蒋英実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
蒋 英実
Jang Youngsil 1.jpg
各種表記
ハングル 장영실
漢字 蔣英實
発音: チャン・ヨンシル
日本語読み: しょう・えいじつ
2000年式 Jang Yeong-sil
テンプレートを表示
蒋英実が開発した渾天儀
蒋英実の自動水時計を再現したもの
景福宮内の日時計

蒋 英実(チャン・ヨンシル、蔣英實韓国語:장영실1383年 - 1450年)は中世李氏朝鮮科学者緯度計測器である簡儀、さまざまな日時計水時計等を製作した。

出自と生涯[編集]

本貫牙山[1]。蒋英実の父親は、中国からの移民の八世孫であり、高麗王朝の頃は高官の地位にあった[2]。高麗から朝鮮へと王朝が交代すると、朝鮮王朝の太祖李成桂は高麗の王室とこれに仕えていた者たちの迫害を始めた。蒋英実の一家も罪を責められて賤民(奴婢)の身分に落とされ、蒋英実の母親は妓生とされる辱めを受けた[3][4]

蒋は、1423年に世宗より尚衣院別坐(従六品)の官職を受命し、奴婢の身分から免賤された[1]1424年に宮中の工匠から抜擢され、に派遣された[5]。帰国後世宗大王が官職に就かせようとすると官奴出身のため列臣の反対にあった。その後更点之器と呼ばれる水時計を製作し、その功績が認められ正五品尚衣院・別坐についた[5]。1434年6月には水を継ぎ足す警告を自動で出す水時計・自激漏を完成させ、景福宮南側の報漏閣に置かれた。これは国内の標準時計として採用され、この功績をもって正四品・護軍に任じられた。最終的に従三品・上護軍ににまで栄達したが[1]1442年、蒋英実の監督下で製造された王の輿が破損したため不敬罪に問われ、杖刑を受けた[6]

製作物[編集]

日時計[編集]

水時計[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 『科学史技術史事典』468頁
  2. ^ 『大東韻府群玉』1587年。
  3. ^ 『牙山蔣氏世譜』卷之一黃、1872年。
  4. ^ 國朝人物志』第1巻(安鍾和會簒、1909年3月)。
  5. ^ a b 〈人物で見る朝鮮科学史-43〉世宗とその時代2”. 朝鮮新報. 2009年12月12日閲覧。
  6. ^ 〈人物で見る朝鮮科学史-44〉世宗とその時代3”. 朝鮮新報. 2009年12月12日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『科学史技術史事典(縮約版)』 弘文堂、1994年6月15日ISBN 4-335-75009-9 特に「蒋英実」の項(p.468, 執筆:全相運)。

関連項目[編集]