西丸與一

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西丸 與一(にしまる よいち、1927年3月14日[1] - 2020年4月3日)は、日本の医師法医学者作家横浜市立大学名誉教授。元「ぱしふぃっくびいなす船医監察医

生涯[編集]

東京府出身。横浜医科大学卒業。

1950年から神奈川県監察医の任にあたり[2]、数多くの事故、事件の検死解剖、鑑定にも携わった。その体験を書いた『法医学教室の午後』正(1982年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)・続(1984年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)は、1985年、1986年と日本テレビ系列でTVドラマになった。同シリーズの続編として『法医学教室との別れ』(1992年、朝日新聞社)がある。

1954年から1992年まで横浜市立大学医学部に勤務し、法医学を担当。3期、6年間同医学部長を務めた[2]。大学退官後、自ら横浜市に働きかけて横浜市総合保健医療センターの立ち上げに係わり、その施設長を1998年5月まで務めた。その後、日本クルーズ客船のクルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」の船医となった。2014年3月引退[3]。2014年12月より、神奈川新聞で「わが人生」[4]を連載。

2020年4月3日、死去[5]。93歳没。

略歴[編集]

主な経歴は以下のとおり[2]

  • 1950年5月 - 神奈川県監察医
  • 1961年3月 - 横浜市立大学 医学博士 論文の題は「モルヒネの排泄に関する研究 」
  • 1973年3月 - 横浜市立大学医学部法医学講座教授
  • 1977年6月 - 横浜市予防接種事故対策調査委員
  • 1981年4月 - 横浜市立大学医学部長・大学院医学研究科長
  • 1984年4月 - 文部省「医学教育の改善に関する調査研究協力者会議」委員
  • 1984年2月 - 文部省学術審議会専門委員
  • 1992年4月 - 横浜市総合保健医療センター長、横浜市総合保健医療財団常務理事
  • 1992年 - テレビ神奈川TVグラフィックおしゃべりトマトコメンテーター

監察医として係わった事件[編集]

受賞・栄誉[編集]

主な受賞等は以下のとおり[2]

出演番組[編集]

著書[編集]

  • 『法医学教室の午後』朝日新聞社, 1982 のち文庫
  • 『法医学教室の午後 続』朝日新聞社, 1984 のち文庫 
  • 『法医学教室との別れ』朝日新聞社, 1992 のち文庫
  • 『法医学あら・かると』悠飛社, 1999
  • 『こころの羅針盤 西丸與一対談集』かまくら春秋社, 2000
  • 『ドクター西丸航海記 客船ぱしふぃっくびいなす104日間世界一周の旅』海事プレス社, 2001
  • 『ドクター・トド船に乗る』朝日新聞社, 2003.6

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.423
  2. ^ a b c d e f g 医療:法医学の向上と啓蒙:西丸與一”. 横浜市 (1997年). 2009年12月28日閲覧。 アーカイブ 1999年10月4日 - ウェイバックマシン
  3. ^ 87歳の“名誉船医”が引退 人生はヨットに似て”. 神奈川新聞 (2014年). 2015年2月3日閲覧。
  4. ^ 神奈川県に縁が深い著名人が自ら半生を振り返る連載。
  5. ^ 西丸與一さんが死去 監察医や作家、船医として活躍 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞”. カナロコ. 2020年4月5日閲覧。
  6. ^ 平成17年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 14 (2005年11月3日). 2006年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月22日閲覧。

外部リンク[編集]