蛮勇演説
蛮勇演説(ばんゆうえんぜつ)は、1891年(明治24年)12月に第2回帝国議会で行われた樺山資紀海軍大臣の演説。薩長藩閥政府の正当性と民党批判を力説し、民党側の強い反発を引き起こして衆議院を解散させる一因となった。
解説
[編集]1891年11月、第1次松方内閣が翌年の予算案を帝国議会へ提出したが、これは海軍艦艇建造費275万円・製鋼所設立費225万円を含む前年度比約650万円増となっていた。この予算案に対し、民党は、前の第1次山縣内閣時からの主張「民力休養・政費節減」を継続した。そして海軍内の綱紀粛正がなされなければ予算は認められないなどとして、海軍艦艇建造費・製鋼所設立費を含む約800万を削減した予算改定案を出した。
海軍要求を無視するこの改定案に樺山海相が激高、12月22日の衆議院本会議で、「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ、今日国ノ此安寧ヲ保チ、四千万ノ生霊ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功カデアル。」という演説を行い、薩長藩閥政府の正当性を主張するとともに民党の海軍・政府批判に反論した。
民党の経費削減方針を真っ向から否定するこの演説の結果、民党側議員が猛反発してその場は大混乱となった。
その後、民党の政府への反発が強まり衆議院で改定案を原案とする予算案が可決された。このため松方正義首相は12月25日に衆議院解散を初めて行うこととなった。
初期議会における薩長政府と民党の対立を示す事件である。
速記録
[編集]○国務大臣(子爵樺山資紀君) 国体に対して、どれほど……国権を汚したことがあるか。
そういうこんにち事業[1]を見ずにしておいて、いたずらにただ目前の事を以って1億2000万[2]を使用したと言うは(問題外と呼ぶ者あり[3])、本大臣において意外千万のことである。そういう事を以って、こんにち海軍大臣が不信用だと言っては、かくては却って事の事実を損ない、事のすなわち虚妄の事を連ねて、海軍大臣が不信用であると言うのは、自ら不信用を招くの所以ではないのか。分かった話であるじゃろう。そこでさこんにちこの新事業の新事業2件を削除せられたという如きは、かくの如きの事件より起これり、かくの如き事由によって削除するということなれば、本大臣において遺憾千万である。
この何回の役を経過して来た海軍であって、今までこの国権を汚し、海軍の名誉を損じた事があるか。却って国権を拡張し海軍の名誉を施した事は幾度かあるだろう。4000万の人民もそのくらいの事はご記憶であるだろう。先日井上角五郎君が4000万の人民は8000万の目があると言うた。4000万の人民でこんにち幾分か不具の人があると見ても、1000万人の目はあるだろう。その目を以って見たなれば、こんにち海軍を今の如き事に見ている人があるであろうか(あるあると呼ぶ者あり)。
かくの如くこんにちこの海軍のみならず、すなわち現政府である。現政府はかくの如く内外国家多難の艱難を切り抜けて、こんにちまで来た政府である。薩長政府とか何政府とか言ってもこんにち国のこの安寧を保ち、4000万の生霊に関係せず、安全を保ったということは、誰の功力である(笑声起る)。甚だ……お笑いになるようの事ではございますまい。どれほど倒れかつ廃疾になり、実に泉下に対して我輩死んだ時には面目がない。それによって今のすなわちこの軍艦製造費、この製鋼所設立の件について、かくの如き理由より削除したという事なれば、本大臣において決して……不満足に考える。他に理由があればよろしい。よくお分かりになりましたろう。
○議長(中島信行君) 海軍大臣にちょっと申しますが。
○海軍大臣(子爵樺山資紀君) 趣意の起こるところをただいま申したのである。
○議長(中島信行君) 海軍大臣に申します。
○海軍大臣(樺山資紀君) 諸君よ、諸君よ。
〔この時議長号鈴を鳴らす〕
〔議長の命令に従わぬかと呼ぶ者あり〕
〔無礼千万と呼ぶ者あり〕
〔海軍大臣に退場を命ぜよと呼ぶ者あり〕
〔帝国議会をなんと思うと呼ぶ者あり〕
〔退場せよと呼ぶ者あり議場喧騒す〕
〔議長また号鈴を鳴らす〕
〔海軍大臣演壇を降りる〕
○議長(中島信行君) 静かに。
— 衆議院第2回本会議第20号[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大津淳一郎『大日本憲政史』有斐閣、1966年