藤田秀太郎

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藤田 秀太郎(ふじた ひでたろう、1875年 - 1960年)は、日本の眼科学者

経歴[編集]

福岡県に生まれる。福岡県立尋常中学修猷館第五高等学校を経て、1902年7月、東京帝国大学医科大学を卒業。河本重次郎教授の眼科に入局し助手となる。

1903年10月、函館にて開業するが、1906年3月、天津医学堂教授を経て、1907年5月、台湾総督府台北病院医長および台湾総督府医学校教授に就任。

1909年7月から1911年7月にかけて、台湾総督府からの派遣でドイツに留学し、ヴュルツブルク大学のヘス教授に師事。その頃、同じくドイツに留学していた吉野作造と親交を深めている[1]

1917年1月、岡山医学専門学校講師および岡山県病院眼科医長に着任し、同年5月、岡山医学専門学校教授に就任。1921年5月、同校校長となり、1922年3月、同校が岡山医科大学に昇格すると、その初代学長兼教授に就任。

1923年5月から1924年5月にかけて欧州に出張し、1925年4月、依願退職。その後、福岡市内で開業している。

編著[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]