虫 (アルバム)

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ザ・スターリンスタジオ・アルバム
リリース
録音 1983年1月末 - 2月上旬
箱根ロックウェルスタジオ[1]
ジャンル ロック
ハードコア・パンク
パンク・ロック
時間
レーベル クライマックスレコード
プロデュース 森脇美貴夫[2]
チャート最高順位
ザ・スターリン アルバム 年表
STOP JAP
1982年

1983年
Fish Inn
1984年
EANコード
遠藤ミチロウ関連のアルバム 年表
STOP JAP
1982年

(1983年)
ベトナム伝説
1984年
『虫』収録のシングル
  1. GO GO スターリン
    リリース: 1983年2月10日
  2. NOTHING
    リリース: 1983年4月25日
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』(むし)は、日本のロックバンドであるザ・スターリンの通算3枚目のアルバム。

1983年4月25日クライマックスレコードよりリリースされた。本作はジャケット裏面に各曲のタイトルと歌詞の他に「作詞・作曲・編曲・演奏・ザ・スターリン」と記載されているのみで、その他の情報は一切記載されていない。

レコーディングは1983年1月末から2月上旬にかけて箱根のロックウェルスタジオにて行われた。前作『STOP JAP』(1982年)に比べると、ハードコア色が増した他に歌詞は単語や短文の言い切りが多い。タイトル曲である「虫」は10分近くにも及ぶ大曲で、全体的にどっしりとした重厚な楽曲となっている。これは前作『STOP JAP』が「歌詞はいいが、音は平凡」というような風評への反抗であり、同じく前作においてレコ倫による多くの歌詞修正[3]という言葉狩りをされたことに対しての意思表示であった。

先行シングル「GO GO スターリン」を収録している他、本作と同日に「NOTHING」がシングルカットとしてリリースされた。この時期のザ・スターリンはメンバーがかなり流動的で、アルバムのリリース後にライブツアーを行っているが、レコーディングメンバーとは異なっている。

オリコンチャートでは最高位2位を獲得した。

背景[編集]

前作『STOP JAP』(1982年)のリリースと前後する形で、ドラムスの乾純は故郷の父親が倒れた事を理由に6月24日上馬ガソリンアレイでのライブを最後にバンドから脱退し、代わりにSODOMに所属していた小田ヒトシがドラムスとして加入した[4]。その後、7月24日号の週刊誌『週刊現代』にてザ・スターリンの特集が組まれ、7月2日、3日の2日間に亘って行われた横浜シェル・ガーデンでのライブ中に支配人が禁止したにも拘わらず、ボーカルの遠藤ミチロウが客席に向けてニワトリを投げ入れた事で、支配人は「もう彼らには、金輪際、貸しません。彼らはミュージシャンじゃありません」と発言し出入り禁止処置を取られた事が掲載された[5]。この記事の影響により熊本での大学構内でのライブが中止となり、熊本市教育委員会は「スターリンのコンサートを見に行ったら退学」という通達を出す事態となった[6]。また、8月2日に神戸国際会館にて行われたライブでは観客が暴徒と化し、イスやエレベーターを破壊したため、事態を重く見た神戸市により「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例が制定される事となった[7]。これにより全国ホール協会のブラックリストに載せられた事によって全国でライブ会場の確保が困難になった[7]。しかし、ライブ活動の過激さとは裏腹に、この時期にはファッション誌『POPEYE』や『Popteen』、音楽誌『ARENA37℃』などの雑誌においてアイドル的な特集が組まれる事もあった[8][9][10]

その後、9月27日の前橋ガルシアでのライブを最後に小田が脱退し、ドラムスとして中田ケイゴが加入[1]。12月には音楽誌『音楽専科』にて顔が似ているとの理由から遠藤と明石家さんまの対談が「遠藤みちろうVS明石家さんま・大爆笑!! そっくり対談」のタイトルで掲載された[11]。12月25日には遠藤による初のエッセイ集『嫌ダッといっても愛してやるさ』が出版され、映画監督の石井聰亙や作家・写真家である藤原新也との対談が掲載された事でライブパフォーマンス以外でも遠藤の言動が話題となった[12]

