西川恭爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家阪神電気鉄道相談役・元社長。

来歴・人物[編集]

滋賀県彦根市出身[1]滋賀県立彦根東高等学校京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科土木工学専攻)修了後の1965年国鉄へ入社した[1]大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った[1]1986年3月、阪神電鉄へ入社した[1]西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した[1]。その他には朝日放送取締役なども務めた。

しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた[1]

脚注[編集]

先代
手塚昌利
阪神電気鉄道社長
2004年 - 2006年
次代
坂井信也