出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
初世梅若万三郎による「融 酌之舞」
Noh a.jpg
作者(年代)
世阿弥(室町時代)
形式
貴人物・太鼓物
能柄<上演時の分類>
五番目物
現行上演流派
観世・宝生・金春・金剛・喜多
異称
塩釜(室町期)
シテ<主人公>
潮汲みの老人(前)、源融の霊(後)
その他おもな登場人物
旅の僧
季節
場所
京都・六条
本説<典拠となる作品>
源融河原院伝承
このテンプレートの使い方はこちら

」(とおる)はの演目の1つ。五番目物・貴人物・太鼓物に分類される[1]。作者は世阿弥1363年? - 1443年?)。

平安時代の左大臣源融とその邸宅・河原院をめぐる伝説を題材とする。荒廃したかつての河原院跡に月明かりの夜、融の霊が現われるという趣向で、情緒ある詩的な「佳品」と評される[1]

あらすじ[編集]

都へと上ってきた旅の僧(ワキ)がある夜、六条河原院の邸宅跡を訪れる。そこに桶を携えた潮汲み(製塩のため、海水を汲むこと)の老人(前ジテ)が姿を見せる。

海辺でもないのになぜ潮汲みを、といぶかる僧に老人は、ここが亡き融大臣の邸宅・河原院の跡であると伝え、生前の融が奥州塩竈の光景を再現しようと、難波の浦からわざわざ海水を運ばせ、庭で潮汲み・製塩を行わせていた故事を語る。しかし融の死後は跡を継ぐ人もなく、邸宅も荒れ果ててしまったといい、老人は昔を偲んで涙を流す。

老人はさらに、邸宅から見える京の山々について僧に案内するが、ふと我に返ったように桶を取り直して潮汲みを始める。やがて立ちこめる潮曇りの中、老人はいつの間にか姿を消してしまう。

そこにやってきた近所の男(アイ)は、老人の正体は融本人の霊ではないかと僧に教える。男が言うとおりに僧がその場で待っていると、生前の姿の融(後ジテ)が現われる。月の光に照らされながら、融は舞に興じる。やがて明け方が近づくころ、融はまるで「月の都」に向かうように、月光の中に消失する。

登場人物[編集]

  • 前ジテ - 潮汲みの老人(面は笑尉、または朝倉尉)
  • 後ジテ - 源融の霊(面は中将、または今若)
  • ワキ - 旅の僧
  • アイ - 都六条辺の者[1]

解説[編集]

源融822年 - 895年)は嵯峨天皇の十二男で、臣籍降下して従一位左大臣にまで登った実在の人物。六条に築いた邸宅・河原院に塩竈の光景を写して風流三昧に耽った、との逸話は、古く「古今和歌集」所載の紀貫之の歌(君まさで煙絶えにし塩釜のうらさびしくも見えわたるかな)や、「伊勢物語」81段などに伝えられている[2]

「融」ではこうした説話に基づき、融は気品ある風流な貴人として描かれている。そんな融の花やかな舞と、荒廃した河原院跡の哀しさ、という対照的なモチーフを美しい叙景描写でつないだ巧みな構成、そして詞章は、数ある能の中でも優れた一曲との評価が高い[3]

大正 - 昭和期の名手として知られた能楽師・櫻間弓川も本曲を好きな能の1つとして挙げる。著書の中で弓川は、少ない登場人物など簡素な構成でありながら、「喜怒哀楽の複雑な感情」を深く表現した、「能本来の精神を最もよく表現してゐる能」と賞賛している[4]

室町期から盛んに上演されており[5]、現在もシテ方5流のすべてで現行曲として扱われる。また、末尾の「この光陰に誘はれて、月の都に、入り給ふよそほひ、あら名残惜しの面影や」の詞章から、故人追善のための演能でしばしば舞われる[2]

作者[編集]

世阿弥の子・観世元能の著書『申楽談儀』には、「塩釜」の名で本曲が世阿弥の作品として紹介されている。世阿弥自身の著書『音曲口伝』でも本曲の一節がやはり「塩釜」の題で引用されており、作者が世阿弥であることは確実視されている。なお曲名については、世阿弥の孫・金春禅鳳1454年 - 1532年?)の頃には「融」と呼ばれるようになっていたらしい[6]

上記の通り、当時の注釈書などに記された融の河原院造営に関する説話をベースとしているものの、その依拠の部分は比較的小さい。本作の作品世界そのものは、作者である世阿弥の美意識に基づく創作と見なすべき、と能楽研究者の伊藤正義は指摘する[6]

一方、世阿弥の父・観阿弥が、やはり融を題材としたと見られる「融の大臣の能」を舞ったという話が『申楽談儀』にある(曲自体はすでに散佚)。「融の大臣の能」と「融」の関係については、「全くの別曲」「『融の大臣の能』を改作したのが今の『融』」と、意見が分かれる[6]

前述の伊藤は、「融の大臣の能」は、『江談抄』などにある、「河原院に滞在する宇多法皇と御息所の前に融の亡霊が現われ、御息所を奪おうとするも失敗する」との説話を元にした能だったとし、融が御息所への邪恋を訴える場面の一部が、現「融」で前ジテがかつての河原院を懐かしむ場面に引き継がれたのでは、と推測している[6]。事実だとすれば、女性への恋慕が、邸宅への執心にスライドした形になる。

小書[編集]

多くの小書(特殊演出)があり、「思立之出」(観世流・喜多流)、今合返(観世流)、替(大蔵流)、「白式」(観世流)、「窕(クツロギ)」(観世流・宝生流・金剛流)、「舞返」(観世流)、「十三段之舞」(観世流・金剛流)、「舞留」(観世流)、「袖之留」(金剛流)、「笏之舞」(宝生流・金春流・喜多流)、「酌之舞」(観世流)、「曲水之舞」(喜多流)、「遊曲」(宝生流・金春流・金剛流・喜多流)、「遊曲之伝」(喜多流)、「舞働」(観世流)、「彩色」(観世流)、脇留(観世流・金剛流)がある[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 松本(1987)、p.110
  2. ^ a b 小山(1989)、p.569
  3. ^ 横道・表(1960)、p.295
  4. ^ 櫻間(1948)、pp.116-117
  5. ^ 伊藤(1986)、p.498
  6. ^ a b c d 伊藤(1986)、p.497

参考文献[編集]