西岸良平
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| 西岸 良平 | |
|---|---|
| 生誕 |
1947年7月30日(71歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 活動期間 | 1972年 - |
| ジャンル | 青年漫画 |
| 代表作 |
『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』 『鎌倉ものがたり』 |
| 受賞 |
第27回小学館漫画賞青年一般部門 (『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』) 第38回日本漫画家協会賞大賞 (『鎌倉ものがたり』) |
西岸 良平(さいがん りょうへい、1947年7月30日 - )は、日本の漫画家。東京都世田谷区出身。妻は絵本作家の木村泰子(きむら やすこ)。代表作は『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』、『鎌倉ものがたり』など。
経歴[編集]
- 立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒。在学中は立教大学漫画研究会に属していた。
- 1968年、『週間ティーンルック』臨時増刊8月30日号に、木村泰子との共作『蒼い星からの呼び声』掲載される。
- 1972年、『夢野平四郎の青春』で第8回ビッグコミック賞(現小学館新人コミック大賞一般部門)佳作一席に入選。本格的なデビュー作となる。
- 1973年、『ビッグコミックオリジナル』3月20日号より初の連載作品『プロフェッショナル列伝』の連載が始まる。
- 1974年、『夕焼けの詩』が9月20日号より連載開始する。この作品は自身最大のヒット作となり、1981年には同作で第27回小学館漫画賞青年一般部門を受賞。1990年には毎日放送系でアニメ化もされた。また、1998年には「わたしの愛唱歌シリーズ第4集郵便切手」として、50円郵便切手「めだかの学校」の図案も手がけた。これは郵政省として初の漫画家による切手図案として知られる。
- 2009年、『鎌倉ものがたり』で第38回日本漫画家協会賞大賞を受賞。
- 2010年春、紫綬褒章受章[1]。
人物[編集]
- 作品にも反映されているが凝り性のマニアック過ぎる多趣味の人である。
- 鉄道ファンとしても知られ、『三丁目の夕日』では湘南電車(80系電車)や都電や交通博物館を、『鎌倉ものがたり』では江ノ島電鉄や横須賀線の電車を、積極的に作品へ登場させたりもしている。
- 高校・大学時代の同級生にミュージシャンの細野晴臣がいる。当時漫画家を目指していた細野は、西岸の才能に感服した事で漫画家の道を諦めて音楽の道に進む決意をしたと言う[2]。
- 『アップダウンクイズ(MBS)漫画家大会』に出場時(1980年頃)にあっと言う間に10問正解して賞品であるハワイ旅行を獲得したことがある。
作風[編集]
- 深い人間観察と郷愁表現を持ち味とする。『三丁目の夕日』シリーズはこうしたカラーを存分に発揮し、商業的にも成功した代表作。
- 初期の作品では、いわゆる“懐かしモノ”的な色合いは薄い。代わって、人生の一部を切り取ってみせ、独特の読後感を残すものや、遠い記憶と空想の境目をまさぐられるような不思議物語を展開するものに良作が多い。当初から「人生語り」と「不思議譚」に長けていた。やや不条理風な味わいのものもある。
- 必ずしも当時を美化し、復古を訴えるわけではなく、当時の生活の貧しさや不便さ、社会の不自由さを客観的に描き、それを題材にすることも多い。
- 絵柄の最大の特色は、独自のスタイルを追求し続けた結果としての、徹底的な様式化。“書き割り風の街並み”に“破線の同心円をまとった夕日”は、西岸作品には欠かせない舞台装置である。人物の顔の表現にも独特の様式を持つ。
- いわゆるスター・システムを導入しており、別々の作品で容姿や設定が同じキャラクターが出てくることもある。
作品リスト[編集]
連載作品[編集]
短編集[編集]
映像化作品リスト[編集]
- 「呪いの紙人形」「赤い雲」「タイム・スクーター」 ※実写化(フジテレビ「世にも奇妙な物語」)
- アニメ「三丁目の夕日」(毎日放送)
- 見て聴く『三丁目の夕日』(小学館)
- みんなのうた「あした会おうね」(NHK 原案・監修 西岸良平)
- TVCM「ポテロング」(森永製菓 1978年放映 ※三丁目の夕日のキャラクターを使用)
- 実写映画
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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