藤原信輔

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藤原 信輔(ふじわら の のぶすけ、生年不詳 - 元暦元年(1184年))は平安時代後期の貴族藤原北家道隆流、中納言藤原経忠の子。官位正四位下右京大夫

久安5年(1149年)当時因幡守を務めている[1]久寿3年(1156年右京大夫に任ぜられる[2]保元元年(1156年)7月に鳥羽法皇崩御した際に、藤原成親源光保信西藤原惟方ら八人と法皇の遺体を入棺したという[3]。その後出家し、太秦入道と号した[4]元暦元年(1184年卒去

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 兵範記』久安5年10月2日条
  2. ^ 『兵範記』久寿3年2月2日条
  3. ^ 『兵範記』保元元年7月2日条
  4. ^ 尊卑分脈』道隆公流