蜆塚遺跡

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蜆塚遺跡
Shijimizuka Site, tatemono.jpg
復元建物
種類集落・貝塚
所在地静岡県浜松市蜆塚4丁目22番1号
座標北緯34度42分48.8秒 東経137度42分11.9秒 / 北緯34.713556度 東経137.703306度 / 34.713556; 137.703306座標: 北緯34度42分48.8秒 東経137度42分11.9秒 / 北緯34.713556度 東経137.703306度 / 34.713556; 137.703306

蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、静岡県浜松市中区蜆塚にある縄文時代後期から晩期(約3~4千年前)頃の貝塚、および集落遺跡。国の史跡に指定されている[1]

概要[編集]

1959年(昭和34年)5月13日から学界では知られていたが、遺跡の存在自体は江戸時代から知られていたとされている。第1次調査は1955年(昭和30年)の暮れに行われ、その後も数度にわたって調査が実施された[2]。円環状に平地式の住居跡が20数戸、墓地などの存在が明らかになり、首飾りや貝製腕輪を身につけた人骨なども出土した。1981年(昭和56年)に第5次調査、1982年(昭和57年)には第6次調査が行われ[3]勾玉土器鉄鏃などが出土しているが、これらは縄文時代後期から晩期のものである。これらの出土品の多くは遺跡南側に併設されている浜松市博物館(中区蜆塚四丁目)に展示されている。

比較的規模の大きい貝塚があることで有名な遺跡でもあり、その多くが淡水性で二枚貝の蜆(シジミ)で構成されていたことが遺跡周辺の地域名「蜆塚」の由来である。この貝塚は大きく分けて4つ存在し[4]。、その内の一つは専用施設により発掘調査当時のまま保存されている。この貝塚は幾重もの層が存在し、およそ千年分のものが積み重なっているとされており、その堆積は1.5メートルほどに達する個所もある。

貝類だけではなく、土器の破片や海水性の魚類であるマフグスズキクロダイアカエイ・獣の骨なども混在している[5]。また、この貝塚の存在により、遺跡の西にある佐鳴湖が当時は遺跡付近にまで達していたことがうかがえ、水産資源も豊富であったことを物語っている。

現在、遺跡は史跡公園として無料で解放されており、駐車場も整備されている。また、当時の住居が復元されており、その様子を見ることも可能である。

アクセス[編集]

  • 住所 静岡県浜松市蜆塚四丁目22番1号[6]
  • バス:JR浜松駅から遠鉄バス「蜆塚・佐鳴台」行で「博物館」下車、徒歩1分。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 浜松市教育委員会『蜆塚遺跡Ⅴ・Ⅵ』1985年 p.1
  2. ^ 静岡県『静岡県史資料編1(考古)』1990年 p.324
  3. ^ 浜松市博物館『縄文貝塚につどう 蜆塚遺跡のくらし』2003年 p.6
  4. ^ 浜松市博物館『史跡蜆塚遺跡解説書』p.6
  5. ^ 静岡県『静岡県史資料編1(考古)』1990年 p.329
  6. ^ 静岡県『静岡県史資料編1(考古)』1990年 p.324

関連項目[編集]

外部リンク[編集]