衛星デジタル音楽放送

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衛星デジタル音楽放送株式会社
Satellite Digital Audio Broadcasting Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 SDAB
本社所在地 日本の旗 日本
107-0052
東京都港区赤坂四丁目3番28号
設立 1990年4月2日
業種 情報・通信業
事業内容 BSデジタルラジオ放送局運営
代表者 前澤孝俊(代表取締役
(2003年2月26日時点)
資本金 4億5100万円(2001年3月31日時点)
営業利益 1300万円(2001年3月期)
純利益 0円(2001年3月期)
純資産 △5億3900万円(2001年3月31日時点)
総資産 6億5800万円(2001年3月31日時点)
決算期 3月末日
主要株主 ジャフコ 19.0%
マザーエンタープライズ 11.7%
ベネッセコーポレーション 8.9%
スクウェア 6.6%
(1999年8月時点[1]
関係する人物 福田信(創業者)
特記事項:2003年3月31日にワイヤービーへ合併し解散
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衛星デジタル音楽放送株式会社(えいせいデジタルおんがくほうそう、英文社名:Satellite Digital Audio Broadcasting Co., Ltd. 略称:SDAB)は、かつて存在した日本の放送事業者委託放送事業者

概要[編集]

1984年にキー局を母体としない民族資本で創業した日本初のBS民放局であるJSB日本衛星放送(現:WOWOW)は、当初からゆり3号aに割り当てられたBSアナログ3chのBモード(PCM独立音声)を使用したデジタルラジオ放送を目論んでいた。しかしマスメディア集中排除原則により衛星ラジオ放送局の所有が不可能であったため、「音楽関係者が中心となって衛星ラジオを放送しよう」と名乗りを上げた芸能事務所マザーエンタープライズ社長(当時)の福田信と、三井物産衛星放送事業の新規参入を担当していた田中聡が中心となり、JSBとは独立した衛星ラジオ放送局として1990年4月2日に設立した[2]。グランドマザー・ミュージックビジョン(マザーエンタープライズ系の音楽出版社)、福武書店(現:ベネッセコーポレーション)伊藤忠商事三井物産J-WAVE日本音楽制作者連盟加盟の芸能プロダクション、レコード会社ら非映像メディア企業と、日本衛星放送が出資した。

1991年3月30日、BS3ch-BモードをJSBから借用して「セント・ギガ(St.GIGA)」というチャンネル名で、世界初の衛星放送によるデジタルラジオ放送局を開局(AモードはWOWOW(BSアナログ)テレビ放送)。J-WAVE出身の横井宏・桶谷裕治らが番組構成を担当した。

同年9月1日、WOWOWの受信環境(BSチューナー・JSBデコーダー)を有する世帯を対象に月600円を徴収する有料放送を開始。同年10月1日に放送衛星が後継機のゆり3号bとなった関係でBS5ch-Bモードに変更された。料金収入は著しく低調でCMを放送せず広告収入が無かったことから、1992年には初期投資とトランスポンダ使用料などで40億円以上の累積債務を抱え債務超過となり、福田・J-WAVEらが増資を行うも、抜本的な収支改善には至らない危機的状況に早くも陥っていた。

任天堂の出資[編集]

その後、BSデータ放送技術に目を付けた任天堂1993年3月に子会社「任天堂ギガ」を通じてSDABに出資。筆頭株主として経営参画したことで財務基盤が安定し、経営危機は脱することになる。1994年11月に実施した20億円の5回目第三者割当増資により 、日本合同ファイナンス(現:ジャフコ)、任天堂本社、スクウェア (ゲーム会社)エニックスらが新たに資本参画した[3]

1995年3月にセント・ギガのデジタル放送帯域を使用し任天堂がコンテンツ供給するプランが認可を受け、SDABに対し衛星データ放送免許が交付された。そして1995年4月23日に任天堂のサテラビューを受信端末とした「セント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワー」が開始された。1996年には本社・スタジオ・送信所を設立時の東京都渋谷区神宮前のビルから台東区浅草橋の任天堂東京ビルに移転した。

「スーパーファミコンアワー」開始後はデータ放送や音声連動番組によるスポンサー料収入からSDABは黒字経営を果たすようになるが、セント・ギガはCM無しの姿勢を崩さず聴取料も値上げしなかったため、80億円以上に膨れ上がった累積赤字の解消には遠く及ばなかった。

1996年6月26日、任天堂は野村総合研究所マイクロソフトK.K.(現:日本マイクロソフト)と共同で、セント・ギガのデータ放送とインターネット(MSN)を融合させたMicrosoft WindowsPC向けの情報サービスを提供する計画を発表したが、1997年12月23日に計画を白紙撤回した[4][5][6]。なお、衛星放送(通信衛星)を利用したデータ放送はスカイパーフェクト・コミュニケーションズによる「スカイパーフェクトPC」が1995年から2000年にかけて実用化されていた。