1983年に入り、2月10日には12インチ・シングル盤GO GO スターリン」をリリース。3月5日、6日に千葉ダンシングマザースにて行われたライブを最後に、ギターのタム、ドラムスの中田ケイゴが脱退。代わりに名古屋で活動していたパンクバンド「OXYDOLL」に所属していたギターの良次雄、ドラムスの中村達也が加入する[13]

録音[編集]

レコーディングは1983年の1月末から2月上旬にかけて、箱根にあるロックウェルスタジオにて行われた[1]。レコーディング時のバンドメンバーはミチロウ(ボーカル)、タム(ギター)、シンタロウ(ベース)に加えて、ドラムスは当時じゃがたらに所属していた中村貞祐が担当している[1]

このレコーディング後でありアルバムリリース前の3月にタムと中田ケイゴが脱退し、良次雄、中村達也が加入している[13]

本作に収録された曲は元々膨大な量の歌詞が製作されていたが、前作での歌詞修正問題の影響で大幅に歌詞が削られ、短い歌詞となった[14]。これらの曲はタンク・ロック(短句ロック)と名付けられた[14]。また、レコーディングの段階でまだ歌詞が製作されていない曲もあり、結局歌詞が思い浮かばなかったため「Nothing」や「取り消し自由」のような歌詞となった[14]。後にアメリカ合衆国でリリースされたオムニバスアルバム『『Welcome to 1984』に収録された「Chicken Farm Chicken」がこの時レコーディングされている[1]

レコーディング時には料理人が不在であったため、遠藤が自ら調理してバンドメンバーに食事を提供していた[15]。この時期にはメンバー間で確執が生まれており、バンドは崩壊寸前の状態であった[15]。この状況からタイトルナンバーである「虫」が製作され、「おまえなんて知らない」、「どこかへ飛んでけ」という歌詞はメンバーに向けたものであるという[15]。その内容から「虫 = 無視」という意味に捉えられがちであるが、そのような意図はないと遠藤は発言している[15]

ちなみに、このアルバムの録音中、隣のスタジオでは16歳の中森明菜が録音していた。またこのアルバムにはレコーディング時のメンバー、中田ケイゴの行動より生まれたタイトルが多くあると後に遠藤が語っている。

音楽性[編集]

遠藤は本作の音楽性がハードコア・パンクに傾倒した事に関してはギターのタムによる影響が大きいと語り、遠藤自身もG.B.H.ディスチャージなどを好んで聴いていたという[16]

本作の音楽性に関していぬん堂は2003年のリマスター盤のライナーノーツにて、「ザ・スターリンのハード・コア・パンクへの返礼とも言える内容」、「贅肉を削ぎ落しに落して骨だけになったような凝縮された歌詞に、より攻撃的になった音塊が襲ってくる」と表現[1]、さらに遠藤ミチロウの25周年記念BOX『飢餓々々帰郷』(2007年)のライナーノーツにて、「過酷な合宿レコーディングを想像させる刺々しい楽曲群」、「タイトル曲の『虫』に代表されるような『虫 = 無視』にも通ずるディスコミュニケーションの塊のような怪作」と表現している[17]

音楽情報サイト『OKmusic』にてライターの帆苅智之は、全12曲中で3分を超える曲が「水銀」、「取り消し自由」、「虫」の3曲のみである事、またトータルで32分しかない本作の内、10分近くある「虫」が3分の1を占めている事を指摘している[18]。また、同曲が軽快なメロディーではない事について、バンドアンサンブルや雰囲気を重視した曲である事を指摘し、次作『Fish Inn』(1984年)がサイケデリック・ミュージックに傾倒した作品になった事からも、「この時期からミチロウの指向は所謂パンキッシュな方向から離れつつあったのだろう。ニューウェイブっぽい乾いたギターサウンドが強調されているようにも思われるM1「水銀」にもその傾向は見て取れる」と述べている[18]

