西村正夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
西村 正夫
Masao Nishimura 1959 Scan10014 160913.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 (1912-09-01) 1912年9月1日
没年月日 (2002-11-28) 2002年11月28日(90歳没)
身長
体重
164 cm
56 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1936年
初出場 1936年4月29日
最終出場 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 2002年11月28日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手監督。ポジションは外野手

来歴・人物[編集]

高松商業学校から、関西大学卒業後の1936年に創設されたばかりの阪急軍に契約第1号選手として入団する。しかし、阪急に入団する前に事情が分からないまま阪神とも契約を交わしてしまい、阪神からは違約金として3000円を要求された(毎月20円ずつ払っていたものの、3年後棒引きしてもらっている)[1]

外野手として一年目より規定打席不足ながら打率.387と活躍する。小兵の1番打者で鳴らしバント安打を得意とした[2]。選手業の傍ら1943年から1947年途中まで兼任監督を務め、1948年に他球団に先駆けて二軍制度を導入した[2]1950年限りで選手を引退し1951年から助監督となり、1954年から1956年まで二度目の監督を務めた。藤本定義が監督に招聘された1957年からはコーチとなり、1960年に退団するまで阪急一筋だった。

1961年、高松商の先輩・水原茂の誘いで東映フライヤーズのコーチに就任し、1962年のリーグ優勝と日本一に貢献。その後は中日ドラゴンズのコーチ、スカウトなども務め、1974年から再び二軍監督として阪急に復帰。1978年はシーズン途中に気管支肺炎で入院した上田利治に代わり監督代理として一軍で指揮を執った[3]。1980年を最後にフロント入りし、球団参与を務めた[2]

2002年11月28日に肺炎で死去[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1936春夏 阪急 15 78 62 15 24 2 2 0 30 7 5 -- 3 -- 16 -- 0 4 -- .387 .513 .484 .997
1936 27 112 94 14 21 0 0 1 24 4 6 -- 1 -- 17 -- 0 16 -- .223 .342 .255 .598
1937 54 246 195 48 54 2 3 0 62 14 16 -- 7 -- 43 -- 1 21 -- .277 .410 .318 .728
1937 39 141 117 16 24 3 0 0 27 6 9 -- 1 -- 23 -- 0 7 -- .205 .336 .231 .566
1938 35 171 123 25 35 2 2 0 41 4 4 -- 8 -- 39 -- 1 15 -- .285 .460 .333 .793
1938 33 120 94 21 18 3 1 0 23 2 7 -- 3 -- 23 -- 0 14 -- .191 .350 .245 .595
1939 87 382 304 47 70 5 2 0 79 16 23 -- 8 0 70 -- 0 23 -- .230 .374 .260 .634
1940 61 189 156 19 37 1 2 0 42 3 11 -- 5 0 28 -- 0 13 -- .237 .353 .269 .622
1941 62 216 170 16 32 1 0 0 33 6 5 -- 3 -- 42 -- 0 8 -- .188 .349 .194 .543
1942 54 178 145 16 23 0 0 0 23 3 11 3 9 -- 23 -- 1 6 -- .159 .278 .159 .437
1943 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
1944 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
1946 14 0 0 6 0 0 0 0 0 0 3 0 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
1947 11 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
1948 3 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
1950 5 1 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:13年 505 1834 1461 248 338 19 12 1 384 65 101 4 48 0 324 -- 3 127 0 .231 .372 .263 .635
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績[編集]

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
1943 阪急 7位 84 31 51 2 .378
1944 3位 35 19 15 1 .559
1946 4位 105 51 52 2 .495
1947 4位 41 18 21 2 .462
1954 5位 140 66 70 4 .485
1955 4位 142 80 60 2 .571
1956 3位 154 88 64 2 .579
1978 1位 20 12 6 2 .667
通算:8年 721 365 339 17 .518
  • 1947年は6月22日まで
  • 1978年は7月29日から8月24日まで上田利治の休養による監督代理

背番号[編集]

  • 14 (1936年 - 1943年)
  • 30 (1946年 - 1948年、1954年 - 1956年)
  • 1 (1949年 - 1953年)
  • 40 (1957年 - 1960年)
  • 50 (1961年 - 1967年、1974年 - 1980年)
  • 61 (1971年)

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 創立時からプロ野球一筋 西村正夫「あの頃は…」
  2. ^ a b c d 『朝日新聞』2002年11月29日付朝刊 (14版、39面)
  3. ^ 『朝日新聞』1978年7月24日付朝刊 (13版、14面)

関連項目[編集]