蜂須賀至央

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
蜂須賀至央
Hachisuka Yoshihisa.jpg
蜂須賀至央像
時代 江戸時代中期
生誕 元文元年12月15日1737年1月15日
死没 宝暦4年7月12日1754年8月29日
改名 銕(鉄)松(幼名)、松平頼央(初名)、蜂須賀至央
墓所 徳島県徳島市下助任町興源寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重
阿波徳島藩
氏族 松平大膳家蜂須賀氏
父母 松平頼熙、渡辺氏
蜂須賀宗鎮
兄弟 松平頼桓宗鎮至央
重喜宗子
テンプレートを表示

蜂須賀 至央(はちすか よしひさ[1])は、阿波国徳島藩9代藩主。もとは讃岐国高松藩一門松平大膳家第3代。

生涯[編集]

松平大膳家初代の松平志摩頼煕の三男。生母は渡辺氏。高松藩主松平頼桓、および徳島藩主蜂須賀宗鎮(松平大膳家第2代の松平頼珍)の実弟。松平家時代の初名は頼央(よりひさ)。通称は鉄松、志摩。元文4年(1739年)、兄・頼珍(宗鎮)が徳島藩蜂須賀家に養子入りしたため、幼くして松平大膳家の家督を相続し、松平志摩頼央と名乗る。

宝暦4年(1754年)4月2日、今度は蜂須賀家において宗鎮の養子となり、至央に改名する(「至」の字は初代藩主・至鎮偏諱をとったものと思われる)。松平大膳家の家督は高松藩第5代藩主松平頼恭の五男の頼昌が継いだ。同年4月13日将軍徳川家重御目見する。同年5月22日、宗鎮の隠居により蜂須賀家の家督を相続したが、同年7月12日に死去した。享年19。法号は興徳院殿仁祐竜沢。墓所は徳島県徳島市下助任町興源寺

興源寺の墓所(徳島県徳島市下助任町)

襲封後2ヵ月足らずで死去したため、歴代藩主の通例である将軍からの偏諱を受けなかった。また、歴代藩主は養子・幼君が相次いでいた上、至央自身も若年であったことから、藩政の実権は家老に掌握されており、飾り物の藩主に過ぎなかった。

末期養子として、出羽国久保田藩の分家である秋田新田藩の藩主佐竹義道の四男・重喜を迎えた。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 蜂須賀至央”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2014年10月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『蜂須賀家記』