リリース、プロモーション[編集]

1983年4月25日クライマックスレコードよりリリースされた。

初回プレスはLPのジャケット前面が円く穴のあいた特殊ジャケットで、丸尾末広画のピクチャーレコードになっており、特典として同ジャケットのB2版のポスターが付属していた[1]

その後、1986年にリリースされた『Best sellection』にて前作『STOP JAP』とのカップリングで初CD化され、以後1988年、1993年、1998年に再リリースされている。2003年には初めてデジタルリマスタリングされ、紙ジャケット仕様にて再リリースされた他、2015年にはSHM-CD仕様で再リリース[19]。2016年にはアナログ盤として再リリースされた[20][21]

本作リリース後、オリコンチャートのランキングでベスト43になった事を切っ掛けとして、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』(1968年 - 1985年)への出演依頼が来る事となった[22]。しかし、6月14日に同番組に出演したRCサクセション忌野清志郎が演奏中にカメラに向かってガムを吐き捨てた事が問題となり、ザ・スターリンの出演は危険であるとの判断から出演は中止となった[22]

アートワーク[編集]

ジャケットは映画『怪傑黒頭巾』(1953年 - 1960年)をモチーフにした丸尾末広による絵画となっている[2]。これは当時遠藤が知り合いの編集者から漫画雑誌『ガロ』に連載していた漫画家の副業として紹介されて実現したものである[23]。丸尾は森脇美貴夫から『怪傑黒頭巾』を使用する事を提案され、映画の版権は東映が所有しており著作権問題に配慮するため額に星のマークを付ける事にした[2]。背景は空襲によって焼け崩れる街が描かれている[2]

初回限定盤では穴あきのレコードジャケットで上記の絵が見えるようになっていたが、通常盤では通常のレコードケースとなり、真っ黒のジャケットに「虫」とだけ書かれたものになった[1]

ツアー[編集]

本作を引っ提げてのツアーを開始するも、同年6月11日に明治学院大学で行われたライヴを最後にギターの良次雄、ドラムスの中村達也が脱退する[13]。遠藤は「ザ・スターリンはこの時点で事実上解散した」と後に語っている。12月にはベースの杉山シンタロウが脱退し、新たにギターとしてJUNE-BLEED、ベースとして尾形テルヤが加入し、乾純がドラムスとして復帰する。

批評[編集]

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[24][25]
OKMusic肯定的[18]
  • 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作を「彼らが一番スキャンダルを生んでいた頃のアルバム[25]」と位置付けており、「遠藤みちろうという人は、詩人だ。歌詞だけ見てると面白い。ズドドドと疾走する演奏が、言葉の意味を吹き飛ばす[24]」と歌詞に関して肯定的に評価しており、「このアルバムなくして、日本のハードコア、パンクはなかった、とも言える名盤中の名盤だ[25]」と本作の影響力に関して絶賛した。
  • 音楽情報サイト『OKMusic』にてライターの帆苅智之は、「メロディーのキャッチーさはそのままに音は荒々しさを増し、歌詞は放送禁止用語のようなヤバさはなくなっているものの、直接的などぎつさが失われた分、ひとつひとつがより鋭角的かつ攻撃的になっている印象で、内包された過激さは前作以上」と理解が容易である事や音の暴力性に関して肯定的に評価している[18]。また、歌詞に関しては「言葉が突き刺さって来るようではないか」、「それがパンクならではのキャッチーに乗せられている」と表現した[18]。さらに本作の音楽性に関して「方向性の二極化は過渡期ならではものだったと言えるのかもしれない」と指摘しているが、「パンクチューンもさらに洗練させているところにミチロウの真摯な姿勢を垣間見られるし、それと同時に、氏が決して大衆を無視していなかったことを想像するのである」と肯定的に評価した[18]

チャート成績[編集]

