蘇我比咩神社

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蘇我比咩神社

本殿
所在地 千葉県千葉市中央区蘇我2-2-7[1]
位置 北緯35度34分21秒 東経140度07分47秒 / 北緯35.57250度 東経140.12972度 / 35.57250; 140.12972北緯35度34分21秒 東経140度07分47秒 / 北緯35.57250度 東経140.12972度 / 35.57250; 140.12972 (蘇我比咩神社)座標: 北緯35度34分21秒 東経140度07分47秒 / 北緯35.57250度 東経140.12972度 / 35.57250; 140.12972 (蘇我比咩神社)
主祭神 蘇我比咩大神
千代春稲荷大神
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月9日
地図
蘇我比咩神社の位置(千葉県内)
蘇我比咩神社
蘇我比咩神社
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蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格郷社

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神春日神経津主神武甕槌神天児屋根神天児屋根比売神)・八幡神応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。

歴史[編集]

創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。

ただしこれには別の伝承もあり、浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫であり、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったともいう。

延喜式神名帳には「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社」と記載され、小社に列している。

天正19年(1613年)、徳川家康が社領10石を寄進した。

境内[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ アクセス 2020年6月27日閲覧

外部リンク[編集]

全ての座標を示した地図 - OSM
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