藤原顕家 (小野宮流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
藤原顕家
時代 平安時代中期 - 後期
生誕 万寿元年(1024年
死没 寛治3年12月22日1090年1月25日
官位 正三位参議
主君 後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇後三条天皇白河天皇堀河天皇
藤原寛子(皇后宮職)
氏族 藤原北家小野宮流
父母 父:藤原経通
母:源高雅娘(経平母の妹)
兄弟 源経仲経季経平顕家藤原範輔
源頼国
基実、頼慶
テンプレートを表示

藤原顕家(ふじわら の あきいえ)は、平安時代中期から後期にかけての公卿藤原北家小野宮流権中納言藤原経通の四男。官位正三位参議

略歴[編集]

経通は正二位大宰権帥にまで至ったが、その子孫は勢力が振るわなかった。顕家本人は、参議にまでは昇ったがそこで昇進が止まってしまった。白河天皇即位と前後してすべての官を退き、散官となったのちは、公卿補任にすら名が載らなかった(本来「前参議」として掲載されるはずであった。死の前々年に復活している)。

官歴[編集]

  • 長元7年11月19日(1035年1月1日) 従五位下
  • 長元8年3月4日(1035年4月14日) - ? 美濃権守
  • 長暦元年3月5日(1037年3月24日) - 長久3年正月29日(1042年2月22日) 右衛門佐
  • 長暦3年正月6日(1039年2月1日) 従五位上
  • 長久3年正月29日(1042年2月22日) - ? 少納言
  • 長久5年正月6日(1044年2月7日) 正五位下
  • 寛徳2年正月16日(1045年2月5日) - ? 蔵人
  • 寛徳2年10月23日(1045年12月4日) - ? 左近衛少将
  • 寛徳3年2月11日(1046年3月21日) - ? 美作権介
  • 永承2年正月7日(1047年2月4日) 従四位下
  • 永承5年11月13日(1050年12月28日) 従四位上
  • 永承6年正月12日(1051年2月25日) - 天喜4年2月3日(1056年2月20日) 左近衛少将
  • 永承7年2月26日(1052年3月29日) - 康平3年2月21日(1060年3月25日)? 近江介
  • 天喜4年2月3日(1056年2月20日) - 康平7年(1064年)? 皇后宮権亮藤原寛子皇后)
  • 天喜4年2月22日(1056年3月10日) 正四位下
  • 康平元年11月8日(1058年11月26日) - 康平5年3月13日(1062年4月24日) 右中弁
  • 康平2年2月18日(1059年4月3日) - ? 蔵人頭
  • 康平3年2月21日(1060年3月25日) - 治暦3年7月1日(1067年8月13日) 讃岐権守
  • 康平5年3月13日(1062年4月24日) - 康平6年2月27日(1063年3月29日) 権左中弁
  • 康平5年4月22日(1062年6月2日) - 康平6年2月27日(1063年3月29日) 内蔵頭
  • 康平6年2月27日(1063年3月29日) - 延久4年(1072年)11月 参議
  • 康平6年4月30日(1063年5月30日) 従三位
  • 治暦3年7月1日(1067年8月13日) - 延久3年(1071年)3月 大宰大弐
  • 治暦3年8月22日(1067年10月3日) 正三位

出典[編集]

公職
先代:
藤原師成
大宰大弐
1067 - 1071
次代:
藤原良基