本作はオリコンチャートで2位を獲得した。

本作はジャケットが忍者に見える事からアメリカ合衆国で異常な売れ行きを示した[27]。また、アメリカ合衆国の音楽番組にて取り上げられた事もあり、一部で話題となった[2]。その影響もあり、音楽誌『Maximumrocknroll』の編集長がザ・スターリンのファンであった事から、1991年に遠藤がサンフランシスコを訪れた際に現地でのライブを要請され、急遽寄せ集めのメンバーでライブを行った所、大盛況となった[27]。しかし、現地ではバンド名の皮肉が伝わらず、「おまえはコミュニストか?」と質問されたという[27]

収録曲[編集]

一覧[編集]

全作詞・作曲・編曲: ザ・スターリン(特記除く)。

A面
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.水銀  
2.365  
3.泥棒  
4.天プラ  
5.Fifteen(15才)  
6.ING,O!(夢遊病)  
7.Die In  
8.取り消し自由  
合計時間:
B面
#タイトル作詞作曲・編曲時間
9.GO GO スターリン  
10.Nothing  
11.アザラシ  
12.  
合計時間:

曲解説[編集]

  1. 水銀
    シングル「NOTHING」のB面曲。
  2. 365
    丸尾末広の短編「童貞厠之助 俺の名はマイナス」(『DDT―僕、耳なし芳一です―』収録)に歌詞が引用されている。
  3. 泥棒
  4. 天プラ
  5. Fifteen(15才)
  6. ING,O!(夢遊病)
  7. Die In
  8. 取り消し自由
  9. GO GO スターリン
  10. Nothing
    4枚目(インディーズ時代からの通算では6枚目)のシングル曲。
  11. アザラシ
  12. パンク・ロックバンドの楽曲では稀に見る10分にも及ぶミドルテンポの重厚な楽曲。ライブの1曲目に演奏される事が多かった。
  13. GO GO スターリン (single version)
  14. カタログZ
  15. 先天性労働者
    原曲として「TOKYO」というライブで演奏されていた未発表曲がある。
  16. 虫(未発表ライヴ)
    1983年5月2日の後楽園ホールでの音源から収録されている。

参加ミュージシャン[編集]

リリース履歴[編集]

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1983年4月25日 徳間音楽工業/クライマックスレコード LP
CT
CMC-2512 (LP)
25CMC-1013 (CT)
2位 初回プレスは特殊ジャケット、ピクチャーレコード
特典として同ジャケットのB2版のポスターが付属
2 1988年 徳間ジャパン/VIVID SOUND LP PRL-1018 特殊ジャケット、ピクチャーレコードの初回プレスを再現した復刻盤
3 1989年4月25日 徳間ジャパン/WAX RECORDS CD 32WXD-115 -
4 1993年12月21日 徳間ジャパン/WAX RECORDS CD TKCA-70222 -
5 1998年12月23日 徳間ジャパン/WAX RECORDS CD TKCA-71508 - デジパック仕様
6 2003年10月22日 徳間ジャパン/クライマックスレコード CD TKCA-72603 - デジタルリマスタリング盤
紙ジャケット仕様
ボーナストラック4曲追加収録
7 2015年5月13日 徳間ジャパン/WAX RECORDS SHM-CD TKCA-10116 - 紙ジャケット仕様
8 2016年7月13日 徳間ジャパン/WAX RECORDS LP TKJA-10073 - 180グラム重量盤

