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藤原良経 (平安時代中期の貴族)

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藤原 良経(ふじわら の よしつね、長保3年(1001年) - 康平元年8月2日1058年8月23日))は、平安時代中期の貴族藤原北家権大納言藤原行成の子。官位正四位下越前守

経歴

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三条朝初頭の寛弘8年(1011年元服し、従五位下に叙爵。のち、左兵衛佐少納言を歴任した。

後一条朝に入ると、尾張権守に任ぜられ、これを10年近くに亘って務める。またこの間の万寿3年(1026年)陪膳の当番だったが伺候しなかったため、式部大輔藤原資業とともに殿上簡を除かれた[1]。のち、左馬頭皇后宮権大夫と京官を務め、後朱雀朝初頭の長暦3年(1038年)には正四位下に叙せられている。

その後は、伯耆守越前守と後朱雀朝後半から後冷泉朝にかけて受領を歴任した。

康平元年(1058年)8月2日卒去享年58。最終官位は前越前守正四位下。

官歴

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系譜

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注記のないものは『尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『左経記』万寿3年10月19日条
  2. ^ 『権記』
  3. ^ 『御堂関白記』
  4. ^ 『小右記』
  5. ^ 『栄花物語』14
  6. ^ a b 『左経記』
  7. ^ 『春記』
  8. ^ 『造興福寺記』
  9. ^ a b 『尊卑分脈』
  10. ^ 『本朝世紀』康和5年11月15日条
  11. ^ 『春記』永承7年5月5日条
  12. ^ 母を藤原隆光の娘とするのは『本朝世紀』康和5年11月15日条による。
  13. ^ 『僧綱補任』

参考文献

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