藤原朝子

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藤原 朝子(ふじわら の ちょうし[1]/あさこ[要出典]/ともこ[要出典]、生年不詳 - 永万2年1月10日[1]1166年2月12日))は、平安時代後期の女性。藤原兼永の娘。紀伊局(きいのつぼね)の名で知られる。

初め、鳥羽天皇の妃・待賢門院に仕え、父が紀伊であったことから紀伊局と呼ばれるようになった。後に同じく待賢門院に仕えていた藤原通憲(信西)と結婚した。その後、待賢門院の子である雅仁親王(後白河天皇)の乳母を務めた。通憲との間には藤原成範藤原脩範をもうけている[1]

雅仁親王が後白河天皇として即位すると重んじられて、保元2年(1157年)には典侍に任命され、2年後には従二位に叙せられたため、「紀伊二位」とも呼ばれた。

脚注[編集]