薬研藤四郎

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薬研藤四郎(やげんとうしろう)は、鎌倉時代に山城(京都)で粟田口吉光(通称・藤四郎)によって打たれた日本刀短刀)。長さは8寸3分(約25センチメートル)[1]

最初の持ち主は諸説あり定かではないが、室町時代守護大名であった畠山政長の説が有力となっている[1]

名前の由来として、畠山政長が敗戦の際に切腹しようとしたが腹に刺さらなかったため、短刀を投げ出したところ、近くにあった薬研を深々と貫いたところからとされる[1]。この事から「粟田口吉光の短刀は鋭い切れ味だが、主人の腹は切らない」という言い伝えが広まったとされている。

その後は足利将軍家松永久秀織田信長が所有した[2]本能寺の変において焼け落ちたともいわれるが[3]豊臣秀吉を経て徳川将軍家が所持したともいわれており、確かな消息は不明で、現存もしていない[2]

2016年冬に刀鍛冶水木良光が依頼を受け、2017年夏に写しとして作刀を行った[2]。水木は、薬研藤四郎の絵図が描かれている『太閤御物刀絵図』から、刀の長さや幅などを割り出し、絵図通りに作刀している[2]

2017年に発売されたコンピューターゲーム『信長の野望・大志』には、薬研藤四郎の模造刀が購入特典として付随した[4]

2018年夏に織田信長の家臣の有縁より刀匠・藤安将平によって再現された薬研藤四郎の写しが建勲神社に奉納されることが決定した[5]

出典[編集]