藏川洋平
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名前 | ||||||
愛称 | クラ | |||||
カタカナ | クラカワ ヨウヘイ | |||||
ラテン文字 | KURAKAWA Yohei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1977年8月10日(40歳) | |||||
出身地 | 山口県山陽小野田市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ![]() |
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ポジション | DF | |||||
背番号 | 13 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000 | 横浜F・マリノス | 0 | (0) | |||
2001-2005 | FCホリコシ | |||||
2006-2011 | 柏レイソル | 107 | (5) | |||
2012-2016 | ロアッソ熊本 | 131 | (5) | |||
2017- | 鈴鹿アンリミテッドFC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
藏川 洋平(くらかわ ようへい、1977年8月10日 - )はプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。
来歴[編集]
大学を卒業後、横浜F・マリノスに入団するもプロの壁は厚く、自由契約となった後に群馬県リーグ1部の群馬のFCホリコシ(現 アルテ高崎)に入団する。ホリコシではチームを引っ張り、群馬県リーグから関東リーグ、そしてJFLへと昇格させチームの躍進に貢献した。2004年の天皇杯4回戦では、後に所属する柏と対戦。フル出場し見事勝利を収めている。
2005年にFCホリコシの監督を務めた小見幸隆が2006年より柏レイソルのチーフスカウトに就任し、その小見とともに当時J2の柏に入団。実に6年ぶりのJリーグ復帰となった。同年の後半戦から徐々に出場機会をつかみ、レギュラーを奪取。11月18日の仙台戦、同点で迎えた後半39分にコーナーキックからのクリアボールを拾い、30メートルを越すロングシュートを決める。このゴールはチバテレビ主催「レイソルアウォーズ」のゴール部門に輝いた。
2007年のJ1開幕戦・対ジュビロ磐田(日立柏サッカー場)でJ1リーグデビュー。県リーグ1部から数えて、5つのカテゴリーを順番にステップアップしてJ1まで辿り着く。これは当時、日本人選手のJ1開幕戦デビュー史上最年長(29歳6ヶ月22日)記録である(現在は湘南ベルマーレの坂本紘司が31歳4カ月で最年長記録)。5月23日のヤマザキナビスコカップ第6節では、古巣の横浜FMを相手にゴールを決める。
2010年限りで契約満了とされるも[1]、同月のうちに契約を再締結[2]。しかし翌2011年限りで契約満了により退団となる[3]。
2012年、ロアッソ熊本に練習生として練習に参加。3月30日に加入が発表された。以後は右サイドバックとしてスタメンの座を市村篤司より奪い、34試合に出場を果たす。2013年、2014年も右サイドバック、場合によってはボランチや攻撃的MFとして主力級の活躍をした。2015年は養父雄仁が右サイドバックにコンバートされたことでスタメンでの試合出場が減り、途中出場で守備の強化のために試合に出ることが増えた。2016年もスタメンを確保するには至らず。それでもサイドバックながら1得点を記録するなど活躍したが、同年12月9日に契約満了にて退団となった。
2017年、東海リーグ所属の鈴鹿アンリミテッドFCに加入[4]。中心選手としてチームを引っ張り、2017年9月25日には監督の小澤宏一の解任に伴い、監督代行(プレイングマネージャー)となることが発表された[5]。
プレースタイル[編集]
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「永遠の若手」というあだ名の通り、ベテランながら運動量の多さで攻守に顔を出すサイドバック。ベテランらしい安定した守備能力が武器である。攻撃では強烈なミドルシュートを武器とする。
所属クラブ[編集]
- 小野田市立須恵小学校[3](現 山陽小野田市立須恵小学校)
- 小野田市立小野田中学校[3](現 山陽小野田市立小野田中学校)
- 1993年 - 1995年 多々良学園高校 (現 高川学園高校)
- 1996年 - 1999年 愛知学院大学
- 2000年
横浜F・マリノス
- 2001年 - 2005年
FCホリコシ
- 2006年 - 2011年
柏レイソル
- 2012年 - 2016年
ロアッソ熊本
- 2017年 -
鈴鹿アンリミテッドFC(2017年9月から選手兼監督代行)
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 愛知学院大 | 9 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2000 | 横浜FM | 25 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2001 | ホリコシ | 群馬県1部 | - | 2 | 3 | ||||||
2002 | 9 | 関東 | - | 2 | 0 | ||||||
2003 | 関東1部 | - | - | ||||||||
2004 | 9 | JFL | 29 | 4 | - | 4 | 1 | 33 | 5 | ||
2005 | 25 | 6 | - | 3 | 0 | 28 | 6 | ||||
2006 | 柏 | 23 | J2 | 16 | 2 | - | 1 | 0 | 17 | 2 | |
2007 | J1 | 28 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 31 | 2 | ||
2008 | 32 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 39 | 1 | |||
2009 | 15 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 | |||
2010 | J2 | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
2011 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||
2012 | 熊本 | 38 | J2 | 34 | 1 | - | 3 | 0 | 37 | 1 | |
2013 | 23 | 25 | 0 | - | 1 | 0 | 26 | 0 | |||
2014 | 26 | 2 | - | 0 | 0 | 26 | 2 | ||||
2015 | 24 | 1 | - | 0 | 0 | 24 | 1 | ||||
2016 | 22 | 1 | - | 0 | 0 | 22 | 1 | ||||
2017 | 鈴鹿 | 13 | 東海1部 | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 76 | 2 | 10 | 1 | 5 | 0 | 91 | 3 | |
日本 | J2 | 166 | 8 | - | 6 | 0 | 166 | 8 | |||
日本 | JFL | 54 | 10 | - | 7 | 1 | 61 | 11 | |||
日本 | 関東1部 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||
日本 | 東海1部 | - | |||||||||
日本 | 群馬県1部 | - | 2 | 3 | 2 | 3 | |||||
日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
総通算 | 296 | 20 | 10 | 1 | 23 | 4 | 325 | 25 |
脚注[編集]
- ^ 契約満了選手についてのお知らせ 柏レイソルOfficial Site、2010.12.08
- ^ 藏川洋平選手 契約更新のお知らせ 柏レイソルOfficial Site、2010.12.20
- ^ a b c 契約満了選手についてのお知らせ 柏レイソルOfficial Site、2011.12.04
- ^ “「まだ現役でやれる事を嬉しく思います」熊本DF藏川が鈴鹿アンリミテッドFCへ移籍”. ゲキサカ. (2017年2月21日) 2017年9月25日閲覧。
- ^ “小澤監督解任のお知らせ” (プレスリリース), 鈴鹿アンリミテッドFC, (2017年9月25日) 2017年9月25日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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