藤本富男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

藤本 富男(ふじもと とみお、1954年 - )は、日本の発明家。元山梨県職員。大森氏・大森快庵[1]葛山氏葛山信貞武田氏武田信玄の子孫。

東久邇宮記念会の会員であり、2010年に東久邇宮記念賞と東久邇宮文化褒賞を受賞し、2015年にも東久邇宮記念賞と東久邇宮文化褒賞を受賞した[2]

来歴[編集]

山梨県大月市に生まれる。山梨県立都留高等学校卒業。1974年(昭和49年)度に明治大学経営学部経営学科を中退した後、1975年(昭和50年)に横浜市立大学商学部経済学科に入学する。1979年(昭和54年)3月31日に横浜市立大学を卒業。昭和52年山梨県職員上級行政事務職、昭和54年山梨県上級行政事務職に合格し採用され、1979年(昭和54年)4月1日に山梨県総務部統計課企画指導担当に配属される。TOEIC公式610点(国家総合職15点加点・横浜市立大学3年進級基準はTOEIC公式600点以上や英検準1級など)、国公法律資格有。

その後、中小企業大学校東京校高度化事業(商業)や物流効率化施策修了。中小企業事業団(経済産業省、大蔵省管轄)に携わった。

1967年 大月市立宮谷小学校卒業 児童会会長 大月市立小学校のソフトボール大会優勝 県大会に出場

1970年 大月市立猿橋中学校卒業 生徒会副会長 大月市野球大会優勝 県大会へ出場し1回戦勝利

1973年 山梨県立都留高等学校卒業 地球科学部地質班長 私立理科系

1973年 4月から7月頃まで文科系へ転向のため東京都杉並区高円寺の中央ゼミナールに通う

1974年 明治大学経営学部経営学科に入学し1975年3月に中退

1975年 横浜市立大学商学部(経済学科)に入学 準公式野球部を若干及び和道流空手道場に3か月通う

1977年 山梨県職員上級行政事務職学生のまま採用

1979年 山梨県職員上級行政事務職合格採用(面接で人事委員会委員長に申告、採用候補者の復活及び成績の良い方で採用・山梨県条例・規則から) 総務部統計課 主事 企画指導担当 産業連関表の作成(試行)、「産業連関表でレオンチェフがノーベル経済学賞を受賞」、国勢調査事務補助等 

1981年 山梨県立都留福祉事務所 主事 総務課庶務社会担当、南北都留共同募金会事務、南北都留社会福祉協議会事務補助、文部省推薦 日本空手協会大月支部星野道場に通う

1983年 山梨県教育委員会文化課芸術文化担当 主事 専任1人等、高校芸術文化祭、全国高校芸術文化祭、山梨県芸術祭、山梨県文化協会事務局、芸術家の育成、短歌・俳句・川柳大会等各種大会の開催、山梨県教育委員会後援名義使用許可事務

山梨県立都留能力開発センター 総務課 主事 専任1人

1989年 山梨県立都留高等学校 主任 総務課

1991年 山梨県商工労働部金融課 主任、中小企業事業団中小企業大学校東京校 高度化施策担当者コース(商業)・物流効率化施策修了、郡内地域地場産業センターほかの山梨県及び中小企業事業団の事業に携わる。 

1993年 山梨県立やまびこ養護学校 事務次長「2 事務長及び事務次長、3 副主幹、4・・・ など」

1997年 山梨県立都留福祉事務所 主査 介護保険導入担当リーダー 南北鶴老人クラブ事務局、山梨県老クラブ連合会

1999年 山梨県立谷村工業高校 主査兼事務次長「2 事務長・事務次長、3 副主幹、4・・・など」

2001年 山梨県立吉田高等学校 主査兼事務次長「2 事務長・事務次長、3 副主幹、4・・・など」 

2002年 山梨県総合県税事務所 主査 軽油引取税等

2004年 山梨県富士東部建設事務所 総務課 主査

2005年 山梨県富士東部建設事務所(山梨県大月建設事務所)用地課 主査 能力不足職員研修指定によりTOEIC 610(国家総合職加点 15点)、ビジネス実務法務検定試験3級合格、2級合格相当・法律全部、宅建試験合格相当・合格点34点(33点、1問だけ正解だが2問が正解になった時)、コミュニケーション能力検定(人事課指定)優秀修了を提出。

小・中・高校・大学・社会人(山梨県職員など)・定年退職後の現在もノーベル賞数個の発明、ノーベル賞候補、ノーベル賞関係、世紀の発明者(私たち)。2000年公開特許公報、2009年公開特許公報等 藤本富男、5G・ミリ波など電波・1380兆円、ビヨンド5G・6G(テラヘルツ波などの電波、自動運転、自動ブレーキ、電気自動車等の音付け、核融合発電、環境、宇宙開発関係、AI・IOT・5G、6Gなど)の第四次産業革命・3京、ファナック誘致・毎年1兆円と算定「産業連関表(試行)より」、東洋一の発電所、リニアモーターカー・9兆円「超電導、高温超伝導」を山梨県知事等に職員提案等で提出(原本所有)。

2014年7月31日 60才を過ぎたのでの定年退職した。

山梨県史、大森快庵の甲斐叢記、甲西町誌、近世幕領の行政と組合村 久留島 浩・東京大学出版会、秋山家所蔵「勤役中日記」市川代大門町教育委員会に先祖の川上村兵右衛門(浅川兵右衛門)は、明治元年 鎮撫府・甲斐府・政府の官吏「市川代官所勤務等 20両2人扶持 甲府勤番の入塩係15両」であり、また甲西町誌に先祖の大森快庵家譜が掲載され大森氏・葛山氏、武田源氏一流系図には、大森氏・葛山氏が記載され武田信玄の子の葛山信貞(死亡)が掲載されている。小山田信茂の養女 小山田香具姫「内藤忠興の妻」(実は武田信玄の孫とも伝わる)の娘は、武田信玄の子孫の武田信正に嫁ぎ・・・高家武田家・武田邦信ー武田英信となっている。(新編武田二十四将 正伝・平山 優より)

甲州財閥 小池国三(本姓 浅川国三)は、正田家・德川家等と親戚となり、藤本富男(母 浅川氏)も金丸 信、竹下 登も徳川家等や皇族の係累となっている。古くは、水戸黄門顕彰碑では、徳川家康の側室に秋山氏がなり武田信吉「松平信吉」(断絶)となっている。 

    




 


脚注[編集]

  1. ^ 甲西町誌P1396 
  2. ^ 広報おおつき2016年9月号”. 大月市. 2020年11月13日閲覧。