藤原実成

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藤原 実成(ふじわら の さねなり 、天延3年(975年) - 寛徳元年12月22日(1045年1月12日))は、平安時代公卿藤原北家閑院流太政大臣藤原公季の長男。正二位中納言大宰権帥

寛弘5年(1008年参議長和4年(1015年権中納言寛仁元年(1017年右衛門督治安3年(1023年)中納言、長元6年(1033年)大宰権帥を兼任。長元9年(1036年)には大宰府天満宮を支配していた安楽寺と衝突を起こし[1]、長暦2年(1038年)中納言・大宰権帥を解任され、除名された[2]。長暦4年(1040年)元の正二位に復した。

人相を見るに見識があり、藤原道長の三男顕信が自身の娘との結婚を望んでいることを知ると、顕信に出家の相が出ているとしてこれを断った(娘は顕信の弟能信と結婚)。果たして顕信は後に出家したので、その人を見る目の確かさを『大鏡』の中で賞賛されている。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 実成の郎等であった源致親が安楽寺の雑物を盗んだことが原因とされる。
  2. ^ 源致親は隠岐への配流に処せられた(『百錬抄』『扶桑略記』)。