それから約1ヶ月後の1998年1月27日に、任天堂は同郷の京セラと共同でSADBを通じてBSデジタル放送によるテレビ放送参入を発表。両社はBSデジタル放送の免許を受け次第、SDABが資本金60億円の8割減資後、任天堂と京セラによる120億円を含む総額200億円の増資を実施し、SDABの累積債務を解消させる旨を併せて説明した。その後、元大蔵省官僚で1997年に京セラに天下りした中島義雄と同じく任天堂に天下りした山口公生がSDABの役員に送り込まれ、創業者の福田信が経営から退いた。

任天堂の撤退[編集]

1998年8月上旬、SDABは郵政省のBSデジタル放送委託放送事業者公募に申請した。しかし、SDABの累積債務解消に必要とされた資本金60億円の8割減資を、福田ら旧経営陣を中心とした30%強の既存株主50数名が反対すると記した内容証明郵便が7月に任天堂へ送付される事態が発生。減資が困難となり任天堂と京セラによる資本増強策が崩れることになり、8月21日に任天堂と京セラはBSデジタル放送事業への参入断念を発表。テレビ放送の免許申請を取り下げる事態となった[7]

これに伴い任天堂は1999年3月を以て「スーパーファミコンアワー」の番組スポンサーから撤退。1999年6月にはSDABに対する出資と出向役員・社員を引き揚げる懲罰行動に動き、SDABも本社・送信所を任天堂東京ビルから撤収し、赤坂のマンションに移転した。任天堂撤退後の資本はマザーエンタープライズベネッセコーポレーション、任天堂と不仲説が囁かれていたスクウェア (ゲーム会社)が引き受けた。「スーパーファミコンアワー」はSDABの単独制作で継続されたが、2000年6月30日にデータ放送ともども終了した。

末期[編集]

1999年にセント・ギガ番組編成上の中心人物であった横井宏・桶谷裕治が相次いで死去。

2000年12月1日よりBSデジタル放送の開始に伴い、アナログBS5-Bチャンネル(独立音声)に加え、BSデジタルラジオ333ch、BSデジタルデータ633ch、636chでの音楽放送を開始した。

しかしながら、BSデジタルラジオの参入に伴う設備投資負担と任天堂の資本撤退による脆弱な財務基盤、加入者の低迷から、2001年7月25日民事再生法適用を申請。BSデジタル放送の委託放送事業者として初めて倒産した。

その後、再生計画にもとづき2000年設立のベンチャー企業・株式会社ワイヤービーの子会社となり、2002年6月4日民事再生手続終結決定。2003年3月31日付をもって株式会社ワイヤービーに吸収合併され消滅し、同日、日本民間放送連盟を退会した。

以降、ワイヤービーの衛星音楽放送事業部門がチャンネル名を「クラブコスモ」に改称し放送を継続したが、同年10月1日、同部門の営業権および無線局免許は別会社のWorld Independent Networks Japan株式会社(WINJ)に譲渡された。ワイヤービーは譲渡の直後10月15日に破産2004年9月24日に破産廃止となり法人解散。

最終的にはWINJも2006年11月より放送を休止し、その後も再開のめどが立たなかったため、2007年11月14日付けで総務省より委託放送事業者の指定を取り消され、2011年10月1日に放送大学がBSデジタルラジオを開始するまで、St.GIGA時代から続く放送衛星を用いたラジオ放送の歴史にいったん終止符を打つこととなってしまった。

創業メンバーの田中聡はSDABからエフエム京都に転じ、最終的には同社代表取締役専務、京都造形芸術大学・京都精華大学非常勤講師などを務めていたが、2008年1月10日に心不全で死去した。

脚注[編集]

  1. ^ BSデジタル放送における委託放送業務の申請受付結果 総務省(国立国会図書館アーカイブ))
  2. ^ 『追跡、放送デジタル化:(6)音楽専門チャンネルの限界 事業構造に課題残す』日本工業新聞 1998年9月4日
  3. ^ 『セント・ギガ データ放送に備え二十億円増資 任天堂グループが筆頭株主に』日本工業新聞 1994年11月12日
  4. ^ PC Watch 「任天堂、野村総合研究所、マイクロソフトが新しい情報サービス事業で提携Impress Watch、1996年6月26日。
  5. ^ 「マイクロソフト 任天堂 来年半ばにも提供 衛星情報会社を発表」『日本経済新聞』1996年6月27日付朝刊、第13版、第11面。
  6. ^ 「任天堂 衛星放送白紙に マイクロソフトと計画」『日本経済新聞』1997年12月23日付朝刊、第14版、第11面。
  7. ^ 『追跡、放送デジタル化:(6)音楽専門チャンネルの限界 事業構造に課題残す』日本工業新聞 1998年9月4日

関連項目[編集]