落選運動

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落選運動(らくせんうんどう)とは、選挙において特定の候補者の落選を促す政治活動。特定の候補者の当選を目指す、単なる選挙運動と対比される。

解説[編集]

多くの国の国政選挙では公職不適格者に対する票は存在しない。そのため、他候補に投票することによって、対象候補を落選させることになる。基本的に対象候補以外の有力候補に投票することによって、対象候補を落選させることになる。

小選挙区制大選挙区制完全連記制の場合、他候補への投票が当該候補落選となる。しかし、大選挙区において単記制や制限連記制、非移譲方式の場合、他候補への投票と当該候補落選への関係は弱まる。

比例代表制の場合、拘束名簿式では大政党において名簿順位上位に登録された候補はほぼ確実に当選できるため、対象候補が大政党の上位に登録された場合、落選させることが極めて難しくなる。ただし、対象候補を登録させた政党の得票率を下げることによって議席数を減らすため、政党が対象候補の比例名簿登録を控えさせる効果があるとされる。

選挙区の候補者が比例重複をし、政党の名簿順位上位に登録されている場合、選挙区で落選しても比例によって復活当選をするため、対象候補を落選させることがかなり難しくなる。日本の総選挙では2000年以降、小選挙区において供託金が没収された候補は復活当選できないため、対象候補を落選させるには対象候補の得票数を供託金没収点(有効投票数の10分の1)未満にすることが目標となる。

日本の地方首長や地方議員に対しては一定の条件の下で住民による解職請求が可能である。

発祥の地は韓国。日本では市民連帯・波21が全国のさきがけである。

特定の候補者の当選を図るために対立する候補の落選を図る落選運動は選挙運動にあたる一方、単に特定の候補者の落選を図るだけの運動は選挙運動にはあたらず、政治活動にあたり、選挙運動についての規制が適用されないとされている[1]

落選運動の例[編集]

韓国の落選運動[編集]

韓国の落選運動は2000年の1月から4月の総選挙のかけて「落薦・落選運動」と呼ばれるように2つのステップで行われた。1つは政党に公認しないように求めたもので、もう一つは選挙において投票しないように呼びかけたものである。前者は別名イエローカードキャンペーンと呼ばれ、後者はレッドカードキャンペーンとも呼ばれた。

2000年1月12日、韓国の460の市民団体により「2000年 総選挙市民連帯」(総選連帯)が結成され、同月24日、不適格な候補者名を発表、政党に公認しないように呼びかけた。この際の選定基準は、

  • 不正腐敗した政治家
  • 過去の選挙法違反
  • 軍事クーデターへの関与
  • 職務怠慢な議員
  • 地域間の対立感情を煽り立てた政治家
  • 漢字復活を主張する政治家

など。
結果としてリスト102人中48人(47%)の候補者が公認から外れた。
選挙戦において、総選連帯から改めて86人の落選候補が発表され、選挙において投票しないように呼びかけた。結果、4月13日の投票において22の重点地域で15人、全国では59人の候補者が落選した。

なお、韓国の選挙法87条によれば、労働組合を除外した一般団体の選挙運動を禁止しており、落選運動が抵触するとの議論、反発もあった。そうした中、世論の運動への圧倒的支持を受け、金大中大統領は1月17日、選挙法第87条の廃止を推進するよう指示を行った。

後日、落選運動の対象となった候補者には保守系の特に出身者が多く含まれ、理由として「国家保安法の撤廃に反対」などであるが、落選運動の背後に北朝鮮の動きがあるとされた[2]

日本の落選運動[編集]

日本においては上記の韓国の落選運動の影響を受けて2000年4月10日、落選運動のための市民組織「市民連帯・波21」が結成され、5月10日に第1次落選候補が、そして第42回衆議院議員総選挙のさなかの6月10日に落選候補最終リストが公表された。

しかし、リストに挙がった政治家は自由党(当時)の小沢一郎西村眞悟を除いて、与党政治家だったため、「公平さを欠く」という指摘もあった[3][4]

脚注[編集]

  1. ^ 大判昭5.9.23刑集9・678等。こちらの30頁
  2. ^ 長谷川慶太郎・佐藤勝巳 「朝鮮統一の戦慄」光文社 2000年
  3. ^ リストには公明党代表神崎武法も載っていた。なお、公明党からは神崎だけがリストに載っていた。
  4. ^ ウェブマガジン『月刊「健論」』2000年6月号「落選運動は政治を変えられるか」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]