレビ (NIB) へ移籍した。同局でもアナウンサー兼記者として活動し、当初の目標通りに原爆報道に携わる。同局在籍後期には原爆報道のキャップとなり、さらに報道デスクディレクターキャスターも務めていた[8]

長崎国際テレビを退社後、ガンホー・オンライン・エンターテイメントの企業広報を経て、2011年にフリーに転向した[8]。またこれ以後は、映像プロデューサーや講師としても活動している。一時岩国の実家で野菜の無農薬栽培に取り組んでいたこともあるが[9]、2016年に『AbemaPrime』の番組制作に携わってからは東京で活動していたこともある[5]

その後、ジャパネットたかたに転職、ラジオMCを務めている[1]

担当番組[編集]

特記のないデータは、すべて局アナnet(運営:JAT株式会社)に記載されているプロフィールからの参考[5]

岩手朝日テレビ[編集]

長崎国際テレビ[編集]

フリー転向後[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 西村正行|ジャパラジMC
  2. ^ 西村正行. “nissyってだれ?”. nissyのひとりごと(西村の旧個人サイト). 2019年6月21日閲覧。
  3. ^ a b 西村正行. “涙と笑いの就職日記”. nissyのひとりごと(西村の旧個人サイト). 2019年6月21日閲覧。
  4. ^ a b 西村正行. “就職日記・前史”. nissyのひとりごと(西村の旧個人サイト). 2019年6月21日閲覧。
  5. ^ a b c 西村 正行”. 局アナnet. 2019年3月24日閲覧。 ※アクセスと同時にボイスサンプルが自動再生されるため、閲覧環境に注意。
  6. ^ a b 西村正行 (2001年). “Working 03.30~03.31”. nissy on the web@N-Reset. 2019年6月21日閲覧。
  7. ^ 西村正行 (2003年). “アナウンサー交換日記 第95回 西村 正行 被爆3世として、報道人として”. 長崎国際テレビ. 2003年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
  8. ^ a b c 西村正行 プロフィール”. システムブレーン. 2019年6月21日閲覧。
  9. ^ 西村正行 (2014-2015年). “マサユキ農園”. Ameba Blog. 2019年3月24日閲覧。
  10. ^ a b c 西村正行 | アナ番WEB | NIB長崎国際テレビ”. 長崎国際テレビ. 2006年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。

外部リンク[編集]