藤原ヒロユキ

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ふじわら ひろゆき

藤原 ヒロユキ
生誕 (1958-09-04) 1958年9月4日(65歳)
出身校 大阪教育大学教育学部
職業 イラストレーター、ビール伝道師
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藤原 ヒロユキ(ふじわら ヒロユキ、1958年9月4日[1] - )は日本のイラストレータービール伝道師大阪府出身[1]大阪教育大学教育学部卒業の元中学校教諭

ビア・ジャーナリスト/ビール伝道師[編集]

藤原ヒロユキがプロデュースしたキールズ'バー ビアテラスのカウンター (2008年)

日本ビアジャーナリスト協会代表。季刊「ビール王国」編集主幹。日本地ビール協会のマスター・イバリュエイター、アドバンスド・ビアジャッジ、ビア・コーディネィターの資格を取得[2]。日本のみならず、欧米で開催される数々のコンテストにてジャッジを務める。日本では1996年からのインターナショナルビアコンペティション、1998年からのジャパンビアカップのビアジャッジを毎年務める[2]

2000年、ビールの各種スタイルと世界のビールを紹介する書籍を執筆、2005年春に創刊されたビール専門誌『Beer & Pub』の編集長を務める。しかし2013年の同誌復刊に際し「総編集長」に再度就任するが、一度もゲラを見せられないまま発売されたことに納得がいかず、同職を辞任。2013年10月にワイン王国社から「ビール王国」を出版する。

また、常陸野ネストビール木内酒造にてビールを造るイベントの開催(2回めは2007年7月29日)[3]アサヒビールアネックスでビールと料理マリアージュのイベントの開催[4]、ビアテラスのプロデュース (2008年の「キール'ズバー・ビアテラス」)[5]などビール文化の普及に一役を買っている。

国際コンペでは、2009年のグレートアメリカンビアフェスティバル(アメリカ・デンバー)、2010年ワールド・ビア・カップ(アメリカ・シカゴ)、2014年(アメリカ・デンバー)でインターナショナル・ビアジャッジとしてコンペティション、2013年インターナショナルビアフェスティバル・ターボル(チェコ)の審査員を務める。

2010年、一般社団法人日本ビアジャーナリスト協会代表に就任。

ブログ「藤原ヒロユキ日記」は2000年1月から続いている。ユーストリームで「藤原ヒロユキのBEERマニア」を2010年9月から放送している。

2019年に京都府与謝野町で「京都与謝野酒造」を設立し代表社員となるが、2022年に業務終了する[6]

イラストレーター[編集]

1983年、フリーのイラストレーターとして大阪で活動を開始。月刊『神戸からの手紙(現SAVVY)』、月刊『ぷがじゃ』などにイラストマップやイラストコラムを連載。

1985年にイラストガイド『365日デートガイド関西編』、1987年『新365日デートガイド関西編』、1986年にイラストと短編小説集『午前8時の缶ビール』をいずれもノラブックスから出版。

現在、K&Kブランドのコンビーフや「缶つまプレミアム」などの缶詰で知られる『国分』の子会社でコンビニエンスストアを運営する「コミュニティ・ストア」が発行する小冊子「月刊コミュニティ」にてビールの魅力や、自身の趣味にまつわる記事を連載中。

書籍[編集]

著書[編集]

イラスト[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.490
  2. ^ a b 藤原ヒロユキ (初出年不明). “藤原ヒロユキ HISTORY of BEER”. 2008年2月16日閲覧。
  3. ^ 木内酒造 (2007年). “藤原ヒロユキBOPツアー2007”. 2008年2月16日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ アサヒビールアネックス (2008年). “アサヒビール アネックス/藤原ヒロユキの冬のビアディナー”. 2008年2月16日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 「キール'ズ・バー ビアテラス」オープン中”. SALUS (2008年7月21日). 2008年10月1日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 地ビール会社が業務終了、社員退職申し出で業務滞る 京都・与謝野町|経済|地域のニュース|京都新聞”. 京都新聞. 2022年7月10日閲覧。

外部リンク[編集]