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h いぬん堂 「ライナーノーツ『虫に関するノート』」 『虫』、ジャパンレコーズ 、2003年。
  2. ^ a b c d e ユリイカ 2019, p. 94- 丸尾末広「[インタビュー]過剰な省略と鋭敏な知性 遠藤ミチロウと仕事をすること」より
  3. ^ レコ倫ことレコード倫理審査会は、日本レコード協会に加盟するメーカー各社による組織で、その協会に加盟するメーカー各社が発売する邦楽の歌詞を検討して問題があれば指摘、そのまま市場に出した場合に起こると考えられる問題の予測をメーカーに通達する。ただし発売禁止などの権限は無く、歌詞の変更や削除、発売中止などは、あくまでメーカー各社に決定権があり、そもそも協会に加盟していないメーカー(インディーズ等)は審査の対象外となっている。
  4. ^ いぬん堂 「ライナーノーツ『赤いレコードの衝撃』」 『STOP JAP』、ジャパンレコーズ 、2003年。
  5. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 94- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★15・いま若者が熱狂する「ザ・スターリン」てナンだ!?」より
  6. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 96- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★15・いま若者が熱狂する「ザ・スターリン」てナンだ!?」より
  7. ^ a b 遠藤ミチロウ 2004, p. 97- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★15・いま若者が熱狂する「ザ・スターリン」てナンだ!?」より
  8. ^ 遠藤ミチロウ 2004, pp. 88 - 90- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★14・破壊的ステージは“永遠不滅”です。」より
  9. ^ 遠藤ミチロウ 2004, pp. 102 - 105- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★17・ポップティーンのスターリン」より
  10. ^ 遠藤ミチロウ 2004, pp. 107 - 111- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★18・早くページをめくれ! そこに別のスターリンがいる。」より
  11. ^ 遠藤ミチロウ 2004, p. 120- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★20・俺たち金が欲しいですよ。スターリンのレコードがもっと売れてほしい…。」より
  12. ^ 遠藤ミチロウ 2007, p. 322- 「MICHIRO's History」より
  13. ^ a b c ライナーノーツ 「ザ・スターリン年表」 『FOR NEVER』、いぬん堂 、2001年。
  14. ^ a b c 遠藤ミチロウ 2007, p. 307- 「あとがき」より
  15. ^ a b c d 遠藤ミチロウ 2007, p. 308- 「あとがき」より
  16. ^ 吉田豪 (2012年3月16日). “ザ・スターリン (4/9)”. 音楽ナタリー. ザ・スターリン伝説30年後の真実に吉田豪が迫る. ナターシャ. p. 4. 2019年6月30日閲覧。
  17. ^ いぬん堂 ライナーノーツ「当然だけど、全部ミチロウが歌っています!」 『飢餓々々帰郷』、いぬん堂 、2007年。
  18. ^ a b c d e f 帆苅智之 (2019年5月18日). “THE STALINの傑作アルバム『虫』から不世出のアーティスト、遠藤ミチロウを偲ぶ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2019年6月23日閲覧。
  19. ^ WAX30作品リイシュー、第1弾はINU「メシ喰うな」など7タイトル”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2015年5月13日). 2019年6月16日閲覧。
  20. ^ WAXの旧譜22タイトルを復刻、カーネーションやFRICTIONは初アナログ化”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2016年6月2日). 2019年6月16日閲覧。
  21. ^ パンク・オルタナ専門レーベル WAXがTHE STALIN、INUら全22タイトルの復刻盤リリース”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2016年6月2日). 2019年6月16日閲覧。
  22. ^ a b 遠藤ミチロウ 2004, pp. 120 - 121- 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★20・俺たち金が欲しいですよ。スターリンのレコードがもっと売れてほしい…。」より
  23. ^ ISHIYA (2017年12月28日). “民謡から爆音ノイズまで……現在のバンド活動”. リアルサウンド. 遠藤ミチロウが語る、THE STALINとブラックユーモア「自分がパンクっていうふうには考えてない」. blueprint. p. 4. 2019年6月9日閲覧。
  24. ^ a b スターリン / 虫 [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年6月23日閲覧。
  25. ^ a b c ザ・スターリン / 虫 [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年6月23日閲覧。
  26. ^ a b 千原ジュニアのどうでもいい話 「嘘をつき続けてきた初めて買ったレコードの話」”. livedoor ニュース. LINE (2013年12月11日). 2019年6月23日閲覧。
  27. ^ a b c 屋代卓也、山浦正彦 (2015年9月25日). “第131回 遠藤 ミチロウ 氏 ロックミュージシャン”. Musicman-net. エフ・ビー・コミュニケーションズ. 2019年6月23日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]