蟹江城
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| 蟹江城 (愛知県) | |
|---|---|
|
蟹江城址 | |
| 城郭構造 | 平城 |
| 築城主 | 北条時任 |
| 築城年 | 永享年間(1429年 - 1440年) |
| 廃城年 | 1585年(天正13年) |
| 遺構 | 本丸井戸 |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 位置 | 北緯35度8分11.6秒 東経136度47分24.6秒 / 北緯35.136556度 東経136.790167度座標: 北緯35度8分11.6秒 東経136度47分24.6秒 / 北緯35.136556度 東経136.790167度 |
| 地図 | |
蟹江城(かにえじょう)は、尾張国海部郡蟹江(現在の愛知県海部郡蟹江町)にあった中世の日本の城(平城)。
歴史[編集]
蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任(ときとう)が城塞を築いたのがはじめと言われ、戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)があり、大野、下市場、前田の三つの支城があった。しかし、1584年(天正12年)に起きた蟹江城合戦と翌年の大地震で壊滅した。現在は住宅地に城址の石碑と本丸井戸跡が残るのみである。蟹江町歴史民俗資料館の受付で城跡の地図が貰える。
年表[編集]
永享年間(1429年 - 1440年)、北条時任より築城される。
1555年(弘治元年)、今川方の松平広忠によって攻略された。(蟹江七本槍が有名である)、その後も伊勢国の長島城主だった服部友貞の支配下に入り、織田氏と対立する地域の戦いの場となる。
1567年(永禄10年)、友貞の資金により、織田家家臣滝川一益によって再構築され、その後の北伊勢進攻(1568年 - 1570年)、長島一向一揆(1570年 - 1574年)鎮圧の拠点となる。
1583年(天正11年)、一益は賤ヶ岳の戦いの後に羽柴秀吉に敗れ、織田信雄の家臣、佐久間信栄が城主となる。
1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いにおける蟹江城合戦では秀吉方となった一益に攻略されるも、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、篭城戦の末、半月後に落城した[1]。